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〈オーガニックベース〉奥津爾に聞く、タネの大事な話

東京・吉祥寺で、奥津爾さんが「土と台所の間」をコンセプトに妻と立ち上げた〈オーガニックベース〉。幅広い活動を先鋭的に進めてきた、いわばオーガニックのプロ中のプロだが、自家採種農家の岩崎政利さんとの出会いで、何もかもが変わる。雲仙に移り住み、〈タネト〉を開いて、種の大事を説く奥津さんに話を聞く。

Photo: Keisuke Fukamizu / Text: Michiko Watanabe

これ、平家きゅうりって名前なんですけど、茶色くてずんぐりしてて、色も形もとてもキュウリとは思えないでしょ?宮崎の椎葉村という平家の残党が辿り着いた村で、100歳近いおばあちゃんがずっと守ってきたものなんです。その種を岩崎さんが託されて、この地で育てた。鎌倉時代から受け継がれてきたかもしれない種なんて、ロマンですよね。

そもそも、家族全員で雲仙に移り住んで、この直売所〈タネト〉を開くことになったのは、その岩崎さんとの出会いがあったからなんです。岩崎さんは40年以上も前から、雲仙をはじめ、全国から譲り受けた在来種の野菜を80種も、奥様とたった2人で自家採種しながら育てるという、歴史上、誰もやったことがないことを成し遂げたパイオニアです。

東京 吉祥寺〈オーガニックベース〉運営の直売所〈タネト〉
POPもかわいい。いちいちセンスがいい。

自家採種とは、自分が栽培した作物の中から次代につなぎたい特性を持つ株を見極めて、畑の一角に植えておき、収穫期が来ても花が咲くまで待って種を採る方法です。ほんの100年前までは普通にやっていた方法なんだけど、現代にそれをやろうと思うと、とてつもなく手間がかかる。種が交雑しないように、畑を分散させる必要もある。だから、なかなかに難しく、激減したんです。

2013年の春に、在来種だけのマーケット〈種市〉を吉祥寺の店で開いたんですけど、そこで岩崎さんに話をしてもらったんです。その話にものすごく衝撃を受けた。オーガニック農家の人って、周囲との軋轢の中で闘ってきた人が多いから、発信が上手で、弁も立つ。

ところが、岩崎さんは違ってた。あまり多くは語らないけど、その一言一言が重い。これぞ本物のプロという人だった。いかに種を守り、よりよい野菜を作って次につなぐかに人生を懸けている。ムチャクチャかっこいいと思いました。そして、そのとき食べた岩崎さんの野菜のおいしさね。まったくの別次元。素晴らしかった。

それまで、オーガニック野菜を広める努力をしてきたし、種の大事さも伝えたいと思ってやってきたつもりだったけど、自分の理解なんて、いかに表面的で浅薄だったのかと思い知らされました。

その2ヵ月後に親戚の結婚式で長崎に家族で行くことがあって、たまたま岩崎さんの畑の近くだったので、見せてもらいに行ったんです。ちょうどニンジンの白い花が満開でした。現在、私たちが口にするほとんどの野菜は、サイズも形も味も均一になるよう改良されたF1種。

オーガニックであっても、F1種であることが多い。F1というのは雑種第一代(first filial generation)という意味で、初代が一番優れているんです。2代目はガクッと劣る。種を蒔いてもちゃんと育たないから、収穫を終えたらさっさと片づけちゃう。ニンジンの花なんて見たことなかったわけです。

僕が見たのは種を採るための花で、次代へつなぐ循環の中にあった。その何ともいえない美しさと力強さ。心打たれました。それが、岩崎さんが長年大切に守り育ててきた黒田五寸人参の畑でした。

ここに住もう。そう思いました。それほど感動したんです。岩崎さんの人間性、生き方にも惚れ込み、少しでもそばにいて、学んでいきたいと思ったんです。家族も賛同してくれて、3ヵ月後には雲仙に移り住み、2拠点暮らしが始まりました。岩崎さんは最初、「ホントに来たのか」みたいな顔をして、視線を合わせてくれませんでしたけど(笑)。

種には風土と歴史がインプットされている。

在来種には、遺伝子の中に育った風土が刷り込まれています。旱魃や台風といった、風土の情報がしっかり積み重なって入っている。種そのものがテロワールを表しているんです。かつての日本は、そんな風土に根ざした在来種・固定種が主流でしたから、個性豊かな野菜が各地にあった。その地で守り継がれてきた名もなき野菜も多かったはず。

野菜は生きてる文化、それも身近な、誰もが手に入れることができ、口にすることができる文化です。ところが、最近の野菜はすごい勢いで標準化されていて、まるで工業製品のように画一的になっています。自家採種をする人がいなくなったら、消えてしまう野菜が多いんです。

