大森克己
作品を拝見していると、時折、人の写真が出てくるじゃないですか。それは親しい人だったりするんですか?
山上新平
最初のシリーズだけは身内で作ろうと決めていて、それ以外の方は街で声をかけるところから写真だと思って、自分で声をかけています。
大森
そもそもは、知らない人。
山上
はい。知らないからこそ、グッと踏み込めたかもしれません。
大森
モノクロとカラーの写真があるけど、これは、カラーが先?
山上
いえ、モノクロを6年くらい撮っていて、被写体から本当にいろいろなものをもらいながら撮影した感覚があったので、最後にカラーで恩返ししようと思ったんです。
大森
めちゃくちゃ大雑把に聞いてしまうけれど、最近はどんなものを撮ってるんですか?
山上
ヌードとか地面とか、虫とか近所のおばさんが飼っている鳥とか、大きいものではなく、小さなものをきちんと見るっていうことをやっている気がします。
僕が大森さんに写真を見ていただきたいと思ったのは、祖母がきっかけなんです。祖父が寝たきりで、片目だけ見えているから「写真を撮って見せてみたら?」とおばあちゃんに言われて、僕は写真を始めたんですね。
隣に住んでいたので祖母にいろんな写真集を見せてたんですが、唯一、大森さんの『すべては初めて起こる』だけは「良い本だねえ」って。
大森
去年、山上さんが(ギャラリーの)〈POETIC SCAPE〉で展示をされる前に、(造本家の)町口(覚)くんから写真集を献本していただいて、実は封も開けずにずっと寝かしていたんです。
展示を拝見してから写真集の封を開いたら、山上さんからのとても丁寧な手紙が入っていて、おばあさんの話だったり、作品とは直接関係のない事柄がきっかけで「写真集を送ります」と書いてあった。これは何か巧妙な罠かなと(笑)。
いや、巡り合わせとして、手紙を読む前にフラットな状態で作品を観られたのが、僕にはよかったという話です。
〈POETIC SCAPE〉で拝見したのは、モノクロの諧調の海で、森の写真以上に抽象度が高い。入ってすぐ左のところに、海だなってわかるものがあったけど、あの写真がなかったら気をつけて見ないと海だとはわからないかもしれない。
抽象度の高い作品がまず頭にあって、今日、山上さんの作品を見せていただいて、ふと人物の写真があった時、これは誰なんだ?って思ってしまう。モノとか人との距離感が、不思議だなって思った。
実は写真集を見た後、蝶々のプリントが観たいと思ったの。写真集の表紙に一枚だけカラーで軽やかなトーンの蝶々の写真があって、でも中面はほとんど真っ黒というか抽象度の高い作品。
つまり、入口か出口かわからないけれど「これは蝶だよな」って自分が見ている世界と重なる作品が、補助線としてある。いい悪いの話ではなく、展示では、蝶々のプリントがなかったから、純粋にもっと見たいと思ったんだよね。
山上
あれは(造本をお願いした)町口さんのアイデアで、表紙は蝶だと。自身の眼差しの変容の中で、海の前に蝶を撮っていたことが僕にとっては大事だったので、その要素も少し混ぜておく。中を開くと全然違うものっていう考え方だと言っていました。
あの波の展示に関しては、抽象のギリギリのところを攻めて、なんとなく認知できる、そういう波の写真で自分の足元をぐらつかせたいっていう思いをギャラリストの方と相談しながら作ったんです。
今日見ていただいた作品も含めて、20代の頃は、被写体を凝視しながら、ものすごく密度濃くやっていたんですね。
人にもほとんど出会えなくて、誰にも見られない作品がたまっていくことで窒息しそうになる瞬間もありつつ、とにかく「自分の目で何が見たいのか」というより、「僕という命の目で何ができるんだろう」っていうことを徹底的にやっていた。
それで28歳の時、初めて作品を見てもらったのが町口さんなんです。
被写体に向ける視線の変遷
山上
凝視するように森と向き合っていた眼差しが、海に行くとまったく通用しなかった。波は常に流動的で、今までやってきた目がまったく利かなくて、これは大変なことになったなって。
