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名古屋に根付く「モーニング」文化。その起源は、茶の湯にあった?

よく耳にする名古屋の「モーニング」はただの朝食ではない。食文化、というか名古屋そのものだ。トーストはセットになっているのではなくあくまでサービス。これを理解せずして、名古屋の街を歩くことはできない。

初出:BRUTUS No.895「名古屋の正解」(2019年6月15日発売)

photo: Hidenobu Saji / text: Toshiyuki Otake

名古屋モーニングの背景に尾張藩政期からの茶の湯の文化あり!

コーヒーを注ぐ様子
名古屋喫茶のコーヒーは深煎りで苦味が強いのが主流。

名古屋の朝はモーニングである。そりゃ、朝だから当たり前だろ!と全国からツッコミが入りそうだが、ここで言うのは喫茶店のモーニングサービスのこと。コーヒーを注文するとトーストやゆで卵などが無料でついてくるシステムで、名古屋ではこれが一般化し、かつこよなく愛されているため、「モーニング」という略称で通じるようになっている。

このサービスは喫茶店以外の分野にも広まっている(うどん屋がコーヒーや茶碗蒸しをつけるとか、中にはクリーニング店が朝の時間帯に値引きするなんてケースも)。さらにはモーニングといいながら一日中おまけをつける喫茶店まであり、「モーニング」=お得なサービス全般を指す言葉に転化しているほど。お値打ち大好きな名古屋人にとって、「モーニング」は無条件に得した気分になれる甘美な響きを持ったフレーズなのだ。

繊維業者を通して一宮から名古屋へ伝播

モーニングの発祥は昭和30年代の一宮市(名古屋から北へ10㎞ほどの愛知県北西部の街)というのが通説。一宮は繊維業が盛んで、当時は特にその最盛期。機織り機の音が騒々しい社内では引きも切らない商談に対応することができず、機屋さんはこぞって近所の喫茶店を応接室代わりに利用した。そんなひいき筋に少しでも還元しようと、ある店がピーナッツとゆで卵をコーヒーに添えるように。これが周辺にも広がり、朝食代わりになるモーニングサービスに発展したと伝えられる。

そして、一宮の繊維業者が商品を卸す先は、日本三大繊維問屋街の一つ、名古屋の長者町繊維街だった。ここで一宮生まれのモーニングが問屋街の喫茶店に伝わったことは想像に難くない。昭和30〜50年代は喫茶店の開業ラッシュで、特に店数が多かった名古屋では、このサービスが差別化にうってつけだと積極的に採用されるようになったのだ。

ちなみに愛知県東部の豊橋市でも一宮とほぼ同時期にモーニングが始まったとされるが(こちらは駅前に繁華街があり、夜勤明けの水商売の従業員に朝食をつけたのが始まり)、一宮と比べて距離の隔たりが大きく、名古屋モーニングのルーツは一宮と考えた方が無理がないだろう。

こうした時代性を考えると、名古屋市内でも実はモーニングを採用していない喫茶店もそれなりにあることにも説明がつく。例えば当欄でも紹介している〈コンパル〉には無料でつくモーニングサービスはなく、あるのは別料金が必要なモーニングセット。これは同店が昭和22(1947)年創業とモーニングよりも歴史が古く、このような老舗にとっては「モーニングはうちより後にできた店がお客をつかむために始めた新しいサービス」という認識があったのだろう。

コンパル大須本店 店内
コンパル大須本店。人気エリア・大須の中心部にあり週末は若い観光客で賑わうが、平日の朝は地元の常連中心で、まったりとした空気と穏やかな活気に包まれる。

名古屋人がケチだから……の風評は誤解

さて、名古屋という街そのものが何かと誤解されがちなのと同様、モーニングもまた誤ったイメージを抱かれることが少なくない。その最たるは「名古屋人はケチでがめついからコーヒーにもおまけをつけないと納得しない。だからモーニングが広まった」との風評(?)。しかし、先の発祥のいきさつからもわかるように、そもそもは店主のお客に対する気遣いが原点。決してお客が「何かつけてちょ〜」と要求して始まったものではないのである。

そして、この気遣いの根底にあるのは、名古屋に根づいている茶の湯の文化、そしてそこから育まれてきたおもてなしの心である!……というのが筆者の唱える「モーニング=茶の湯起源説」である。

名古屋は尾張徳川家の藩政期から、武家や商人の間で茶道が盛んだった。加えて、木曽三川の豊富な水、広大な濃尾平野の豊かな土壌、高い晴天率といった自然環境に恵まれて農業の生産性が高かったおかげで、大きな飢饉がほとんどなかった。そのため庶民の暮らしにも比較的ゆとりがあり、町人も番茶や煎茶に親しんでいたといわれる。名古屋の茶の湯の民衆化ぶりについては、昭和初期の文献にも驚きをもって記されているし、また戦前までは多くの農家に野点(のだて)の道具があり、農作業の間に“一服”する習慣が浸透していたとも伝えられる。

戦後、産業構造が変わって製造業や会社勤めが主流になっても、人々の心の奥底には一服を求める精神性が息づいていて、それに応える形で、全国でもとりわけ喫茶店が数多く誕生した。名古屋が「喫茶店王国」と呼ばれるほどその店数が多いのは、喫茶店全盛期に都市部にしては土地代が安く出店しやすかったからだともいわれるが、そんな合理的な理由だけでは決してない。茶の湯の文化がバックボーンにあるからこそ、そこかしこで喫茶店が必要とされたのであり、同時に喫茶店側に、来てくれる人に満足してもらいたいというおもてなしの心があった。だからこそモーニングが生まれ、そして普及していったのである。

名古屋ライターである私が言うといささか(甚だ?)我田引水に思われるかもしれないが、こんなふうに考えると、名古屋のモーニングはこの地ならではの歴史や精神に基づいたれっきとした文化といえる気がしないだろうか。そして、喫茶店ですするコーヒーの味わい、そしてモーニングのありがたみも、いっそう心に染みるんじゃなかろうか。