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「坂本は僕のメンターだった」。Oneohtrix Point Neverだけが知っている坂本龍一

アーティストに愛されるアーティストだった坂本龍一。現代美術の巨匠から中国の若手バンドまで、分野も年代もさまざまな彼らは、坂本とどんな会話を交わし、何を受け取ってきたのか。世界中の才能たちに、「わたしだけが知っている坂本龍一」を聞きました。電子音楽のカリスマ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが知る坂本龍一とは?

本記事は、BRUTUS「わたしが知らない坂本龍一。」(2024年12月16日発売)掲載の内容を拡大して特別公開中。詳しくはこちら

photo: Andrew Strasser / text&edit: Sogo Hiraiwa / translation: Mariko Sakamoto

電子音楽、ノイズ、アンビエント音楽といった実験音楽のカリスマとして一挙一動に注目が集まるワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)ことダニエル・ロパティン。自身の作品のみならず、ザ・ウィークエンドの音楽プロデュースや『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』といった映画の劇伴制作など近年活躍の場を広げている彼だが、そのマルチな音楽的探求の門前には“坂本龍一”という先達の存在があった。

——坂本さんの音楽との最初の出会いは?

Oneohtrix Point Never

大学生の頃だったかな、クリスチャン・フェネスを聴き込んだ時期があってね。2000年代の初め頃かな。彼は坂本とよく協働していたから、それを通じてだったと思う。あの頃の僕はメロディックなアンビエント音楽に傾倒していたから、当然彼に辿り着くわけだよ。それから彼の過去のソロ作品にのめり込んでいったんだ。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のメンバーだと知ったのはその後だね。でも「RYDEEN」は昔から好きで自作のミックステープに必ず入れていたよ。ただし、スピードを落としてね(笑)。

——(笑)。

OPN

そんなわけで……いやだから、ネットの普及で情報がいくらでも手に入る以前は、今みたいに全体像を把握するのは簡単じゃなかったんだよ。だから僕は、坂本さんの幅広いプロジェクトの相関関係をすべて認識していたわけじゃなかったし、映画のスコアにしてもごく自然に出会ったんだ。映画を観たら彼の名前がクレジットされていて、「おっ、坂本さんだ!彼のレコードをこの前聴いたな!」みたいな。そんな具合に、とにかくナチュラルな成り行きだった。

——最初に坂本さんと会ったのはいつでしたか?

OPN

初めて対面したのは2016年、コネチカット州のニュー・ケイナンにあるフィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」で彼が行ったライブでだった。あれはカールステン・ニコライとのデュオ・プロジェクトで、後に『Glass』として音源化されているけど、僕はその録音されたパフォーマンスを観客として聴いていたんだ。

「Glass」
フィリップ・ジョンソンの名作建築“ガラスの家”で催された坂本とアルヴァ・ノトの演奏を記録した一枚。2016年、そのパフォーマンス会場に一観客として来ていたOPNは終演後、坂本との初対面を果たす。「その時もらった名刺は財布に大切にしまってあるよ」。

——じゃあ終演後、楽屋に挨拶に行ったとか?

OPN

まさかと思うだろうけど、その逆でね。あれはカールステンのおかげだった。彼は友人で、演奏の後に「坂本が、君に自己紹介したがっているんだけど」と声をかけきたんだ。緊張したよね。もしかして、おちょくってる?みたいな。

——(笑)。

OPN

でも、カールステンは「いや、ほんとだってば!」と。で、挨拶しに行ったら、本物が目の前に腰かけていて。彼は本当に優しかった。「息子から君の音楽を教えられたんだ。実にすばらしいね」と言ってくれてね。そのときに名刺ももらったんだけど、いまだに財布の中に大事にしまってあるよ。

坂本のドライなユーモア感覚

——ビョークの家で一緒にブランチを食べたこともあったとか。

OPN

ああ!うんうん。ヨハン・ヨハンソンもいたよ。

——食事をしながら、どんな会話を交わしたか覚えてますか?