でも足元で撮っていない被写体って海だけだったから、なんとかやり切りたい。海へ向かう直前に撮っていたのが、動きの読めない蝶だったんです。その時、自分の目を少し変えたんですね。
写真を撮る時に捕まえるっていう言い方がありますけど、触れるだけでいいんじゃないかと。寝ている子供の頬に触れるだけでも、感じることがいっぱいあるはず。
凝視する目では、子供を起こさなきゃいけない。受動的に眺めるというか。公園で遊ぶ孫を見守るおじいちゃんのテンションに近いような目線。
そうやって見たら、蝶の像が変わったんです。その視線を波にも展開しつつ、凝視するロジックも角度とか間とか、解釈を変えたりしているうちに、少しずつ自分の目のフェーズが変わって、波が撮れたんです。
僕は鎌倉の生まれで、でも悲しいことに鎌倉がまったく好きではなくて、だから足元を見ていた。七里ヶ浜の海で、周りが騒がしい中で、撮る前提も僕にとってはなかなかハードでした。
大森
あまり動かない。動けないのか、動かないのかはわからないけど、それがまず面白いですよね。限られた範囲の中で、仮に森と海が違うとして、流れている時間が違うことに気づくっていうのが面白い。
森の写真を観ると、まったくの自然っていうわけでもなく、時折、人間の痕跡が見えたりもする。
さっき作品を観ながら、山上さんは『M-1グランプリ』観たりするのかな?って思ったんだよね(笑)。セブン−イレブンのカレーパンを食べたりするかなって。
つまり、そういう現実というか、異なる世界が一方ではあるわけで、でも、この波のシリーズが山上さんの基準だとすると、そこには『M-1』もカレーパンも含まれない。
でも、そもそも写真って自分の見たいものを見ているわけだから。ただ、写真の外側にある、音とかありようは、めちゃくちゃ気になりましたね。山上さんのおばあさんが僕の写真集を見てくれていたっていうこともその一つかもしれないし。でもそれは写真に写っていないじゃないですか。
もちろん僕も見たいものだけを見ているし、自分がいっぱいいっぱいで見られないものもたくさんあって、むしろそっちの方が世の中は多いから。山上さんの写真との向き合い方に興味がある。
「面白い」を知ってしまった
大森
20代、病気だったっておっしゃっていたけど、こんなにきっちり写真が撮れているんだから、「写真にとっては病気も悪くないのかも?」って、勝手に乱暴に思ってしまったりもする。
山上
来年、京都の嵯峨のギャラリーで展示があるんですが、人けのない雑木林に滞在させるから、もう一回、あの状態で撮ってって言われてます(笑)。
大森
すごいオファーだ(笑)。
山上
宿命だったら、使命になると思っているんです。鎌倉で生まれたっていう事実と同じくらい、病っていうものも、僕にとってはネガティブなものではなくて、あれだけ内向的に何かを突き詰めていけば、そうなるよなと。
逆にそこまで潜れたことが、自分の力の一つになっているんですね。今は、その深部や暗さっていうものの質も変わってきています。
ただ、初動があそこでよかった。あの頃は、写真で笑ってはいけないって思っていたんです。写真は血まみれになりながらやるものなんだって、どこか強迫観念があった気がします。自分は朽ちても、写真だけ残ればいいって強く思っていた。でも、少しずつ写真が引っ張ってくれて、変わりつつあります。
去年、町口さんと一緒にパリ・フォトに行ったんですが、そこで初めて、面白いっていうことを知ってしまった。作ることを面白がっていいんだと、パリで電車に乗っている時に初めて思ったんです。
今まで見ないようにしていた、いわゆる俗っぽいものも見たくなったし、そっち側でもしも自分の命を使う場所があれば行ってみたい。その面白さは多分、色気とか、そういう類いの気配とまったく同じなんだろうなって。
大森
今日、見せていただいた作品にも色気はありますけど、電車でそういうことを思うっていう場所の力もすごいよね。
山上
僕はプロセスにおいては、情のようなものを乗せる方だと思うんです。でも写真においては逆で、自分の何かを見せたいというよりは写真を見せたいだけなんです。
写真は写真で、自分ではない。いろんな思いを背負いながら、それを転換して写真に起こしている感じです。