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音楽とお金。#6 曽我部恵一

ミュージシャンに聞くお金の話。最終回は曽我部恵一さん。サニーデイ・サービス、ソロ、自主レーベルやお店の運営などにまつわる独立独歩な金銭感覚のありようとは。

photo: Kazufumi Shimoyashiki / text: Ryohei Matsunaga

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「面白いものはお金がないところからしか出てこない気がします」

曽我部恵一(以下S)

父が銀行員だったんです。小学生の頃から「生活のレベルを上げるなよ」とよく言われてました。「もしお金がたくさん入ってきたら、レベルを上げるのは簡単だけど、下げるのは大変だからそこは慎重にやれ」って(笑)。

BRUTUS(以下B)

小学生にはかなり早い助言ですね(笑)。

S

「連帯保証人の判は捺(お)すな」「貸す時は返ってこないと思え」とかも(笑)。

B

その教えは生き続けました?

S

自分の中のどこかにあるかも。90年代にサニーデイ・サービスのアルバムが数万枚売れた時期、印税がたくさん入ってきたけど、まったく使わなかった。結婚するまでずっと築40年以上のアパートに住んでました。

だから、〈ROSE RECORDS〉の立ち上げの時はわりと余裕があったんです。立ち上げた瞬間に必要経費で資金は全部なくなりましたけど、プラマイゼロでしたね。

B

レーベル以外に、下北沢にカフェとレコードのお店〈CITY COUNTRY CITY〉を開店されてましたけど、2020年からのコロナ禍も大きな変化になりましたよね。

S

〈CCC〉は安定していい感じだったし、カレー屋さん(〈カレーの店・八月〉)を新たにオープンさせようとしていた時期でした。でも、街から人が消えた。仕方ないので〈CCC〉はいったん閉めて、スタッフみんなで〈八月〉でカレーのテイクアウトを始めて。僕も毎日店の前に立って呼びかけてました。あれは試練でしたね。

B

お金の問題があらためて重しに。

S

初めてお金の心配をしました。まずライブができない。お店や事務所の家賃は引き続きかかる。こういう時に人はお金で助け合ったりはしないという現実は結構ショックでした。でも、すねててもしょうがないんで、公庫にお金を借りに行きました。

B

コロナ禍、サニーデイ・サービスの再始動などがありつつ、〈ROSE RECORDS〉
はお金を稼ぐというより、創作の自由を作る場所という意識が強い印象です。

S

そうです。一攫千金なんて最初から考えてなかった。赤字にならず、スタッフに給料を払って、自分の生活ができればいい。ただ、音楽を作るのにお金がかかるし、レーベルに所属していた時代のやり方をしていると無理。だから、とにかく安くどうやって作るかを考えましたね。レコーディングの日には、僕らが自分でおにぎりや唐揚げ作ってスタジオに持っていったり(笑)。

B

まさに自給自足。

S

レーベルは常に自転車操業なので、数年に1度はお金に困る状況もあるんですけど、運よく大きな仕事が入ったりしてピンチを脱する。無理せずやっていけば、まあ困った時はなんかあるんじゃない?くらいの気持ち(笑)。それに、やり方を自分で決められる。それが醍醐味じゃないですか。ただ、制作費も自分で持つから、集中して作った作品をボツにして、全部パーになることがたまにあるから大変(笑)。

B

そんなこともあるんですか。

S

ありますよ。サニーデイの『DANCE TO YOU』(2016年)がまさにそれ。ほぼ完成してたのに、丸っとボツにしました。でも作業は続けたかったので街の練習スタジオに1時間500円で入って、1人でマイク立てて、パソコンで録(と)って。それを経て完成したのが、あのアルバムです。綱渡りでしたけど、評判が良くて結構売れたから、またそこでプラマイゼロになった。

B

でもし莫大な予算があったとして、すごくいい作品ができるというわけではない?

S

全然。やっぱり足りないところからアイデアは出てくる。音楽だろうが、ファッションだろうが、面白いものはお金がないところからしか出てこない気がします。

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