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私が映画を観て沁みた時の話。ミュージシャン・川辺素

あの日あの時、観終えた後に感情が大きく動いた忘れられない一作。ミュージシャン・川辺素さんが語る、胸に沁み入る物語に出会った時の記憶。

photo: Yu Inohara / text: Kohei Hara

アンビバレントな感情に苛(さいな)まれる人間関係のリアル

わたしはロランス

20代を振り返ると、あの頃は人間関係がシンプルだったなと思います。好き嫌いや、価値観が合う合わないみたいな感覚だけで人と付き合っていけた。でも30代後半になると、“どうにかしたいけどどうにもならない関係”が増えてくるんですよね。それはおのおのが家庭を持ったり、心身の状態が変化したり、置かれている状況が複雑になったりするのが関係している。

誰かと衝突したからといってスパッと別れられるわけでもなく、解決しない問題として付きまとうのがリアルだと思います。30代目前で出会って何度か観返した『わたしはロランス』は、そうした一筋縄ではいかない関係性を描いた映画。35歳の誕生日を迎えた主人公の男性ロランスは、恋人のフレッドに「実は女性になりたかった」と打ち明けます。

対して、激しく反発するフレッドがすごく生々しい。自分のことをどう思っているか、ゆっくり話を聞くべきタイミングだけど、「私の服は何回着たの?」と“どうでもいい怒り”ばかりをぶつけてしまう。一歩踏み込んだ話をすべき場面で理性が働かず、衝動的に相手を責めるしかできなくなる瞬間は、身に覚えがあるなと。

映画『わたしはロランス』
©Moviestore Collection/Aflo

女性として生きるロランスに、フレッドは寄り添おうとするけれど、結局離れてしまう。愛しているのも支えたいのも、本当の気持ち。だけど性的に男性を求めてしまう本能や、家庭を持ちたいという欲望が揺さぶりをかけてくる。両立できない感情に押し潰された経験は僕にもあります。

映画を観て沁みるのは、そうした苦い記憶を慰めてくれる場面に触れた時。2人の行く末に身悶えしながらも、背中を押されるようでした。

ミュージシャン・川辺素