フィルムに傷や指紋を付けないように、つなぎ目が切れないように、扱いに細心の注意を払う。映写機にかけると、カラカラと音を立てて上映がスタートした。映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で幼いトトがひき寄せられた、あの暗い部屋と同じだ。
映写技師の村岡由佳子さんに初めて観た映画は何かを問うと、記憶が曖昧で作品を覚えていないという。「ただ、そのときの映画館の情景と、幼い自分が抱いた恐怖感は今でもよみがえってくる」。暗くて、大きい音がして、目の前に映し出される知らない世界が現実と交錯する恐怖。
「だけど、映画館の空間が好きになった。いろいろな人が同じ目的を持って、同じ時間に集まって、一緒にいるのに、観客席に座ると一人になれる」
スクリーンと自分は一対一の関係でも、周りの空気感から興奮の熱気が伝わってくる。そこに住みたいと思うくらいに好きになって、映写技師になった。
「最初は、大学時代に地元の山口で映画チケットのもぎりのアルバイト。映写室が聖域のように感じられて、憧れがありました」
時を同じくして、デジタル素材(Degital Cinema Package=DCP)での上映が主流となり始めて、映写の技術を学びたいと思っていた村岡さんは危機感を覚えた。
「フィルムをかけている名画座を探したり、働かせてほしいとあちらこちらに電話したり」。働き口を見つけるのは簡単ではなかったが、ベテランの映写技師たちが、いろいろな技術を教えてくれた。「私には、たくさんの師匠がいます」。それぞれの映写機によって、車の運転と同じようにオートマだったりマニュアルだったり。古い機械には、歯車でカタカタとフィルムを回すものもある。
「まずはフィルムのループ(たるみ)をちゃんとつくっていく。このコマで音を読み取り、その20コマ後ろで映像を読み取る。映像と音がずれないようにするためです」。スクリーンを確認する村岡さんの表情に、厳しさが増す。「好きだからやっていますが、仕事ですから。あるベテランの師匠から言われた、映写でご飯を食べている自覚を持てという言葉が心に残っています」
その映画がつくられた年代によってフィルムの厚みが違うと、それだけでピントがずれることもあって、油断はならない。また、一本の映画は何巻ものフィルムに分かれているので、上映中も目が離せない。映写技師へのサインとして、チェンジマークが画面の右上に出る。手動で映写機を切り替える現場では、1個目のチェンジマークで次巻の映写機を回し始めて、2個目が出たら切り替える。
「フィルム一巻の重さは3~4キロ、生まれたての赤ちゃんを抱いているような感じです。7巻ものだと、全部で21キロ。腰を痛めてしまうので、一度では運べません」
この映写室がある国立映画アーカイブは、日本で唯一の国立映画専門機関として、国内外の映画フィルムや関連資料を収集し、復元し、保存している。上映会や展示物の公開には、映画の文化を愛するファンが集う。
「自分の作品が上映されると必ず観に来られる監督さんもいて、今日の映写は良かったよと声をかけていただくときもあります」。映画という作品をお客様に届ける最後を担うのが、映写技師の仕事。「うまく届けられたのだとしたら、役割を果たせて、素直に嬉しいです」。
フィルムで観る映画は、デジタルで観るよりも格段にリアル。
「汗ばんだ人の肌の質感とか、フィルムならでは。色味、緻密さ、すごく贅沢に感じます。それをもっと映写して、フィルム映画を愛する人が増えてほしい」。映写の仕事に就いている人は、村岡さんの世代では数えるほどしかいない。それでも、さらに若い人たちにもフィルム映画の映写技術を伝えていきたい。「映画の全盛期を知るベテランの映写技師さんが高齢化していて、そのころの話を聞けるのは、もう今しかない」。
映画は時代を映し出す。ある世代の技術、ある世代の思い。映写室から放たれる光と影を見やりながら、村岡さんは、それを引き継ぐ懸け橋になろうとしている。