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小説世界をもっと面白く。町田康が語る新しい翻訳

翻訳とは、単に言語を別の言語に置き換えるのではなく、それは原典に新たな光を当て物語の別の側面を見せてくれるもの。古典が現代語に、文芸作品がマンガに、海外文学が現在進行形の日本語に形を変え、物語の世界を拡充する。翻訳が新しい。

初出:BRUTUS No.815「夢中の小説。」(2015年12月15日発売)

photo: Shota Matsumoto / text: Hikari Torisawa

古典 → 現代文学

現代語訳の現代性とリアリティがザクザクと更新されている

古典という言葉に身構える人は多い。学生時代の国語の時間に垣間見た、柔らかくもこちらを拒む独特の記号やかな遣い、膨大な注釈にまみれる難しい世界……。そんな印象を剥(は)ぎとって、古典を現在に繋げてくれる現代語訳が増えている。池澤夏樹が編集する『日本文学全集』は、池澤夏樹による『古事記』、川上未映子の『たけくらべ』、円城塔の『雨月物語』などの新訳が話題だ。

講談社が刊行する『[現代版]絵本 御伽草子』シリーズも、中世までに成立した御伽草子を大胆に訳し、個性的な挿絵とともに新しい世界を開陳してみせる。そんな古典新訳ブームのなか、ツイッターを中心に話題と笑いを巻き起こしているのが、町田康が訳す『宇治拾遺物語』だ。

「こぶとり爺さん」や「舌きりすずめ」など、お馴染みの昔話も収録されているのだが、これは、全く違う。誰も読んだことのない『宇治拾遺物語』を生み出した町田康さんに話を聞いた。

「古典って中学、高校時代に習ったときは退屈で辛気臭いようなイメージでした。21~22歳で『臨済録』がパンクで面白い、と音楽仲間と盛り上がったりしつつ、落語を発端に古典を読み始めたのが1980年代半ばくらい。2000年代に入ってからは、『楠木正成』を書いたり『古事記』をベースにした『一言主の神』を書いたり、自分の作品に古典を取り入れることも増えてきた。そして08年に『源氏物語』から『末摘花』を、15年に『宇治拾遺物語』と『付喪神(つくもがみ)』の現代語訳を手がけました」

13世紀から残る『宇治拾遺物語』は、仏教説話ながら笑い話が多い。とはいえやはり原文をノリで読むのは難しい。

対する町田さんは、「この原典は笑いがすべて。それをいかにして伝えるかを一番に考えて、自分も笑いながら訳しました。でも翻案ではなくあくまで翻訳なので、原文を訳すという基本は崩していません。所作の意味や宗教的な言葉など、わかりにくいところは補っていますが、短い話は結構直訳だったりします。まぁ、同じ巻で『日本霊異記』と『発心集』を訳した伊藤比呂美さんには“町田マジ殺す”と言われてしまいましたが(笑)」と語る。

小説家・町田 康

文意を変えず、訳語のセレクトで遊ぶ。古典のイメージをガラリと変えた町田訳は、翻訳そのものの変化を如実に伝えてくれる。

現代語訳のポイントは、「800年ほど前に書かれた『宇治拾遺物語』の登場人物を、自分とあまり変わらない人として捉えること。そうすると彼らが友人や知人のように身近に感じられて、考えや感情の動きがすっとわかるんです。800年前の人が、まさに生々しくそこにいる感じがする。物語の中のキャラクターではなくて本当にこういう人がいて生きていたんだと感じられる。翻訳することで、作品世界に入り込むことで僕は彼らに出会えてしまった。読んだ人にも、出会えた!と思ってもらえたらすごくうれしいです」

「時代の雰囲気については全く意識しなかった」という言葉通り、時代小説でしばしば使われる侍言葉や農民言葉はあえて外し、現代語に移し替える。でも実は学者が読んだら怒られるような、全然違う時代の言葉を混ぜ込んだ“古語訳”を潜ませたりもしてしまう。現代語訳の枠を超えて、日本語の海を泳ぎ回る町田さんにとって、古典を訳すとはどういうことなのだろうか。

「原典が楽譜、訳者は演奏者のようなもの。同じ楽譜でも演奏家によって解釈もスタイルも違ってくるから、聴き比べてみるのもよいし、『宇治拾遺物語』や『付喪神』の現代語訳が面白かったら、次は原典を読んでみるのもいい。多少読みにくいとはいえ、同じ言語で書かれたものが保存されていて出版もされている。原典にアクセスできるって、実はとても幸運なことだと思いますよ」

新たなリアリティをまとった説話と、近代文学の名作を現代語訳で

『宇治拾遺物語』

原文

「こよひの御あそびこそ、いつにもすぐれたれ。たゞし、さもめづらしからんかなでをみばや。」など云(いふ)に、此翁、物の付(つき)たりけるにや、しかるべく神佛の思はせ給けるにや、『あはれ走出(はしりいで)てまはばや』と思ふ

角川ソフィア文庫『宇治拾遺物語』中島悦次校注より

町田康 訳

「最高。今日、最高。でも、オレ的にはちょっと違う感じの踊りも見たいかな」
リーダーがそう言うのを聞いたとき、お爺さんのなかでなにかが弾(はじ)けた。
お爺さんは心の底から思った。
踊りたい。
踊って踊って踊りまくりたい。

『猫のさうし』

原文

殺生をやめられ候へ。其方(そのほう)の食物(しょくぶつ)には、供御(ぐご)に鰹魚(かつうを)をまぜて与へ、また折々は、田作(たつくり)に鯡(にしん)、乾鮭(からざけ)などを、朝夕(てうせき)の餌食(ゑじき)には、いかが

岩波文庫『御伽草子(下)』市古貞次校注より

堀江敏幸 訳

殺生をいますぐやめられることだ、冷や飯にかつおをまぜ、たつくりににしん、さけのひもの、あるいは身体のことをかんがえるならば無用なてんかぶつのはいっていない天竺印のかりかりに鹿の乳をかけたしりあるをためすのもよかろう

『たけくらべ』 樋口一葉

原文

憂き事さま〴〵是(こ)れは何うでも話しのほかの包ましさなれば、誰れに打明けいふ筋ならず、物言はずしておのづと頬の赤うなり、さして何とは言はれねども、次第々々に心細き思ひ、すべて昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひをまうけて物の恥かしさ言ふばかりなく

川上未映子 訳

つらいことがいくつもある。でもそれは、どうしたって話すことができない種類のもので、誰かに言えるようなことじゃない。けれど、黙っていても自然に頬は赤くなるし、べつに誰がどうってことじゃ全然ないのに、でもだんだん心細くなって、昨日までの美登利だったら想像もしなかったはずの思いが体じゅうに渦巻いて、どうしていいのかわからなくなる。