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精神医療の世界を、鋭い視点で優しく眼差す。ベルリンで金熊賞を受賞した珠玉のドキュメンタリー作品

真っすぐに、静かに。そこに生きている人たちに、優しい眼差しでカメラを向けてきたニコラ・フィリベール監督。ろうを生きる人々の世界を捉えた『音のない世界で』(1992年)や、13人しか生徒がいない小さな学校に目を向けた『ぼくの好きな先生』(2002年)はフランス本国はもとより世界中で大ヒットし、大きな感動を呼んだ。そして、新作『アダマン号に乗って』が、第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門で金熊賞を受賞し、日本国内で急遽4月末に公開されることになった。

text: Keiko Kamijo

精神医療の世界を、鋭い視点で優しく眼差す

今回カメラが入ったのは、パリ市内にある精神医療のデイケアセンター〈アダマン〉だ。フィリベール監督が精神医療の世界へとカメラを向けるのは、実は2回目。1996年公開の『すべての些細な事柄』から27年の月日を経て、再度精神医療というテーマに挑んだ理由を伺った。

「96年当時の体験は私にとって忘れられないもので、もう一回撮りたいとずっと思っていました。精神の問題というのは人類そのものを眺めるようなことで、自分たち人間について、人と人の関係について、魂の苦しみとはどういうものなのかについて考えさせられる糸口になる。

精神医療というのは、尽きない源泉だと思っています。アダマンのような場所は、私たちが生きる冷たい世界とは違い、お互いにすごく注意を払い、お互いが言うことに耳を傾けるとても貴重な場です」

アダマンは2010年に開館した。患者や医師の声を取り入れながら設計を進め、セーヌ川に浮かぶ木造で温かみのある不思議な建築物が出来上がった。設計を担当したのは、セーヌ・デザイン。

映画の中でも川面がゆらゆらと揺れているさまが映し出されるが、それは常に揺れ動いている「心」を表しているようでもある。また、朝になると木製のルーバーが自動で開き建物の中に光が取り込まれ、アダマンという建物自体が巨大な生き物のようにも見えてくる。

「ここはパリの中心地にありながらも、水が近いからかすごく穏やかな気持ちにさせてくれる場所なんです。一方でセーヌ川は、砂やセメントを運ぶ船や観光船、警察の船が通ったりと毎日活発に動いていて、ごちゃごちゃとした部分も同時に感じられる。まるで人生のような場所です。

その上に浮かぶアダマンは、木とガラスでできた非常に美しい建築物で、建物自体が心を癒やしてくれる。そして、ルーバーの動きは映画の中でもすごく重要です。外に向かっていろんなものが開かれていくというメタファーとなっています。“アダマン”というのはダイヤモンドを意味し、“屈しない(断固として)”という意味もある。

名前の最終候補に『ユートピア』があったそうだけど、それは違う。この世界は本当に存在していて、医療のシステムや精神の問題、経済至上主義や成果主義という私たちを押しつぶそうとするものに絶対に屈しない。すごく合っていると思う」

映画の冒頭で「人間爆弾」という歌を力強く歌うフランソワ、オリジナルソング「Just Open the Door(Never Say Never)」をピアノで弾き語るフレデリック、ほかにも絵を描いたり、踊ったり、クロスワードパズルを解いたり、会話をしたり。

そしてカメラの前で、病状の辛さや見た目の違いで差別を受けること、病気のせいで実の子供にも会えないことを吐露する。映画の中では特に大きな事件は起こらない。クライマックスを意図的に作ったりせずに、心の揺れと対峙しながら日々を過ごす人々の姿を優しく見つめる。

「精神に問題を抱えている人はとても繊細で知的、文化的な才能や教養のある人も多い。アダマンでは、彼らのことを病人ではなく、複雑な人格を持った一個人として尊重している。だからミーティングの場では、医師や患者関係なく誰でも自由に意見が言える。私にとって重要だったのは、誰が医師で誰が患者かを名指ししないこと。

私たちは“人”なんだ。人の間に人がいる、それだけなんです。人を分類に閉じ込めないこと。それは今の時代、とても重要なことだと思います」

ニコラ・
フィリベール
©Jean-Michel Sicot
『アダマン号に乗って』本予告/ナレーション 内田 也哉子

ニコラ・フィリベールの根幹を作った3本

『チャップリンの伯爵』

チャールズ・チャップリン監督の作品。仕立屋見習いが伯爵に扮してパーティへ行くというドタバタ劇で、子供時代に繰り返し観た。「彼のヒューマニズム、詩的情緒豊かな感性、作品の普遍性、先見性に魅せられた」。1916年。

『奇跡』

デンマーク孤高の映画作家カール・テオドア・ドライヤー監督作。父が開催したシネクラブで10代に観た。「母国語とは異なる言語を聞き、見たことのない風景や人間を発見すること。私にとってそれは旅のような体験だった」。1954年。

『勝手にしやがれ』

「初めて観た時の衝撃は半端じゃなかった 激烈な爆発体験という感じ。自由の風が吹き抜け、従来の古典的な語り口を一瞬にしてこっぱみじんに粉砕し、状況を一変させたかのようだった」。ジャン=リュック・ゴダール監督。1960年。