OPN

クハハハッ! あのときは、1日何時間スタジオで過ごすかを比べっこしたね。それから、音楽にのめり込んでいながら、パートナーや恋人の気分を害さないでいるにはどうすればいいか、とか。

——良い解決策は見つかりましたか?

OPN

どだい無理だよね。僕らみたいな音楽家はどうやったってムズムズしてしまうんだ。僕らにはどこか欠陥があるんだよ。時に、何日もぶっ通しでスタジオにこもったりするからね。つまり、僕らは誰がいちばんタチの悪い「重病人」か比べ合っていたわけ。全員、かなりの重症だったけどね(笑)。

——坂本さんとのやりとりのなかで、印象に残っていることは?

OPN

彼が僕にかけてくれた思いやりだろうね。それから彼の一種の皮肉屋なところ。自己卑下気味なユーモア・センスというのかな、たとえば、自分の演奏について彼は「いやあ、あの演奏はトチっちゃってさ」なんて言うんだけど、実際は美しくて文句のつけようのない演奏だったりしてさ。自分をネタにしてひそかに笑っていたというかね。ドライなユーモア・センスを備えた人だった。

物静かなんだけれども、ときたまサラッと、穏やかな口調でおもしろいことをつぶやくんだよ。そのことに気づいたのは楽しかったね。そういう面ってある意味、本当に親しくなってやっと理解できるものだから。

——そうですね。

OPN

それと、彼の謙虚さも印象に残ってる。彼は本当に、ものすごく穏やかで、リアルな人間だった。大物ぶるビッグ・スター様でもなかったし、とにかく自分のやるべきことに集中していたね。

——坂本さんの作品で特に好きなものは?

OPN

『エスペラント』かな。奇妙で、実にアメイジングなアルバムなんだ。MIDI/サンプリングを多用しているし、彼がピアノから離れてみた、という意味でもおもしろい。サンプリングを通じた自己表現としても、本当に興味深いやり口だよ。

「あの作品を作っていたとき、あなたは何を考えていたんですか?」とメールで質問したこともあった。彼の返事は「ああ、あれ?別にどうってことないよ」みたいなノリでさ。「新しいフェアライトのシンセサイザーを入手したばかりだったから、それで遊んでみただけ」って(笑)。

だから、そこなんだよねえ、彼の「自己卑下気味なユーモア」で僕が言わんとしているのは。

「Esperanto」
架空の民族音楽というコンセプトの下、サンプリング音源やシンセサイザーのフェアライトCMIを導入し、テクノの手法をエスニック音楽に落とし込んだ1985年のアルバム。「坂本がピアノから離れたらどうなるか、という点でとても興味深い一枚だと思う」。

——1980年代にYMOの面々とテレビでお笑いをやったりもしていました。日本では「教授」の愛称で親しまれていましたが、ユーモラスな側面もある。

OPN

彼はこういう反応をすると思うよ。「私のルックスにだまされちゃいけません」って(笑)。

——なるほど。

OPN

それから『L.O.L.(Lack of Love)』もよく聴き返すよ。僕はビデオゲーム音楽に目がないからさ。あれはアンビエント寄りの音楽だね。ほんと、彼のスローな音楽が大好きでさ。彼の音源の一部には「スペース・エイジのラウンジ・ミュージック」みたいな趣があるんだ。メロディ群が中空に一時停止して、サウンドとともに軌道を漂っていく、というか。そこでは、メロディと同じくらい、質感とサウンドにも重みがある。僕にとって、坂本さんのその手のレコードは格別なんだ。

「L.O.L.(LACK OF LOVE)」
坂本が西健一と共同プロデュースしたドリームキャストのゲーム作品のサントラ盤。「よく聴き返す大好きなレコードだよ。アンビエント寄りの音楽だね。“スペースエイジのラウンジミュージック”とも言えるかも。彼のスローな音楽は特に好きだね」。

