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シェフ・生江史伸が歩きながら考える

「歩く」ことと「考える」ことの親和性の高さは周知の事実だが、歩くフィールドが山になることは、考える行為に何かしら影響を及ぼすものなのだろうか。様々な形で山と関わってきた人が、歩きながら考え、辿り着いた真理とは。

photo: Kazuharu Igarashi / text: Ikuko Hyodo

食材を知り、高まった解像度。海に潜って感じる、山の豊かさ

「市中の山居」をコンセプトに掲げる、西麻布のフレンチレストラン〈レフェルヴェソンス〉。エグゼクティブシェフの生江史伸さんが、料理人として「目が開くような経験だった」と振り返るのが、北海道・洞爺湖にかつてあった〈ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン〉で働いた5年間だ。

ミシェル・ブラスは、ピレネー山脈の中腹にあるライヨール村でオーベルジュを営む、フランス料理界の巨匠。キノコや野草、木の実など、天然の食材を積極的に取り入れるスタイルで知られている。

「僕がミシェル・ブラスのことを初めて知ったのは、ニューヨークの料理本を専門にした書店でした。そこに彼の本がディスプレイされていたのですが、見たことのない野草やハーブを使った料理で、完全に引き込まれてしまいました。そしてライヨールと気候が似ている北海道で、彼がレストランを始めることを知り、2002年に飛び込んだのです」

当時、出勤途中で日課にしていたのが食材調達。といっても市場に行くのではなく、山や森、海辺を歩き、山菜やキノコなどを探す作業だ。

「最初は知識がなかったので、野草辞典を頼りに採って、キッチンに持ち帰ったら“これはトリカブトじゃないか⁉捨ててこい!”と怒られたものです(笑)。見たことのないもの、食べたことのないものばかりで、それらを認識する力がなければ、たとえ目に入ったとしても景色の一つにしか映らない。まさに未知との遭遇で、受け入れてもらえるかどうか自然から試験を叩きつけられている高揚感がありました」

一つ一つの植物の名前を照合し、食べられるかどうかを調べ、おいしさを引き出す調理法を身につけることで、野山という景色の解像度がどんどん上がっていった。今でも山や森に分け入る行為には、宝探しの楽しさが染みついている。

「だから歩きながら、どうしても足元ばかり見てしまうし、車で山道を運転するときも、つい側道の方に目が行く癖が抜けません。山菜に限ったことではないですが、一般的に知られていないような珍しい食材を扱えるのは、料理人として大きなアドバンテージになります。“これって何?”と言われるのは、僕らとしては“してやったり”なんですよね」

〈レフェルヴェソンス〉エグゼクティブシェフ・生江史伸

渡英を経て、2010年に〈レフェルヴェソンス〉をオープン。生活のベースは都市になったが、コロナ禍中、鎌倉に住まいを移し、自然を身近に感じる暮らしを再び享受。ここ数年は、山と海のつながりをより強く意識するようになっている。

「フリーダイビングをしていて、今日も葉山の海に潜ってきました。それもあって今は、海側から山との関わりを考えることが多いかもしれません。海に潜るとよくわかるのですが、多様な生き物が生息している海は、大抵その対面に豊かな山があります。

はやま三ヶ岡山緑地のように雑木林に覆われた山には、人間の目に見える生き物だけでなく、目に見えない微生物もたくさん息づいていて、その下に広がる海にいろんな栄養分が流れ込んでいます。僕の好きな奄美大島も、山頂から海を見下ろすと本当に自然が豊かで、森が海を養っている姿が感動的なほど伝わってくるんです」

海外からシェフが来日した際、各地の案内役を担うことが多いという生江さん。日本の地形を見たシェフたちが驚くのが、山と海の近さだ。

「ヨーロッパが顕著ですが、例えばピレネー山脈やアルプス山脈は、海からかなり離れた内陸部に聳(そび)えているのに対して、日本は海のすぐそばに山がある。当たり前の風景として捉えていましたが、それが日本の特徴だと逆に教えてもらいました」

山を歩いて海を意識し、海に潜って山を感じる。接近したり俯瞰したり、視点を変えてみることで、知らなかった山の姿が見えてくる。