Talk

Talk

語る

燃え殻「明けないで夜」:母にとっての人生初のライブ体験

小説家でエッセイストの燃え殻が綴る夜の周辺。J-WAVEの番組『BEFORE DAWN』と連携して、著者本人の朗読とともにお届けします。

illustration: Tomoko Hara / text: moegara

連載一覧へ

母にとっての人生初のライブ体験

母の病気が見つかったのは、いまから六年前のことだ。緊急で行った大手術のあと、医師が母から摘出したモノを、僕たち家族に見せてくれたとき、大袈裟でなく卒倒しそうになってしまった。身体からこんなに多く取ってしまって、人間は生きられるのだろうかと思ったほど、その量は多かった。

酸素マスクをした母のもとに通されたのは、そのあとすぐのことだ。その日は冬で、病院の窓のサッシが、北風でカタカタと音を立てていたのを憶えている。母はベッドに横たわり、スーハースーハーと小さく息をしていた。「お母さん」と妹が語りかけるが、目をつむった母からの返事はない。布団をかけられた母の身体が、僕の記憶よりも薄く感じた。

父は無言のまま、涙を拭いている。管に繋がれた母の右手を、僕はそっとさすってみる。母の手が冷たい。機械音がずっと鳴っていて、見たことのない数字が、画面の中で増えたり減ったりしていた。僕は母の冷たい手を手繰るように握ってみた。すると母はゆっくり片方ずつ目を開ける。

「お母さん」僕は母に語りかける。酸素マスクをした母は、ほんの少し口元を開いたあと、僕の手を信じられないくらい強く握った。「しっかりしなさい」と言われた気がした。

術後、容態は安定し、春になると一時退院することまで出来た。母は、医師も驚くほどの回復を見せたが、身体にはまだ癌は残ったままだった。しかし高齢でもあり、その進行は遅い。放射線治療や外科手術を何度かしながら、自宅療養が現在もつづいている。

母は、僕がナビゲーターを務めるラジオ番組を、欠かさず聴いてくれている。必ず感想もメールで送ってくれる。あるとき感想をメールではなく、電話で伝えてきたことがあった。それは『BE:FIRST』のLEOくんがゲストの回だった。

「あの子はいい子ね。お母さんわかるの」と、まるで親戚の子か孫でも愛しむかのように熱く語っていた。しばらくして、LEOくんがライブに僕を誘ってくれたとき、たまたま母の話をしたところ、「もしお母さまの体調がよろしければ、ライブに来てくださいよ」と、母の分まで席を取ってくれた。母にとって人生初のライブ体験。それが『BE:FIRST』のライブになった。

当日、関係者席に座った僕の横で、母はバッグの中からプラスチックの弁当箱を取り出す。中には、大根を蜂蜜漬けにしたものが入っていた。母が蓋を開けると、関係者席にぷ〜んと漬物のような匂いが漂う。割り箸で、漬けられた大根をもぐもぐと食べだす母。

「それはなに?」と母に問うと、「咳が出たらLEOくんに失礼だから」と言う。「音が大きいから、そんなこと心配しなくても大丈夫だよ」。僕は呆れながら説得するが、「周りの方々にも失礼だから……」と、すでに十分失礼な匂いをプンプン振り撒きながら、母は蜂蜜漬けされた大根を食べつづけた。

ライブが始まると、最初のほうだけは、音の大きさや演出の火花などに怯えていたが、その後はずっと「すごいね、すごいね」を繰り返しながら、最後まで少女のように楽しんでいた。若い人たちの拍手に負けないくらいの拍手をしている姿を見たとき、思わず目頭が熱くなる。そんな僕に気づいた母から、「しっかりしなさい」となにを励まされているのかわからない励ましを受けた。

あの冬の日。横浜郊外の病院で、ベッドに寝ていた母のことを僕は思い出していた。あの日、母の手はとても冷たかった。母の冷たい手を、僕は手繰るように握った。すると母はゆっくり片方ずつ目を開ける。『BE:FIRST』を一瞬も逃すまいと見つめている母が、もう一度「すごいね、すごいね」と言いながら、大きく拍手を繰り返していた。

BE:FIRSTを観る女性

連載一覧へ