今、ハイテク種子の改良は果てしない状況です。ゲノム育種も止まらない。育てやすいよう、流通しやすいよう、形や大きさを揃えたり、すべてが人間の都合に合わせた作りになっています。種を蒔いて芽が出て、花が咲いて実を結んで種になる。僕はこのごく当たり前の農業の姿を残したい。決して、その灯を消してはいけない。

そこで、岩崎さんにお願いして、在来種に関する勉強会を開くことにしたんです。『雲仙たねの学校』。種について学べる場をオンデマンドで発信し、実践できる場も作ることにしました。今は困難な状況ではありますけどね。

2013年に移住してから6年。少しずつこの地に馴染んできた19年秋、東京と雲仙の2拠点生活にピリオドを打って、ずっと考えてきた、オーガニックに特化した直売所〈タネト〉を開きました。多くの方は、成り立たないと反対しましたが。ここは場所も悪いんです。街中じゃないし、県庁所在地から1時間以上かかる。

「こんなところでオーガニックの野菜なんて買う人いないよ。うまくいくわけがない」と、中には鼻で笑う人もいました。でも、どうしても直売所を開きたかったんです。

日本の食文化の未来を支える場でありたい。

これまで、オーガニック野菜の消費は、ガストロノミックなレストランとか飲食店が引っ張ってきたと思う。でも、僕は一般家庭の台所に根づかないと意味がないと思ってた。雲仙にも、必ず、わかってくれる人はいると思っていました。

実は、皮肉なことに、岩崎さんの野菜が地元で買えるところはなかったんです。確かに、道の駅とかに持っていっても、無農薬だろうが、農薬を撒いたものだろうが、自家採種だろうが、そんなことは明記されず、同等に並べられるわけですから。近所で揃わないと、市場流通で他県から持ってくる道の駅もあるくらい。どの地方でも、一生懸命作られたオーガニック野菜は、ほとんどが都市部に送られ、地元では手に入らないことになっていたんですね。

岩崎さんも地元はあきらめて、宅配中心だった。だから、僕が直売所をやることに岩崎さんは反対だったんです。地元にはわかってくれる人がいないから、と。岩崎さんの野菜はオーラがあるというのか、見るからに違う。食べれば、もっと違いがわかる。やはり、地元の人にもすぐわかりました。

今、〈タネト〉で扱っているのは、ここから車で20分圏内の農家20軒ぐらいから届けられるもの。半分以上がリタイアしたおじいちゃん、おばあちゃんが作ったものです。ちょこちょこ多品種で作っては、ちょこちょこ持ってきてくれる。頼めば、珍しいイタリア野菜も作ってくれる。

ハーブも常時、10種類ぐらいはある。売り場を完全ノープラスチックにしたので、水を張ってハーブを生けるように置いてるんだけど、元気いっぱい。香りもすごいでしょ。

野菜は多いときで70種以上。端境期で少ないときでも30種はある。こういうご時世でもあるから、買ってくれるのは地元の方がほとんどですけど、珍しいものがあると、ちょっと遠くからでも来てくれる。地元のバーや飲食店でも、使ってくれるようになっている。農家さんにとって売れることは嬉しいから、どんどん作る。いい循環が生まれてます。

オーガニック野菜は、少量多品種で作ることが多いんだけど、小規模だし、大手流通に乗せることは難しい。うちで扱っているのは、ほぼほぼ、今の流通に馴染まないものばかり。岩崎さんの野菜にしても、ただ置いているだけでは見向きもされないかもしれない。

自家採種ってどういうこと?とか、鎌倉時代から続いている種の物語とか、そういう背景が、目の前にある野菜につながっているということを、説明して知ってもらってから、買ってもらうことが大事だと思っています。意識してフックアップしないと、文化が消えてしまいますから。

この平家きゅうりもそうだけど、たった100円余りで、歴史と文化に触れられる。しかも、種入り。放っておくと、どんどん乾燥して、最後に振るとカラカラって音がする。中にある種を蒔けば、ちゃんと芽が出てくるし、実がなる。「この野菜の種を蒔くと育ちますよ」ってお伝えすると、多くのお客さんはびっくりします。種を蒔いてみている方も多いんじゃないかな。

〈タネト〉のような店があれば、地元の農家が活性化するし、地元の人が気づかなかった野菜の価値を発見できる。この店にそれができたのだから、全国どこでもできると思います。その土地の在来種とか、オーガニック野菜を並べる店。そういう店があったら、僕も行きたい。旅行が楽しくなるじゃないですか。

こんなことを言えるのも、岩崎さんのおかげ。彼に会わなかったら、僕はここにはいませんから。この店は小さいけれど、日本に昔からある野菜の豊穣な多様性を未来につなぐ場所でありたい。この地に種を守っていこうとする若い農家が集まり、学び、育っていく。本質的な食文化が日本中に広がっていく。そんな未来を、僕は本気で目指しています。