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前に進むために、無意識に働きかける演劇。「ケア」の視点から文学者・小川公代が読み解く、劇作家・前川知大の世界

非日常的な設定から巧みに物語を導き、共存や他者への想像力など、新たな視点を与える独創的な舞台を作り続ける劇作家、演出家の前川知大さん。11月には世田谷パブリックシアターとタッグを組み、新作『無駄な抵抗』を上演する。文学作品に「ケア」の思想を見出す英米文学者の小川公代さんと語ってもらった。

photo: Satoshi Nagare / text: Tomoko Kurose

小川公代

前川さんの作品には、社会に対して「あがいても仕方がない」と諦めているニヒリズムを抱えた人がよく登場しますね。あらかじめ希望を捨てることで、最終的にうまくいかなくても、それ以上傷つかないという心理がある。

信じてみたら何かが変わるかもしれないのに何もしない。一方「私たちにはできることがある」と理想を語る人も出てきます。

前川知大

日本人は、信じるのがへたになってしまったのではないかと感じています。戦時中、軍国主義に傾倒した後遺症なのかもしれないけれど、信じることに怯えてニヒリスティックになっている。

僕自身は、何かを信奉するタイプではないのですが、信じたい思いはある。物語を書いているとそういう「信じたい」人がどうしても出てきてしまいますね。

小川

ケアの倫理について書いた心理学者のキャロル・ギリガンはそれを少女たちが持つ力に見出しています。家父長的な社会において、本音と建前を使い分ける大人たちに対して、全員のためになることを少女たちは本気で語ろうとする。

前川

夢を語ると夢想家扱いされますし、現実を語る方が賢そうに見えるんですよ。ただ、リアリスティックに問題を指摘ばかりしていても、現状追認にすぎず、前に進まない気がします。

小川

例えば『太陽』という作品では、バイオテロによって人類が滅びかけて、ノクスという変異した優秀な人類が登場します。人間と非人間が出てくると、一般には敵対し戦う物語の方が圧倒的に多い。

ところが『太陽』では、両者の間に友情が芽生えるさまがかなりリアルに描かれます。痛みを伴う友情なのだけれど、「裏切られたら殺されるかもしれない」という状況下で、本気の対話のお手本のようなものが提示されていました。

前川

悪者を倒す物語の方がカタルシスを得やすいし、作りやすい。でも、倒すために悪者を登場させるようで僕はどこか嘘くさく感じてしまいます。物語の中では、対立を避けるような解決法を探したいというのがありましたね。

小川

前作『人魂を届けに』では、世間にテロ集団のように思われている、周縁化された人たちが森に住んでいる。当然、彼らは社会に対して復讐心を持っているだろうと大多数の観客は考える。

ところが、そういう言葉で決めつけられてしまいそうなものを解体し、曖昧でリアルな世界観を見事に作り出されていましたね。

前川

『人魂を〜』では、復讐するという選択肢を一番初めになくしました。その方が物語として面白いと思ったんです。もちろん復讐したい人もいるけれど、森の中が自分の居場所だと思う人もいる。

小川

登場人物たちの独立した声が、互いを打ち消すことなくポリフォニーとして成立している。これは演劇ならではの豊かな表現だと思いました。どちら側の感情にも寄り添うことができる、ある種「宙ぶらりん」にさせられます。

前川

他者に対してわかった気にならない宙吊りの状態「ネガティブ・ケイパビリティ」は、ものを作るうえでは大事なことだなと思いますね。

「問い」をそっと差し込んで

前川

新作の『無駄な抵抗』は『オイディプス王』のアダプテーションになりそうです。主人公は女性にしたのですが。

小川

それは面白そうですね!オイディプス王は「父殺し」。権威としての父への抵抗、あるいはそれが生じさせる葛藤と捉えられますね。

これまで描かれてきたテーマにも繋がりそうです。前川作品は、観るたびに、他者への想像力を広げてくれる「ケア」の思想を感じます。

前川

コロナ禍以降、「わかりやすいものに飛びついちゃいけない」という強い思いがあるんです。

大上段には構えず、物語を楽しんでもらいつつ、ある程度のしっかりした問いをお客さんの無意識にそっと差し込んでいけるようなものをと思いながら作っています。

舞台『無駄な抵抗』メインビジュアル
舞台『無駄な抵抗』撮影:伊藤大介(SIGNO)