ささやかな秩序のようなものが
人の心を安らかにする
「ただ好きっていうだけじゃ駄目?解釈したり言葉で説明したりするの、僕はあんまり楽しくないんですよね。自然のままがいいな」
棚の話を聞きに来ましたと伝えたら、のんびりした調子でそう返ってきた。詩人の谷川俊太郎さんが暮らすのは、都内に立つ一軒家。もともと土間のある古い造りだったところを、哲学者の父・谷川徹三さんと母の多喜子さんが改築した。谷川さんにとっては、独立前の十数年を過ごした家でもある。
「建て替えの設計は浜口ミホさんという女性建築家。当時はとても斬新で機能的な家だったと思いますよ。システムキッチンも造り付けの棚も珍しかったはず」
両親の肖像写真が飾られているその場所には、「たしか紀元前何世紀、みたいな時代のもの」というメキシコの土偶や中国の人形、鳥の形をした石の置物など、徹三さんが蒐集していた古美術が並ぶ。ガラスケースに収まっているブロンズ製の小さな動物は、そんな父の影響で谷川さんが最初に集めた骨董品。壁付け棚には、シトロエンの2CVやフィアット・プントなど、これまでに乗ってきた車のミニカーも置かれている。
「世の中にたくさんあるものの中から何かを取り上げる時に、その人の美の基準が表れる。今の僕は、原点というのかな、どこかで自分とつながりのあるものを眺めていたいと思ってるんですよね」
そう言いながら見せてくれたのが、『うつくしい!』という題名の写真絵本。谷川さんが美をテーマに作った一冊で、例えば父が遺した古美術の写真には、一つの美しいものをほかの美しいものと置き換えることはできない、というような文が添えられている。
お気に入りだと話す別のページには、「にんげんのいきかたにも、うつくしさはある。/まいにちのくらしの、/なんでもないところにも、/うつくしさとみにくさのちがいは/あらわれる。/うつくしいおんがくが、/にんげんのこころをうごかすように、/どんなささやかなものであっても、/うつくしいおこないは、/にんげんのこころをやすらかにする」とあり、谷川さんいわく「秩序あるものは美しい、という話。混沌は美しさとはちょっと違う。何かオーダーがないと美しいとは言えないんじゃないかと思います」。
棚には、人生にいつも寄り添ってきた音楽も並んでいる。80歳を越えて聴き始めたハイドンのCDや、「ぼくの幸せの原型」であり「その数小節に匹敵する詩が書きたいと、私はずっと夢見ている」と憧れてやまないモーツァルト。
「音楽が心の中に作り出す状態を、詩で作れないかと、願い続けてきたところが僕にはある。でも音楽と同じようなものは書けませんよ。だって言葉は意味を持っちゃっているけれど、音楽は意味から解き放たれているんだもの。棚だってそう。棚が何かなんて考えても仕方がない。意味がなくても人の心が動くところがいいんだから」