西洋クラシックの美学とカオスを融合させた音楽の先達

——坂本さんの仕事から受けた影響があれば教えてください。

OPN

音楽以上に、キャリア全体に影響を受けているね。もちろん、音楽そのものもすばらしいんだよ。ただ、彼が作曲家としてひとつの道を邁進するのではなく、ポピュラー・ミュージックから前衛音楽、映画音楽からコラボレーションまで、さまざまなことに挑戦していた点が刺激的で、より鼓舞される。というのもそのおかげで、僕も同じようにいろんなことをやっていいんだって許可が下りたように感じたんだからね。

たとえば、自分が心惹かれる映画監督のスコアを担当してみようだとか、他のミュージシャンとコラボしてみようかな、とか。坂本さんはよく他のミュージシャンとコラボしていたよね。その協働ぶりが僕にはとても興味深いんだ。トーマス・ドルビーみたいなエレクトロニック・アーティストとの共作(「フィールドワーク」)ですらおもしろいし、かと思えばグループの一員にもなれるし、ソロでも活動することも……という具合で、自らを絶え間なく作り直すのは可能なんだ。

いろんなことに取り組んでも、非常に高度なレベルで音楽は作れるし、かつ品位を保つこともできる。要するに、いろんなアプローチで自己表現をするということだよね。ポピュラー・ミュージックから前衛音楽、そしてその他なんだって、自分のやりたいことをやってみる。そんな彼のキャリアの変遷はつねにインスピレーションを与えてくれるよ。

それからもうひとつ。サウンド全般に対する彼の姿勢からは刺激を受けているよ。坂本さんは真の意味で、印象主義の画家だったと思う。モダンな音楽作曲でそれをやってのけたんだ。

——というと?

OPN

彼はつねに周囲の環境を見渡し、そうした環境音によるサウンドトラックが命ずるところに自らのコンポジションを委ねる人だった。単に「都市のサウンドに影響されている」というレベルの話ではなく、本当の意味でね。

環境のサウンドに耳を傾けるというのは一体どういうことなのかを彼は熟慮していたんだ。というか、音楽的にあるべき「これ」といったルールを遵守することすらなく、ただひたすら、形式を忘れてテクスチャーが全体を乗っ取るのに委ねるんだ。

だから坂本さんは、コンポジション面における伝統的な美、それこそ彼の愛した西洋クラシック音楽における美に近いもの(彼はバッハやサティといった面々の音楽に並々ならぬ愛情を抱いていたわけだし)とカオスに対する理解・評価、そのふたつのバランスをとるのが最高にうまい人だったと僕は感じるね。で、それらふたつを翻訳することで、美しく並置してみせた。

それは彼の極めた技だったし、彼が僕に引き寄せられたのも、たぶんそこだったんじゃないかと思う。というのも、そうした面に強烈な興味を抱く作曲家は多くないからさ。だけど、僕からすれば、僕がそのモードで音楽に取り組むことに確信めいたものを抱けるようになったのは彼によるところが大きいんだ。その道を切り拓いて地固めしたのが他ならぬ坂本さんなんだからね。

——音楽家としての先達だったんですね。

彼は僕に惜しみなく時間を割いて、メンター役を引き受けてくれたからね。それは、言葉では言い表せないほど大きな贈り物だった。僕たちのコミュニケーションはもっぱらメールを通じてだったけど、時にはかなり突っ込んだ対話にもなってね。

僕はユダヤ人なんだけど、ユダヤ人は彼みたいに誠実で尊敬される人のことを「メントシュ」と呼ぶんだ。日本のみんなは坂本龍一を自分たちの同胞と呼べることを誇りにしていいと思う。彼は真の意味で音楽を心から愛していた人だったし、どの節目においても真剣に音楽を発展させようとしていたからね。彼はとにかくグレイト・ガイだったし、すばらしい作曲家で、うん、メントシュだったね。

