古典 → 現代文学
現代語訳の現代性とリアリティがザクザクと更新されている
古典という言葉に身構える人は多い。学生時代の国語の時間に垣間見た、柔らかくもこちらを拒む独特の記号やかな遣い、膨大な注釈にまみれる難しい世界……。そんな印象を剥(は)ぎとって、古典を現在に繋げてくれる現代語訳が増えている。池澤夏樹が編集する『日本文学全集』は、池澤夏樹による『古事記』、川上未映子の『たけくらべ』、円城塔の『雨月物語』などの新訳が話題だ。
講談社が刊行する『[現代版]絵本 御伽草子』シリーズも、中世までに成立した御伽草子を大胆に訳し、個性的な挿絵とともに新しい世界を開陳してみせる。そんな古典新訳ブームのなか、ツイッターを中心に話題と笑いを巻き起こしているのが、町田康が訳す『宇治拾遺物語』だ。
「こぶとり爺さん」や「舌きりすずめ」など、お馴染みの昔話も収録されているのだが、これは、全く違う。誰も読んだことのない『宇治拾遺物語』を生み出した町田康さんに話を聞いた。
「古典って中学、高校時代に習ったときは退屈で辛気臭いようなイメージでした。21~22歳で『臨済録』がパンクで面白い、と音楽仲間と盛り上がったりしつつ、落語を発端に古典を読み始めたのが1980年代半ばくらい。2000年代に入ってからは、『楠木正成』を書いたり『古事記』をベースにした『一言主の神』を書いたり、自分の作品に古典を取り入れることも増えてきた。そして08年に『源氏物語』から『末摘花』を、15年に『宇治拾遺物語』と『付喪神(つくもがみ)』の現代語訳を手がけました」
13世紀から残る『宇治拾遺物語』は、仏教説話ながら笑い話が多い。とはいえやはり原文をノリで読むのは難しい。
対する町田さんは、「この原典は笑いがすべて。それをいかにして伝えるかを一番に考えて、自分も笑いながら訳しました。でも翻案ではなくあくまで翻訳なので、原文を訳すという基本は崩していません。所作の意味や宗教的な言葉など、わかりにくいところは補っていますが、短い話は結構直訳だったりします。まぁ、同じ巻で『日本霊異記』と『発心集』を訳した伊藤比呂美さんには“町田マジ殺す”と言われてしまいましたが(笑)」と語る。
文意を変えず、訳語のセレクトで遊ぶ。古典のイメージをガラリと変えた町田訳は、翻訳そのものの変化を如実に伝えてくれる。
現代語訳のポイントは、「800年ほど前に書かれた『宇治拾遺物語』の登場人物を、自分とあまり変わらない人として捉えること。そうすると彼らが友人や知人のように身近に感じられて、考えや感情の動きがすっとわかるんです。800年前の人が、まさに生々しくそこにいる感じがする。物語の中のキャラクターではなくて本当にこういう人がいて生きていたんだと感じられる。翻訳することで、作品世界に入り込むことで僕は彼らに出会えてしまった。読んだ人にも、出会えた!と思ってもらえたらすごくうれしいです」
「時代の雰囲気については全く意識しなかった」という言葉通り、時代小説でしばしば使われる侍言葉や農民言葉はあえて外し、現代語に移し替える。でも実は学者が読んだら怒られるような、全然違う時代の言葉を混ぜ込んだ“古語訳”を潜ませたりもしてしまう。現代語訳の枠を超えて、日本語の海を泳ぎ回る町田さんにとって、古典を訳すとはどういうことなのだろうか。
「原典が楽譜、訳者は演奏者のようなもの。同じ楽譜でも演奏家によって解釈もスタイルも違ってくるから、聴き比べてみるのもよいし、『宇治拾遺物語』や『付喪神』の現代語訳が面白かったら、次は原典を読んでみるのもいい。多少読みにくいとはいえ、同じ言語で書かれたものが保存されていて出版もされている。原典にアクセスできるって、実はとても幸運なことだと思いますよ」
新たなリアリティをまとった説話と、近代文学の名作を現代語訳で
『宇治拾遺物語』
原文
町田康 訳
『猫のさうし』
原文
堀江敏幸 訳
『たけくらべ』 樋口一葉
原文
川上未映子 訳