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手は口ほどに #8:記憶に残る美味しさをつくる、女性の餃子職人

働く手は、その人の仕事ぶりと生きてきた人生を、雄弁に物語る。達人、途上にある人、歩み始めた若者。いろいろな道を行く人たちの声にゆっくりと耳を傾けるポートレート&インタビュー連載。

photo: Masanori Akao / edit&text: Teruhiro Yamamoto

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餡を入れた皮を手に包み込み、親指でギュッと押さえると、美しく閉じられた餃子ができる。吉村さんが作る餃子には、皮の閉じ口にヒダがない。「重なっている部分が固くなるから、こちらの方が食べやすいんです」。

皮の元となる捏ね上げた小麦の大玉を、前の日から仕込んで水分と硬さを管理し、その大玉を調理台に出して少し温まってきたら、小さな玉状にして棒で伸ばして皮にしていく。大玉の段階で水分量がしっかりと考えられているから、水をつけなくても、手の温度で優しくギュッとすると、きれいに閉じ口がくっつく。

市販の皮ではこうはいかないが、丁寧に作られた自家製の皮だからなせる業。「皮に特別なレシピはないです。粉プラス塩だけ」。そうはいうが、北海道の小麦粉を何種類か取り寄せてブレンドしている。

「国産を使うと、皮から小麦の香りがしてきます。これは、私ではなくて生産者さんの力」。話している間にも、美しい所作の手は働くことをやめない。

ふと気づくと、重ねられた木のトレイの上に、形も大きさも揃った餃子が次々と並べられている。

吉村さんは、中国の吉林省に残された日本人残留孤児だった母と共に1995年に日本にやってきた。手作り餃子の店〈吉春〉を開いたのは2020年。その間は、普通に事務の仕事をしていたという。

たまに町内会の盆踊り大会で餃子屋台を出すと、珍しさもあって人気を集めていた。「日本に戻る前に8年間ホテルで働いて、点心を作る仕事をしていましたから」。

中国の家庭では、ご飯のように、水餃子を主食として食べる。「水餃子は焼いていないから油も少なく健康的。柔らかいから、お子さんにもお年寄りにも女性にもいいんです。日本は焼き餃子の方が多いですよね」。

豚肉、ニラ、キャベツが入った「吉春餃子」が定番で、水餃子と焼き餃子の両方がある。その他に、白菜餃子、ピーマン餃子、ネギ餃子、海老餃子といった10種を常備。特別メニューとして、季節の野菜を使う餃子も壁に貼り出される。取材した日のイチオシは、信州の長芋と大葉の餃子。

「飽きないように工夫しています。日本人は、旬のものが好きですから。身体にいい旬の素材で、春にはフキノトウとか」。店のある調布辺りは、畑がまだ多い。夏にはトマトやキュウリなど地元の採れたてを使う。

餃子を包むのは、お姉さん吉村千恵子さんの役割。茹でたり、焼いたり、火のまわりの仕事は、日本に帰ってきてからずっと中国料理店の厨房で働いてきた弟・隆一さんの役割だ。

姉弟で切り盛りをする店は、日本ではそれほど多くない。「両親と住んでいた家の近所に二人で店を開いて、親孝行できたらいいなと思ったんです」。姉弟の店をとても喜んだお母様は、2022年に亡くなった。

「店を立ち上げたばかりのころには、母も皿洗いなどを手伝ってくれました。髪が真っ白で、お店のアイドルのような存在。母に会いに来られるお客様もいっぱいいて」。中には、同じような境遇で中国に取り残された経験がある年配のお客様もいて、その頃の記憶を喋ったりしていたという。

餃子を包み続ける吉村さんに、30年前の帰国について、改めて尋ねてみた。「躊躇はなかったです。母の故郷ですから」。北海道の小麦、山形の豚肉、信州の長芋、近所の野菜。日本の食材をふんだんに使いながら、中国の家庭料理でもあった餃子を一心に作る。

「とにかく、これを食べたら元気になる。餃子は幸せ、みたいな。言葉でどうやって表せばいいのか」。取材の最後に、これからどんな餃子を作ってみたいかを問うた。すると、「日本の美味しい魚をつかってみたい」と意外な回答。

「母と帰国したときに、日本人だという意識が強くて、とにかく魚と納豆を食べるものだと教えられたんです」。そう答えると、ヘラで餡を載せた皮を、またギュッと指で押さえる。

家族の記憶、自分の記憶、いろいろなものが包み込まれていく。健康になる、幸せになる。そんな餃子を、今日も作る。

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