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『中島みゆきのオールナイトニッポン』という伝説。1987年3月31日午前3時過ぎ、 有楽町に群衆を集めた出来事とは?

ラジオ深夜放送が華やかなりし1980年代。「わかれうた」「悪女」など手がけた失恋歌のイメージと、底抜けに明るいトークのギャップで人気を博したパーソナリティ、中島みゆきがいた。

illustration: more rock art all / text: Ai Sakamoto

最終回に
1000人が集結。

8年間にわたり、毎週月曜日に放送された『中島みゆきのオールナイトニッポン』が最終回を迎えた1987年3月31日未明、東京・有楽町にあるニッポン放送前には全国から熱狂的なリスナー約1000人が集まった。

放送開始2時間前には手に手にラジオを持った500人以上の出待ちの人垣が完成。午前1時〜3時の放送時間中「最後っ屁ハガキを読みまくる」と宣言した中島のトークに耳を傾けた。

放送終了後、姿を現した彼女はレッドカーペットの上に設えられたマイクでリスナーに挨拶。リムジンで颯爽と走り去った。卒業の理由は、音楽に専念するため。放送最後の言葉は「こんばんは、中島みゆきです」だった。

『中島みゆきのオールナイトニッポン』番組スケジュール表
番組はほとんどフリースタイル。月曜25時から放送のため日付は翌火曜。

初のゲストは
ユーミンでした。

番組は、豪華なゲストが訪れることでも話題になった。80年6月9日、初のゲストコーナーに出演したのは松任谷由実。当時、ニューミュージック界の二大女王として君臨する2人の共演は画期的だった。

それぞれが手がける楽曲から“シリアスなみゆき”と“ポップなユーミン”という図式を頭に描きがちだが、パーソナリティとしての2人はいずれ劣らぬ毒舌家。

北海道でのコンサートがハプニング続きだった際、ステージでユーミンが「これは中島みゆきの怨念だ(笑)」と言ったと話すなど、その話題は中島の住む北海道から、ハンドマイクの使い方、ユーミンの結婚生活まで及び、丁々発止のやりとりが続いた。

その後も、甲斐よしひろ、尾崎豊といったミュージシャンをはじめ、明石家さんま、ビートたけし、松坂慶子、魔夜峰央など各界の大物が出演。最終回には、引き継ぎと称して後任のデーモン小暮がラジオなのにフルメイクで登場した。

吉野家の
牛丼のこと。

中島みゆきは、吉野家の牛丼好きということに世間ではなっている。79年発表のアルバム『親愛なる者へ』に収録された「狼になりたい」にも、明け方の吉野家が登場。

それを受けて、同年4月2日の初回放送時には、吉野家の牛丼を食べながら番組に寄せられた電報を読むという企画が行われた。
松任谷由実がゲスト出演した際には、中島が「吉野家の制服を着ていた」とユーミンが後に述懐。「当時、凝っていて長靴まで揃えた」と中島は返している。

2004年、BSEで牛丼の販売が休止された際には、中島が牛丼を買い占めているといった噂や、公式サイトに「牛丼関係の取材はお断りしています」という注意書きが出たという話が広まったが、もちろんいずれも都市伝説。本人はきっぱりと否定している。

8年間で欠席は
わずか2回。

ラジオスターとしての中島みゆきの資質を見出したのは、『オールナイトニッポン』黎明期の名物パーソナリティで、当時プロデューサーであった亀渕昭信である。

『オールナイト』出演に際して、中島はできる限り有楽町からの生放送にこだわったという。そのため、ツアー時には地方のラジオ局を間借りすることもしばしば。
札幌、松山、福岡、那覇などから放送されている。8年の間で欠席は、80年12月29日と85年8月12日のわずか2回。

前者は風邪でダウンし、所ジョージ、クリスタルキング、谷山浩子がピンチヒッターで出演。翌週は大事をとり、札幌から生放送された。
一方、後者は日航機墜落事故の当日。珍しく収録だったこともあり、上柳昌彦アナのニュースに差し替わった。

糸井重里との
華麗なる競演。

『週刊文春』の人気企画と連動した放送も行われた。コラボしたのは、糸井重里が読者から寄せられたコピーを講評する「萬流コピー塾」。

家元の糸井と番頭を名乗る春風亭小朝が番組にゲスト出演し、そのやりとりの模様が同誌にも掲載されている。
作品は番組と誌面の両方で募集。この日のお題は「独身のススメ」。番組内で作品を読まれた人には、萬流Tシャツや、みゆきのあくしゅ券など豪華プレゼントが贈られた。

『片思い』中島みゆき 著
『週刊文春』で紹介された放送の様子は、中島みゆきの著書『片想い』(新潮文庫)にも掲載されている。

幻のあくしゅ券、
お見せします。

初回放送時、中島自身から発表された番組オリジナルのプレゼント、「みゆきのあくしゅ券」。
その日、最も心に響いたハガキを寄せた人に贈られるグッズで、原則いつでもどこでも中島みゆきと握手できるというプラチナ券である。

ただし、実際に握手してもらうためには、いくつかの工程を踏んだうえで、採用されたネタを言う必要があり、本人と遭遇する可能性の低さとも相まって、握手への道のりは遠かったもようだ。

あんなコーナー、
こんなコーナー。

シリアスな楽曲とは対照的に、底抜けに明るいトークで人気を呼んだ中島。番組コーナーも、そんな彼女の魅力を存分に引き出した。

家族の笑えるエピソードを紹介する「家族の肖像」、懺悔の気持ちを投稿する「メンネの日記」、自虐的なネタ満載の「ひとり上手」、禁断の「ニューミュージック楽屋話」など。
中には午前2時になると、どんな状況でも「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」が流れる「定刻の逆襲」というのも。

『中島みゆきのオールナイトニッポン』最終回 有楽町の様子
最終回終了後のニッポン放送夜間通用口前。ディレクターがサプライズで用意したリムジンに中島は、かなり驚いたという。