愛する才能に満ちた映画作家。その愛はどこまでも広かった
フランソワ・トリュフォーは、しばしば「愛の映画作家」と呼ばれる。映画批評家だったトリュフォーは、1950年代末に、『大人は判ってくれない』で長編映画デビューし、ジャン=リュック・ゴダールらとともにヌーベルバーグを牽引する映画監督となったが、1984年に享年52歳で短い生涯を終える。
その葬儀の際、トリュフォーの盟友の一人、セルジュ・ルソーが弔辞で語ったように、トリュフォーの才能は、何かを「愛する」才能だった。それは、女性だけに及ばない。子供たちを、本を、そして、映画そのものを愛したのだ。
トリュフォーの代表作の一つに、『突然炎のごとく』がある。ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌと、ジュールとジムという2人の男性たちをめぐる三角関係を描いた映画である。同じくアンリ=ピエール・ロシェの小説を原作に仰いだ『恋のエチュード』は、三角関係ものでも、『アデルの恋の物語』同様、もっと狂おしい情念的な愛だ。そして、その愛は死者にも向けられる。『緑色の部屋』は、亡くなった妻への妄執とも言うべき愛を描いたものだ。
また、トリュフォーは、『柔らかい肌』や『隣の女』のような不貞ものも得意とした。実生活でも恋多き男だったトリュフォー自身、カトリーヌ・ドヌーヴらと不倫を経験していた。
さらに、トリュフォーは、人が成長し、年齢を重ねる中で恋愛が変化していくさまも描いた。『大人は判ってくれない』で、トリュフォーの少年時代を演じたジャン=ピエール・レオの成長に合わせて撮られた、いわゆる「アントワーヌ・ドワネル」シリーズだが、これはアントワーヌの成長だけでなく、『二十歳の恋』では初恋を、『夜霧の恋人たち』では婚約を、『家庭』では夫婦生活を、そして『逃げ去る恋』では、夫婦関係の破局と新しい恋をと、恋愛過程の変化も主題にしている。
一方で、トリュフォーは、子供たちを愛した。長編デビュー前の短編『あこがれ』で、子供たちを撮る楽しさを知ったトリュフォーは、尊敬するジャン・ヴィゴの『新学期 操行ゼロ』やロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』にあやかるように、『大人は判ってくれない』『野性の少年』、そしてその集大成とも言うべき『トリュフォーの思春期』と、子供映画の傑作を作っていくのだ。
また、トリュフォーは書物を愛した。小学校もまともに卒業していないトリュフォーは、本や映画を通して教養を身につけた。トリュフォーの映画はどの作品にも、文学的趣味が垣間見えるが、本への愛そのものをテーマにしたのが、レイ・ブラッドベリの原作を映画化した『華氏451』である。
そして、トリュフォーは、映画そのものはもちろんのこと、映画の製作やそこに関わる人々すべてを愛した。それが、共演者同士の恋愛模様含め、映画製作の舞台裏の様々なドラマを描いた、まさに「愛の映画作家」トリュフォーの集大成的な作品『映画に愛をこめて アメリカの夜』なのだ。
トリュフォーの愛を知る3作品