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長井短が綴る“生活”。ドキュメンタリー『人生フルーツ』を観て

2016年の公開から現在まで、いつもどこかで上映されている『人生フルーツ』。老夫婦のみずみずしい日々を切り取った名作を、長井短さんの感性はどう捉えるのだろう。長井さん一人の上映会を行い、感想を綴ってもらった。

Photo: Taro Hirayama / Text: Mijika Nagai / Styling: TAKASHI / Hair&make: Yukari Kozono

凪ぐ凪ぐ人生。

文/長井短

夢は何かを聞かれることは多くて、幼稚園でも中学校でも、大人になった今でも聞かれる。私はその度「役者」とか「ラジオDJ」とかいろんな職業を答えていたけど、その回答の中に生活はない。全ての夢は生活の上に立っているはずなのに、夢からは生活の匂いがしないのだ。奇妙。

夢は職業なんだろうか。夢はラブストーリーなんだろうか。そんな時もあったのかもしれないけれど、今、私が「夢」という言葉を聞いた時に想像するのは鮮烈な点ではなく、うっすらとした線だ。

『人生フルーツ』は、凪のような映画だった。静かで温かく、淡々とした毎日。生きることに照準を合わせた生活。それを見ることは少ない。私たちは毎日、生きる以外のことに忙しいからだ。
「生きる」はほとんど前提に成り下がっていて、その上に立つ努力とか、自己実現のようなものにばかり時間を取られる。

あと助成金の申請。生きるために助成金申請をしてるのか、助成金申請をするために生きているのかわからなくなるほどだ。あ〜無理無理そんなのやってらんないっすよと思うけれどやるしかなくて、デスクトップにはホカホカのPDFが並ぶ。

モデル、女優・長井短
ロンパース¥21,000(doublet/ENKEL TEL:03-6812-9897)、カーディガン¥29,000(LITTLEMAINANA TEL:080-4947-3969)、その他スタイリスト私物

津端さんちの食卓にはホカホカご飯が並んでるのに。比べてしまう。どうして我が家は津端家じゃないんだろう。あんな風に生活を送りたいのに。映画を観た帰り道、自分の生活の情けなさに参ってしまい軽率に野菜を爆買いした。こういうことじゃないだろなってわかりながらも、抑えられなかった。

キッチンに並んだナス、大根、ピーマン、ししとう、玉ねぎなどなどは絵力があって、これがここにあるだけで、私も生きるために生きている心地がする。モデルハウスに謎のパプリカがあるのはこういう理由なのねと一人納得して、ご飯を作る。いつもよりたくさんのおかずが並ぶ食卓に亀島君(←好きぴ)は笑って、私はそれが嬉しい。

野菜は腐った。この間までピカピカだったナスはIKEAのプラスチック容器の中でひっそりと死んでいて、ここに来なければ美味しく頂かれたかもしれないナスを思うとやりきれない。野菜の死の上に成り立つ津端家風の生活なんてマジでクソで、私は目が覚める。

ドキュメンタリー『人生フルーツ』

私の苗字は亀島。津端ではない。憧れを追いかけて生きることは、生活のない夢を見ているのと同じで、私はもうそれをやめにしたい。叶うとか叶わないとかじゃなくて、ただただ実感の続く毎日を送りたい。それがたとえ、誰からも素敵に見えない毎日だとしても。

津端家を羨ましく思う気持ちはもちろん今もあるけれど、それはそれ。これはこれ。うちはうち。よそはよそ。私には私なりの生きるがあるはずで、それは絶対オリジナルで、憧れの中にはない。ろくでもない時間にカップ麺を食べて後悔しても、それが今の私の生きるってことなのだ。なんだかんだ、そういう夜のことも愛しているし。

良い暮らしをしようとか、こんな風になりたいみたいな夢の気配が生活から去ると、毎日は凪ぐ。今、原稿を書いている目線の先にある本棚に、細く西日が当たっていることが嬉しい。その光の中で舞っている埃が綺麗だと思う。でもアレルギーが出るから埃のない国に行きたい。

ドキュメンタリー『人生フルーツ』
互いの名を「さん付け」で呼び合う津端夫婦。「お金は使ってしまえばなくなるけど、土は耕していれば、残せる」と英子さん。

あぁ、また夢を見た。でもこの夢はオッケーな気がして、だって私はその国でも、今と同じ光の中で言葉を紡いでいるはずだから。そしてこの西日だけは、どこの家でも同じだろう。憧れの津端家も、まだ会ったことのないあなたの家も、同じ西日に包まれる。

もしかしたら生きるなんて、それくらいのことでいいのかもしれない。あとのほとんどは生きるための手段。私はただ、目の前の光を見つめる。明日も明後日も、見つめ続ける。料理をしたり、コンビニに行ったり、時にはレストランにも行ったりしながら、食べて、光を浴びて、眠る。