お風呂にまつわる幼き日の思い出
小山薫堂
星野さんが、2005年に「星野温泉旅館」を「星のや軽井沢」にリニューアルなさる直前に伺ってお風呂に入ったときの記憶は、今も鮮明です。上がガラス張りで湯気で煙っていて……、とても気持ちがよかったですねえ。
星野佳路
「太陽の湯」ですね。ご存じの通り私は温泉旅館で育ったので住まいには風呂場がなく、毎日旅館の大浴場に入っていました。それが、小学生のときに東京に住む親戚の家に泊まりに行ったときに一般家庭のお風呂を初めて見て「どこに入るんだろう?」と驚嘆したのをよく覚えています。今となっては笑い話ですが「東京の人はここに浸かっているのか!」と、幼心にカルチャーショックを受けました。
小山
僕がお風呂に傾倒するきっかけは銭湯でした。子供の頃、祖父母の家に預けられたときには、銭湯に連れて行ってもらっていたんです。大きな浴槽に入れるのが楽しくて、おもちゃをこっそり持ち込んで遊んだ、それが原体験ですね。やがて友達同士で行くようになると、中で騒いで親以外の知らない大人に初めて叱られ「他者を慮る」ということを学んだり。その後もとにかくお風呂が好きで、大人になると温泉のよさも体感しました。
日本人はお風呂を目的に旅をする
星野
私も、学生時代に東京で暮らしたときには銭湯に行きましたが、温泉とはまた違いますね。
小山
銭湯は“「ケ」の中の「ハレ」”。対して温泉は、そのものが「ハレ」。そこがまずちょっと違うかな。だから、僕はどっちも好きです。
星野
銭湯と旅館のお風呂、共通項は「浴槽が大きい」ことです。私たち日本人は、大きな湯船が好きですよね。日本の風呂文化の基本ではないでしょうか。非日常感を味わえて、リラックスできる。なんらかの快感物質が出るのだと思います。実は、最近開業した施設では、湯小屋を客室の建物と分けています。温泉を独立させると、いったん外に出るというマイナス面があるものの天井高などの制約がぐっと減り、世界観を確立しやすい。客室から湯小屋への移動があることで「さあ、これから温泉に入るぞ」というイベント感が味わえ、お客様の満足度も高まります。
小山
お風呂に入るために旅をする国民はなかなかいないですよね。「入浴」と「食」がセットでデスティネーションになっているのは、日本ならではの文化だと思います。
「湯道」誕生の意外なきっかけ
星野
ところで小山さんは、なぜ「湯道」を提唱し、それを題材に映画を撮るまでに至ったのですか?
小山
まずひとつはシンプルに、日本の風呂はいいなあという思いです。小学生の頃、アメリカに嫁いだ叔母に感化された父親が、自宅の風呂場を西洋式の浅いバスタブに変えたんです。最初こそかっこいいと思ったものの、次第に「深い浴槽にしっかり浸かりたい」と、日本の浴槽のよさを痛感しました。もうひとつのきっかけは「首都高速道路の事故減少のためのキャンペーン」を手掛けたこと。
「事故を減らすには譲り合う気持ちが大切、優しい気持ちでハンドルを握りましょう」という趣旨でしたが、言い出しっぺの自分が実はそのころ運転が荒かったので、高速を利用するたびに「優しくならなくちゃ」と心がけていたら、そのうちそれが気持ちよくなって。周りは何も変わっていないのに、自分の気持ちひとつで意味合いが変わるのはすごいな、と。ほかにもそういうものはないかと思っていたところ「茶道」に出会い、お風呂も精神と様式を突き詰めて“道”にすれば、新たな価値が生まれて日本固有の文化になる!と思ったんです。
星野
心の持ちようで、薫堂さんの中で首都高速の価値が変わり、そこから「湯道」が生まれたとは。道は道でも、だいぶ違いますね(笑)。
小山
はい。でも、僕がただ「湯道」を拓くと言っても説得力がないので、京都にある大徳寺真珠庵の第27世住職・山田宗正さんに相談に伺ったところ「よく来た。俺がどれだけ銭湯好きか、知ってるか?」と。たまたまだったんですけどね(笑)。そこで、そもそも禅寺では「三黙堂」————「禅堂」「食堂」そして「浴室」を、言葉を発してはいけない修業の場とすることや、京都・妙心寺にある重要文化財「明智風呂」では、禅僧が桶に3杯分の湯だけで身を清める作法があることなどを教えていただき、湯は昔から修行のひとつだったと知ったんです。
星野
なるほど。身体をきれいにしてくれる湯を大切に扱っていたのですね。
小山
そうしたお話を伺ううち「感謝の念を抱く」「慮る心を培う」「自己を磨く」という、「湯道」の核となる3つの精神が定まりました。ところで、全国の名湯を熟知している星野さんにとっての「人生最高の湯」はどちらなんでしょう?
星野
冒頭で小山さんが話してくださった、生まれ育った旅館の「明星の湯」です。物心ついてから入り続けていた、原点ともいえる場所ですね。2003年9月の取り壊しの前に、入り納めをしたんです。長倉神社の宮司さんにお越しいただき、社員と一緒に入って、記念写真も撮りました。あのとき風呂で過ごした時間や、そこで交わした会話は忘れられないですね。
小山
確かに、記憶に残る湯には、心に残る人が介在していますね。僕は、京都・三条にあった「柳湯」という銭湯が大好きだったんです。ご兄弟で営んでいらして、お兄さんがお湯を沸かし、弟さんが店番。映画の設定に近いんですが、京都に行くたびに通っていたら仲良くなって、仕事終わりの二人と一緒に飲むまでに。ワインを持ち込ませてもらったり、社員と一緒にお邪魔して、閉店後の脱衣所で宴会をさせてもらったこともありました。
星野
素敵ですね。現在は?
小山
お兄さんが亡くなられて、弟さんに「続けましょう」と言ったんですが、「兄のような湯は作れない」と廃業されました。でも、建物は残っているので、どうにか復活させられないかとずっと思っているんですけどね。