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〈名越スタジオ〉名越稔洋の、思い出のゲーム。『龍が如く』

ゲーマーを魅了してやまない名作の作り手が、どんなゲームで遊び、育ってきたのかを知りたい!〈名越スタジオ〉名越稔洋さんを作り上げた思い出のタイトル、ゲーム作りの心構えについて尋ねました。

illustration: Shuichi Hayashida / text: Neo Iida

ゲームクリエイター:〈名越スタジオ〉名越稔洋

林田秀一 イラスト
なごし・としひろ/東京造形大学映画学科卒業後、1989年にセガ入社。94年、アーケードのドライブゲーム『デイトナUSA』をプロデュースする。『モンキーボール』シリーズなどを手がけ、2005年『龍が如く』を開発。21年、セガを退社し、22年名越スタジオ設立。新作作りに勤しむ。

思い出のゲーム

ゲーム『龍が如く』
龍が如く

世間への逆張りでターゲットを絞り込んだ、業界初の任侠ゲーム

90年代の終わり頃から、ゲームの売り上げの上位に海外作品が目立つようになってきました。するとどのゲーム会社も満遍なく売れるものをと画策して、これでは海外では売れないとか、ライトゲーマーはやらないとか、より幅広い層を意識し始めた。私は「ゲームを作る=単にマスに媚びる」になったら、そんなつまらないことはないとジレンマを抱きました。

『龍が如く』は、そんな風潮への逆張りから生まれたゲームです。海外を捨て、女性や子供からの人気も考えなかった。ターゲットを絞ることでどこにもないものが作れると思ったんですよね。全体の数字は減っても、本当にこのゲームをやりたいと思ってくれる層に支持されれば、結構な数字は残るはず。ゲームには狙い方次第でいろんな選択があると証明したかったんです。そうやって作り続けた結果、海外のユーザーも女性ファンも増えてきました。

よく「任侠モノやバイオレンス系の映画がお好きなんですよね?」と言われるんですけど、実はそうでもないんですよ。ハッピーエンドの温かい映画が好きですし(笑)。でも東映の任侠映画みたいな世界観って、日本人のエンタメの嗜好としてDNAに刷り込まれている気がして。唯一欠けていたのがゲームというだけで、ドラマにも漫画にも存在するジャンルですよね。

だから大コケはしないだろうという読みはありました。ただ東映の世界観のまま作ってはいけないから、『龍が如く』では今っぽさを出しました。舞台を発売年と同じ年にして、リアルタイムにその時々の社会現象や事件をネタとして放り込んだ。街にはドン・キホーテやコンビニがあって細部まで作り込まれている。

さらにビートたけしさんや哀川翔さん、堤真一さんといった実在の俳優陣も登場します。現実と地続きの世界が広がっていながら、ちゃんとゲームとしての手触りもある、その不思議なギャップを作りたかったんです。

業界に入るまであまりゲームで遊んでこなかった私が、最初に自分の手でヒットさせたのはアーケードゲームの『デイトナUSA』でした。レースを追体験するシミュレーターだったので、ゲーム的な発想じゃなくても、現実で感じた体験や感動をゲームに置き換えられた。今もリアルで感じたものをゲーム化したいなと思っています。

名越さんの代表作

ゲーム『デイトナUSA』
デイトナUSA
ゲーム『JUDGE EYES:死神の遺言』
JUDGE EYES:死神の遺言