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写真家・森山大道の言葉

77歳になったいまも、毎日のように路上を歩き時に1日何千枚も写真を撮る写真家、森山大道。誰もがすぐに手に入れられる機材と被写体なのになぜ、“強い写真”を撮り続けられるのか?

Photo&Text: Daido Moriyama

「ひとまず量のない質はない、ただもうそれだけです、ぼくの唯一のメッセージは。」
「写真は光と時間の化石である」
「まあ、カメラで日記をつけているようなものなんだ。」
「写真を一枚撮るということは、自分の欲望を一つ見つけること、対象化することですから。」
「でもまあ、写真の魅力っていうのを箇条書き風に言うと、通りすぎる一瞬の時間を記録できること。複製のメディアであること。存在そのものが色っぽいこと。事物を暴く能力を持っていること。世界を開示できること。」
「暑い夏の炎天下、街が真っ白に見えて、まつ毛の汗で風景がにじみます。そんなクラクラするときに写真を撮るのがぼくは一番好きです。」
「欲望の涯しない循環、それがほかならない写真だと思っています。」
「ミューズは優しいかもしれないけど、写真の神さまはおっかないから」
「新宿を撮る、というよりも新宿で撮る」

「個人の勝手な欲望から生まれたものにリアリティを見たときに、初めて人は感動してくれるんだよ。」
「展覧会という形式の見せ方は、本当はあまり好きじゃないんです。」
「ぼくはほとんどカメラを買わないカメラマンなんだ。」
「つまり写し絵だからさ、写真は。」
「写した街の記憶と、経験と直感でネガを見るだけで、試し焼きもなしでいきなりプリントに入っちゃうんだ。」
「写真の本質はアノニマスにあると思うけどさ、やっぱり、体質とか性癖とか出ちゃうよね。」
「だってカメラマンって、究極のところ人間の被害史の目撃者というか立ち合い人でしょう?だから写真が好きなわけです。」
「実はもう世界のすべてはあらかじめ写しつくされているんだ、という感覚をぼくはいつも気持ちの隅っこに持っていてね。そして、カメラという複製ツールができてからは、もう外界は何重にも何層にも複写されつくしている。」
(以上、『昼の学校 夜の学校+』平凡社ライブラリーより)

森山大道 新宿の写真
1966年あたりから森山は新宿を撮り続けている。「大阪から出てきて、初めて途方に暮れたのが新宿だったんだ。ホームグラウンドな気分はあるけれど新宿がすごく好きかって言われると、“?”という気分もある。でもさ、いろいろな出会いをくれた場所ではあるね」

「そんなふうに僕の写真が、日本中のあちらこちらをひとり歩きをしてくれると、いいなあと思っている。」
「オレの写真ってあんなにたくさん被害者作ってやるほどのことだったのかなって、スマン!ってね。」
「タテ位置のほうが、ずばっといさぎよいというか。やっぱりヨコ位置はちょっと余分な感じがあって、左右をストンと切りたくなるんだよね。その気ならいくらでも詰められる。」
「写真が、カメラマンがアートなんぞを志向したら、それはもう、自殺だよ。アートの連中が、カメラを使うのは勝手だけど、カメラマンが、カメラ使ってアートするなよ。」
「だいたい五、六時間くらい歩くと、まあいいかなって」
(以上、『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』青弓社より)

「永遠の洗い直しだからさ、世界の。」
「どんなにいい展覧会とか個展を美術館で見ても、美術館を出たあとの外の景色のほうがよっぽどアートしているよね。」
「ぼくにとって、あらゆる街角、路上というのはミュージアムだし、シアターだし、ライブラリーだし、ステージみたいなものだっていう前提がいつもあります。」
「写真もちっちゃい嘘をいっぱいつくよ。遠くから眺めたら結構大きな嘘をついてたりして。」
(以上、『森山大道、写真を語る』青弓社より)

「ひたすら写真を写しつづけることで自分を捜してきたような気がします」
(『週刊文春』2003年12月11日号 文藝春秋より)

「商店街を撮るときは必ず往復すること。僕は必ずそうしている」
(『路上スナップのススメ』光文社より)

「写真とは時間を〈定着〉する行為である。決して世界を〈表現〉する行為ではない。」
(『写真との対話』青弓社より)

「写真は時間をとめてしまう装置であること。これってやはり、決定的なことじゃないですか。人間は時間をとめてみたいという欲望を、ずっと抱えてきたはずでしょう。それができてしまうんだから。僕は毎日、眼の前のものをとめたくてとめたくてしょうがない」
(『アサヒカメラ』2010年6月号 朝日新聞出版より)

「そして人間は真実にうれしいときはまたかぎりなく寂しいものだということを、その夜しみじみと思い知った。」
(『遠野物語』光文社文庫より)

「他人の写真をチラチラ見て、そのつど『どうってことねえヤ』と自分を勇気づけた。」
「その人ひとりに向けて撮り、七十枚のプリントを作ったのである。」
「そして機関銃の速射のようにカメラのシャッターを切るのが面白くてしかたがなかったころ、僕はその小説『路上』に出会った。」
(以上、『犬の記憶』河出文庫より)

「ぼくはネットなんかでごちゃごちゃ云われても全然気にしないし、ましてや改心なんかありえないし」(笑)。
「週刊誌でも、送られてくるファッション誌でも。いっぱい複写して密かに収集している。」
「カメラマンが街頭に出なくなったら、写真はそこで終わりになる、というのがぼくのいちばん単純かつ古典的な答えだね。」
「人がいて、街がある以上、そこにカメラマンがいないとダメでしょう。」
「しょせん、写したものは世界で世界をコピーしたにすぎないんだから。」
『写真は複製メディアだからエディションはない』というのが基本でしょう。」
(以上、『PHOTO GRAPHICA 2009 AUTUMN VOL.16』インプレスコミュニケーションズより)

「ぼくの一等シンプルな写真論は、『写真とは想い出である』のひと言である。」
(『実験室からの眺め』河出書房新社より)

写真家 森山大道 ニューヨークの写真
「アンディ・ウォーホルがいる街、そうニューヨークはやっぱり僕の憧れの場所なんだ」。1971年、横尾忠則と訪れた。「横尾さんには、“あなたは毎日飽きもせず、犬が道におしっこをかけるみたいに、同じところばかり、うろうろしていますね”と言われたよ」