“被写体”として、“撮影者”として。仲野太賀の写真の話

photo: Taiga Nakano, Yusuke Abe / styling: Dai Ishii / hair&make: Masaki Takahashi / text: Rio Hirai / edit: Taichi Abe

仲野太賀は13歳で役者の仕事を始めるよりも早く、自分のカメラを手に入れた。撮影者と被写体、両方の気持ちがわかるようになった今、彼にとって写真を撮ることは「肯定する行為」だという。ファインダー越しに何を見つめているのか。

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俳優の仲野太賀は、「これまでに人の写真をたくさん撮ってきたのに矛盾しているんですけれど」と前置きしながら「僕自身は撮影されるのがあまり得意じゃなかったんです」と告白した。10代から続けてきた写真は、趣味の域を超えている。親友である菅田将暉のアルバムジャケットをはじめ、仕事として写真を撮影する機会もある。一方、俳優としても多忙を極め、2023年は、10月だけでも出演映画が2本公開、出演する連続ドラマもスタートした。“撮られる”ことには慣れているかと思いきや、その心情は意外なものだった。

「カメラを介して対峙するのって緊張感がありますよね。時代的にも撮ったものを拡散しやすくなって、プライベートなものが公になる機会も増えた。写真を撮影するのは、やり方によっては暴力的な行為にもなり得るじゃないですか」。そう語る太賀だが、2017年にはもともとファンだったという川島小鳥と写真集『道』を作った。1年間かけて撮られる経験を重ねていくうちに、太賀の中で写真を撮る行為の意義がより明確になったようだ。

「“今撮られたくないな”とか逆に“今撮ってほしいな”というのを実感しているからこそ、自分が撮影する時には相手が受け入れてくれる時にシャッターを切りたいんです。それは相手が取り繕っているところしか撮れないということかもしれないし、何かを暴くようなセンセーショナルな写真にはならないかもしれないけれど、その方が相手が喜んでくれる写真が撮れていると思うから」

ただそこにいる、自然な姿に惹かれた
肉眼で見つめているよりも写真を介した方が、その人がまとう空気を色濃く感じるというのは太賀の言葉。実の祖母のなにげない姿が印象的な一枚だ。
「この、受け入れているでもなく拒絶しているわけでもない佇まいが絶妙ですよね。プリントしてみて“撮れちゃってた”と思った写真です。祖母に見せたら喜んでくれました」

目に見えない空気や感情もフィルムに焼き付けられる

撮った写真を見た相手が喜んでくれる。それは太賀が写真を初めてプリントした時に芽生えたモチベーションの一つ。

「当時の恋人を撮影して、写真をプレゼントしたらとても喜んでくれて。自分が撮ったものでこんなに人を楽しませられるんだと嬉しかったんです」。写真が人の気持ちにどう作用するかをよく知っているからこそ、人一倍慎重だ。

「自分が撮られるのに苦手意識を持っていたのも、自分に自信がないとか、そんな自分を残されたくないという心情だったと思うんです。それが(川島)小鳥さんと一緒に作品を作る過程で変化していった。写真家って、良いと思った時にシャッターを切るじゃないですか。そうやって撮れた自分の写真を見せてもらって、確かに素敵だなと思えた。撮影を重ねることで自分という人間が肯定されていく感覚があったんです。だから僕もシャッターを切ることで、そうやって相手を肯定したいと思っているのかもしれないな」

偶発的な光景にシャッターを切らされた
肯定する気持ちを込めてシャッターを切るのは、人だけでなく風景や街も対象に含まれる。旅をしていたアフリカでも同じだ。
「旅先にはいつもカメラを持っていきます。良い瞬間を撮り逃したくないんですよね。この時は入り江に打ちつけられる波の泡と少年たちの背中のコントラストが美しくて、急いでカメラを構えました」
目に見えている以上のものを捉えたい
「中国で目にした国旗を掲げる人々です。普通の日だったけれど広場にはこんな大人や子供がたくさんいて、この国を象徴するような光景なのかなと思ったんです」。
旅先の光景にシャッターを切るが、「正面からは撮れない」と太賀は言う。背中を追いかけるビジターの視点が、景色をより新鮮にフィルムに焼き付けているようだ。

13歳で俳優としてデビューした太賀だが、カメラデビューはもっと早い。幼少期に頻繁に訪れていた親友の家が写真館を営んでいたそうで、太賀にとってカメラは「大人が使う憧れの道具」だった。小学生の時にお年玉を貯めて初めてデジタルカメラを購入。中学生になり、フィルムカメラを購入し、プリントする楽しみを覚え、より深く写真にのめり込む。

「デジタルで撮影すれば撮影後に調整ができるし、そうやって理想に近づけていく方法があると思うのですが、当時はそこまでできなくて。フィルムカメラだと、シャッターを切ればその場の空気までもが写し出されるようで、つたない自分なりに“撮れた!”と思えて嬉しかったんです」

街中でカメラを片手に歩く。数台持つうちの一台のカメラは、今回の撮影を担当したフォトグラファーの阿部裕介経由で修理に出しているとのこと。彼にとって、カメラは生活の必需品の一つだ。

作為の先にある偶発的な“撮れちゃった”瞬間が好き

それからはカメラを持ち歩くようになり、写真が人の目に触れる機会も増えていく。今では雑誌でポートレートの連載も持つ。

「写真に関しては、自分はいつまでもアマチュアだと思っているんですよね。プロは限られた条件の中でも良い写真を撮れないといけない。でも僕は、作為的なもののもうちょっと先にある、舞い込んでくるシャッターチャンスを待ちたいと思ってしまって……。良い写真を撮るための環境の作り方をまだわかっていないんですよ。あくまで、偶発性に期待しているし、そうして“撮れちゃった”時の高揚感が好きなんです」

この日持参したプリントもそんな「撮れちゃった」写真たちだ。被写体が人であれ風景であれ、そのすべてにファインダーを覗き込む太賀の温かい視線を感じる。

「どの写真も、撮影した時のことは強く印象に残っています。“撮れちゃった”と思う写真は、無意識にシャッターを切らされているというか、心が動いて撮らざるを得ない瞬間だったりする。そうして写し出されたものは、被写体になってくれた人にも見せたくなる。あなたはあなたが思っている以上に素敵だしそれが写っていますよ、って伝えたい。やっぱり肯定したいんですよね」