写真家・小浪次郎が考える、被写体との向き合い方。「“対話する”よりも“時間を共有”する」

photo: Jiro Konami / text: Foo Syoji / edit: Rio Hirai, Taichi Abe

自らの父親をレンズで捉えることが、写真体験の始まりだった小浪次郎。彼は今でも写真を撮るため、父ともそうしていたように、“対話する”よりも“時間を共有”する。そうして、被写体とのカメラを介した交流を続けているのだ。


本記事も掲載されている、BRUTUS「写真はもっと楽しい。」は、2023年10月16日発売です!

Share

カメラを介して交流する

「写真を撮るために、相手の内側に踏み込んでみる。その結果、被写体との間に特殊な関係性が生まれることがあります」と話す写真家、小浪次郎。彼は撮影前の打ち合わせや撮影中にあまり多くを語らない。言葉で説明するのではなくカメラを介して時間や空間を共有し、人や街といった被写体と向き合い続けてきた。

「18歳で写真を始めて“撮りたいものが何か”と考えた時に一番に思い浮かんだのが父親でした。その頃、離れて暮らしていた父が病気を患っていたんです。会いに行こうと思っても、少し怖い存在だったしなんだか恥ずかしくて……。だから、写真を撮ることを口実に盾としてカメラを持って会いに行きました。実は父は写真を撮られるのがあまり好きじゃなくて。でも、初めて父にカメラを向けた時、僕との関係性や息子に写真を撮られているという事実を受け止めてくれたように感じ、その瞬間を切り取りました。初めて父を撮った一枚が、今でも自分の作品の中で一番好きな写真です」

カメラを介した父と息子の8年間
小浪が15歳で上京してからしばらく会っていなかった2人が最初にカメラを介してつながった一枚であり、彼自身のファーストショット。「初めてこの写真を父に見せた時、どことなく嬉しそうだったのを覚えている」と話す小浪も同じく嬉しそうだった。

言葉でなくカメラを介した被写体との精神的な対話

それから8年の間、小浪は父親をレンズで捉え続けた。無数の写真には、互いに口数は少ないがカメラを介して時間を共有してきた2人の関係性が写し出されている。小浪の写真の根源には、父と向き合うためにシャッターを切った原体験があるのだ。

小浪が被写体として長年向き合い続けたもう一人の人物が、坂本龍一だ。2人の出会いは、小浪のフォトグラファーとしての初仕事の時だった。

「4日間のレコーディングを撮影するために北海道に行きました。そこで坂本さんの演奏を初めて聴いた時、僕にはピアノの上に閃光が走るように見えたんです。作り出される音楽の持つ激しさをそのまま伝えたくて、わざとブレるように撮影しました。それが坂本さんを撮った最初の一枚です。10年以上、日本やニューヨークで一緒に撮影をしました。その中でも、特に最初と最後に撮った写真が気に入っていますね」

変化していく被写体としての坂本龍一
「10年以上坂本さんを撮り続けてきた中で、多くのことを教えてもらい、常に尊敬をしていた」と小浪は話してくれた。月日を重ねるごとにカメラが捉える坂本龍一の表情も変化していたと言う。より親しくなった2人の関係性を写し出しているのだろう。

近くなればなるほどに見えるものも変化していく

「父や坂本さんに限らず、人を撮影する時は1枚目と2枚目以降で全く違う顔になってしまうんです。だから、最初に撮る写真は重要ですね。きっと被写体と向き合い続けるうちに必然的にその人との関係性が構築されていくので、その中でカメラが捉えるものも変わっていくんだと思います」

写真を撮るためにレンズで相手の内面を覗く小浪さんの写真は、被写体との心的な距離感によって写し出されるものも変化する。長年同じ人物を撮り続けた経験から見出した被写体とのカメラを介したつながりは、向き合う時間の長さに関係なく結ぶことができる。

「写真の面白さは“被写体の持つ個性や思想に自分が瞬間的にどう反応するのか”だと思います。僕はあまり雄弁なタイプではないから、被写体と同じ時間を過ごしていい瞬間を探すんです。その時間に制約があればあるほど、被写体に集中できる気がする。撮影時にいつも自由な環境が揃っているとは限らないけれど、父のことも“撮られている”という意識が強くならないようにしながら、少しでも自由になれる瞬間を探しました」

言葉ではなく同じ時間を過ごして撮る
ヒップホップクルー、舐達麻(なめだるま)の撮影では、彼らの地元で3日間共に過ごし、遊ぶ姿、食事や銭湯での風景などの彼らの日常を切り取った。「同じ時間の中で関係も近くなり、打ち解けていった」と小浪は話す。彼らの取り繕わない姿を生々しく写し出した一枚。

被写体から瞬間的に何を感じどう切り取るか

時には数分、時には何日もの時間をかけて撮影する小浪は、共に過ごす時間の中で被写体から受けた感覚、感情をそのまま写真に封じ込めている。

だからこそ被写体は皆、同じ時間を過ごした小浪にしか見せない表情を見せるのだろう。それが人であろうと、街であろうと、同じことが言えるのかもしれない。異国の地で小浪の新たな試みが動きだしている。

「住むようになって街の輪郭が少しずつ見えてきて“形に残したい”と思いました」と話す小浪はニューヨークに焦点を当てた撮影を続けている。

「例えば僕が“80年代や90年代のニューヨークのストリートの写真の方が、今の景色よりもいいな”と思うように、今撮っている写真も20年後に誰かが見た時に価値のあるものになっているかもしれない。だから、時間の流れを記録するのは大切だと思います。街の変化を捉えるには、毎日撮ることが必要。無意識に写真を撮れるように最初のうちは意識的にカメラを持って街を歩くようにしていました。そうしていくうちに街のことを知って好きになるんです」

被写体と向き合うことはレンズを介して新しい関係性を構築することだ。その中で、対象である人や街を知り興味を抱く。その過程を繰り返しながら、これからも小浪は写真を撮り続ける。

ニューヨークを写す異国からの視点
「ニューヨークでの生活が日常になり理解し始めたと思っていても、現地の人に写真を見せると“異国からの視点”があると言われるんです。自分にしか見えないものは明確にしたいですね」。被写体との関係を少しずつ深める小浪だからこそ撮れるニューヨークの姿だ。