シングル盤全盛の昭和歌謡、
12インチこそクリエイティブな遊び場だった⁉
歌謡曲で一般的だったのは、当たると莫大な利益を上げられるシングル盤。
人気アイドルは3ヵ月に1枚のペースでシングルをリリース、高額でファン以外は手を出さないアルバムにまで力を入れず、シングルのボツ曲とカバーで構成する手軽な出来のものが多かった。
しかし、70年代半ばにフォーク、ロック系のアルバムが爆発的に売れるようになると、歌謡曲側でも明確なコンセプトを立てたアルバム制作が始まる。
いしだあゆみ『アワー・コネクション』のようにシングル曲を一切含まないものも多く、作家の起用やサウンド面の追求など、ヒット狙いのシングルではできない、音楽的な冒険がアルバムでは可能になったのだ。
郷ひろみ『スーパー・ドライブ』のように、現地の豪華ミュージシャンを起用した海外録音盤など予算と時間をつぎ込んだ贅沢なアルバム作りも多い。
山口百恵、太田裕美、岩崎宏美、南沙織など、トップアイドルの多くが海外録音を経験しており、野口五郎などは毎年、NYやLAで録音していた。いずれもヒットのご褒美的な意味合いが強かったが、クオリティは洋楽にも引けを取らない。
魅力的なカバーが多いのもアルバムの特徴。現在とは意味合いが異なり、「私も歌ってみました」的なものが多く、麻丘めぐみ「マイ・ウエイ」(『白い部屋』収録)、大場久美子「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(『アンソロジー』収録)、都はるみによるユーミンの「翳りゆく部屋」(『新しき装い』収録)、森進一が山下達郎の「YOUR EYES」を日本語でカバーした「海の瞳」(『人を恋うる唄』収録)などユニークな解釈が楽しい。
『アワー・コネクション』いしだあゆみ
「ブルー・ライト・ヨコハマ」の大ヒットから8年後の1977年に発表されたアルバム。半数の楽曲を細野晴臣が作曲。バックは細野に鈴木茂、林立夫らティン・パン・アレーのメンバーに加え矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎らも参加。気だるいボーカルとレゲエやボサノヴァのリズムがマッチした都会派の名盤。
『スーパー・ドライブ』郷ひろみ
1979年に発表された、通算13枚目となるニューヨーク録音の意欲作。ギターにハイラム・ブロック、ベースにウィル・リーら24丁目バンドのメンバーが全面参加しており、フュージョン系サウンドで統一。林哲司作曲の「入江にて」は、今、シティポップの名曲として評価が高い。ジャケットは横尾忠則。
『ファンタジー』岩崎宏美
デビュー1年目、2枚目のアルバムにして圧倒的なクオリティの高さ!ヒット曲「センチメンタル」「ファンタジー」を含め、抜群の歌唱力を生かした、全編フィリーソウル、ディスコナンバーで統一。しかも、曲間を糸居五郎のDJでつなぐ、ウルフマン・ジャックスタイルという大胆な試みが楽しい。
『TAMATEBAKO』太田裕美
「木綿のハンカチーフ」のイメージで聴くとびっくり仰天。1984年発表の18枚目のアルバムだが、当時流行のニューウェーブサウンドに挑戦。作詞に銀色夏生(山元みき子)、作曲にチャクラの板倉文や川島“バナナ”UG、くじらの杉林恭雄らが参加したテクノポップ歌謡の冒険作。歌声が変わらないのもすごい。
『あまぐも』ちあきなおみ
「喝采」から6年後の1978年にリリースされた、14作目のアルバム。河島英五と友川かずきが片面ずつを書き下ろし、ゴダイゴがバックを担当。ことに友川作品の強烈さは歌謡曲の枠組みを越え、怨念と狂気の土着フォークを憑依型の歌唱で表現する。『紅白歌合戦』で物議を醸した名曲「夜へ急ぐ人」も収録。
『THANKS GIVING』ラ・ムー
1988年、アイドル菊池桃子がまさかのロック宣言とともに始めた伝説のグループ〈ラ・ムー〉の、唯一のアルバム。いきなりの変貌ぶりにファンは戸惑い、ロック好きからは冷笑されて終わったが、ブラコン・サウンドと菊池のボーカルの相性は抜群で、現在シティポップの名盤として高く評価されている。