圧倒的な美を通して描く、崇高で圧倒的な愛
ポーランドを代表する映画監督、クシシュトフ・キェシロフスキはその最晩年において、愛を探求する一連の映画を作った。それが『トリコロール』3部作だ。
1970年代にキャリアをスタートさせたキェシロフスキは、例えば聖書の十戒を題材にした連作集『デカローグ』など、観る人の倫理観や道徳観を強く揺さぶる作品で国際的な高い評価を得た。そして90年代に入ると、製作の場をポーランドからフランスに移し、フランス革命の理念である“自由・平等・博愛”をモチーフにした『トリコロール』3部作を手がけた。
仏国旗の3色をそれぞれのタイトルに配した『青の愛』『白の愛』『赤の愛』(原題は単に『青(Bleu)』『白(Blanc)』『赤(Rouge)』だが)は、いずれも男女の関係性に焦点を当て、各モチーフに沿う形で愛をめぐる諸問題に迫っている。
『青の愛』は、夫を亡くした女を主人公に、愛の呪縛からの“自由”を。『白の愛』は、離婚を宣告された男と元妻の物語を通して、愛の下の“平等”を。そして『赤の愛』は、異なる境遇にある男女の出会いを軸に、すべてを包み込む“博愛”を、それぞれ深く見つめるといった具合だ。
対象に向き合うキェシロフスキのまなざしは、常に冷徹で冴え冴えとしている。彼の関心は目に見えるものではなく、形を持たない物事の本質や原理にあり、彼はそれらを哲学者のように、丹念に思索を重ねることで見出そうとする。
だから彼の映画は、時として難解だと評されたりもするが、一方で彼の映画が描く圧倒的な美──精巧な構図、溢れる光と色彩、格調の高い音楽──は、そういった形而上学的なテーマを観る人に瞬時に、感覚的に伝える。
キェシロフスキのそのスタイルは、3部作の第1作『青の愛』において最も顕著だ。高名な作曲家だった夫の死後、その裏切りを知った主人公は、行き場のない喪失感に苛(さいな)まれる。“背信と喪失”はキェシロフスキが初期の頃から追い続けたテーマの一つだが、それと同時に、これもまた彼を終生捉えて離さなかったテーマ“偶然と運命”が、まるで具象化するようにして主人公の女に奇跡を用意する。未完のままだった夫の協奏曲が、ふいに彼女の脳裏で鳴り響き、愛とは何かを示唆するラスト。
「たとえ私に予言する力があっても/私があらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても/また山を動かすほどの信仰があっても/愛がなければ無に等しい」『新約聖書』にある「コリント人への第一の手紙」を引用し、荘厳に歌唱されるその歌は、彼女に愛の尊さを、愛の不滅を教える。そして運命的な愛に気づいた彼女は、青い光に包み込まれながら涙を流す。
キェシロフスキにとって愛とは、人々に恩寵(おんちょう)のように降り注ぐ、崇高で圧倒的なものだったのだろう。それは彼が作り出す圧倒的な美を通してでなければ、観る人に届くことはなかった。彼が1996年に逝去したあと、そのような芸術映画が今どれだけ存在しているだろうか。
愛を探求する3部作