別の戦争を闘う、ふたりの兵士

——メールでやりとりするなかで、新しい音楽や音楽家について紹介したり、リコメンドするようなことはあったのでしょうか?たとえば、あなたから坂本さんに「この人のアルバムを聴いてみて」というような……。

OPN

いや、それはない!ノー、ノー!彼には僕の音楽だけ聴いてほしかったから。そういうことは話さなかったよ。おすすめといえば、ワインかな。僕はワインについてはこれっぽっちも知らなかったけど、彼がみっちり教えてくれてね。それを機に僕はワインを掘っていくようになったんだ。やがて彼の自宅にワインを送りつけるようになったくらいでさ(笑)。まあ、僕たちはただ、ダラダラと話を続けていたんだよ。

——音楽を通じて「対話」ができるので、メールのような改まったコミュニケーションの場では、音楽以外のことを話題にしていた?

OPN

まあ、そういうことになるんだろうね。だから、僕らはいわば、別の戦争で闘ってる、ふたりの兵士なんだ。だから会っても、「見ろよ、この傷跡!」云々の自慢合戦はしないわけ。そうじゃなくて、「やあ、調子はどう?」「君の子どもは元気?」みたいな何気ない会話になるものだよ。

——あなたも映画音楽を手がけていますが、坂本さんと劇伴について話したことはありますか?

OPN

いいや、それはなかったと思う。たぶん僕は、その手の話題に関してはちょっと気後れしてしまったんだろうな。というのも、彼の映画音楽は実にすばらしいと思っているし、一方で自分はまだ駆け出しだから。そこは悲しいね。生前に彼とそこらへんの話をしておけたら良かったなと思う。でも、テクニカル面での質問はしょっちゅうぶつけていたけどね。たとえば、こういう類いのリクエストにはどう対処すればいいですか、って。

——でも坂本さんは、あなたとアンドレイ・タルコフスキーについて話したことがあると語っています。

OPN

ああ、映画のなかで自然(ネイチャー)のいろんな要素に大きな「声」を持たせていたという面で、タルコフスキーがいかにラディカルだったかについて話したね。彼は自然を時間そのものに干渉させ、かつ時間を支配させてもいた。実際、その自然の要素はとても音楽的なんだ。タルコフスキーが自分の映画に極めてミニマルな音楽を採用しているのはそれが理由なんじゃないかな。彼の編集の仕方そのものも、ひとつの音楽のフォルムだしね。

でも、ミニマルでありながらもメロディアスに感じられる音楽なんだよね。僕の音楽の基本傾向というのは過剰・過負荷なわけで。だから、余分なものを取り去るという点で、タルコフスキーには多くを教わったよ。そして、坂本さんがその達人であることも承知していた。年を取るにしたがって彼はどんどんその方向に向かっていったよね。

それから坂本さんとは、映画の持つ形式的な特徴から何を学べるかという話もした。つまり、タルコフスキー映画のスコア云々ではなくて、彼の映画の持つ雰囲気(ムード)から自分たちは何をつかみ、自分の音楽にどう活かせるかをね。それはだから、映画のスコアとはまったく関係のない、アーティストに関する話だったね。

——未来の世代の人たちに、坂本さんが残したものをどのように受け取ってほしいですか?

OPN

僕ら人類が存在するかぎり、彼の音楽は存在し続けるだろうね。彼の音楽は本当にスペシャルだから。膨大な量の音楽を残してくれたわけだから、じっくり時間をかけて、その中に分け入っていくのがいいと思う。そうやって、彼のパーソナリティに備わった多彩な面をチェックしていくんだ。というのも彼は、「良い人生を生きた人」のお手本とでもいうのかな、実にさまざまな物事にトライしたし、多彩な事柄を相手にすばらしい実験の数々も行った。だから僕から言えるのは、心をオープンにして、じっくり焦らず、彼が僕たちに遺してくれたものをエンジョイしようよ、ということだね。

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