〈バックパックブックス〉店主・宮里祐人が行く、山小屋の本棚を巡る思索の山旅
山小屋で静かに本を読む。それもまた、よき山の楽しみ方
5月下旬の北八ヶ岳。白駒池にはまぶしいほどの緑が萌え、足元にはみずみずしい苔の絨毯が広がる。宮里祐人さんは少し先を歩き、時折立ち止まっては森を見上げる。「いいですね……」という独り言が聞こえてくる。
普段はもっぱらテント泊だという宮里さんと、山小屋に1泊して北八ヶ岳を歩くことになったのは本がきっかけだった。穏やかな針葉樹林が広がる北八ヶ岳は、昔から多くの文学者が歩いてきた“思索の山”だ。今でもこの山域を愛する人の多くはゆっくりと森を歩き、山小屋で静かな時間を過ごす。
そしてたいていの山小屋には、いい本がある。そんな話をしたら、「ぜひ、行ってみたい」となったのだ。
宿泊する高見石小屋は標高2300m。白駒池から1時間ほど登ったところにあるが、あまりにいい天気なので、少し遠回りして北八ヶ岳の主峰・天狗岳を望む展望スポット、ニュウに登ることにした。岩場の急坂に息が上がるが、立ち止まって気持ちのいい木漏れ日を浴びればなんてことはない。
ニュウからは南八ヶ岳の硫黄岳の姿も見えて、「森もいいけど岩山もいいなあ」と宮里さん。八ヶ岳の北と南、はっきりと違う自然の表情を楽しんでいた。
高見石小屋では、夕方になると柔らかなランプが灯され、薪ストーブに火が入る。宮里さんはその前に座り、長い間本を読んでいる。
「その本には続編があるんですよ、確かこのあたりに……ああ、これこれ。星の本ならこれがおすすめ」。小屋番の木村託さんが次々に本を差し出す。初対面の2人だが、本を愛する者同士すぐに打ち解けて、ずっと本棚の前で話している。
「星にまつわる本が多いですね」と宮里さん。手には古代人が築いた文明と星空の関係を読み解く『古代文明と星空の謎』がある。実は高見石小屋は別名「星の山小屋」。晴れた日には綺麗に星空が見え、なんと小屋には本格的な天体望遠鏡もある。
木村さんが解説する星空観察会を目当てに通うファンも多い。そして木村さんもまた、その星に導かれてこの小屋にやってきた一人だ。
「高校生の頃から星が好きで、何か星にまつわる仕事がしたいなと。それで見つけたのがこの山小屋の仕事。気づけば今年で10年です」
次第に話は本から仕事のこと、生き方のことへ。広さ3畳半ほどの小さな書店を営む宮里さん。「やっぱり自分の好きなことをシンプルにやるのって、いいですね」と、消灯時間まで2人で話し込んでいた。
高見石小屋で選んだ本
小さな本棚から滲(にじ)む山と山小屋に流れる時間
翌日は高見石小屋から針葉樹の森を登り、天狗岳へ続く分岐がある中山峠へ。ほとんどの登山者は山頂を目指すが私たちはそうしない。山頂をつないで歩く縦走登山も楽しいけれど、山小屋をつないで歩く縦走だって素敵だ。
中山峠から急な坂を下り、森を歩くこと1時間半。小さな池に寄り添うようにしてある山小屋が見えてくる。しらびそ小屋は主人の今井孝明さんが家族で営むひときわアットホームな山小屋だ。
薪ストーブのある食堂に1つと、宿泊棟の部屋にもう1つ。予約した時、2つ本棚があると聞いていたが、見ると空白が目立つ。聞けば新型コロナ対策のために一時的に本を物置に移動させたのだという。
「そろそろ戻さなきゃと思っていたんだけど、時間がなくて……」との今井さんの言葉に、宮里さんは本を見せてもらいつつ、書棚に戻していくことに。物置から出てきた段ボールを次々と開封し、本をチェック。「僕の主観なので不安ですが」と言いつつ、迷いなく本を棚に収めていく。
完成した本棚には、常連が送ってくれたという雑誌『ナショナルジオグラフィック』、小屋に通う作家や画家たちの著作、そして今井さんが集めてきたDIYの雑誌『ウッディライフ』などが整然と並ぶ。
「ジャンルはまちまちですが、どれもこの小屋の歴史や個性を語る欠かせない本かなと思って」と宮里さん。まさかの本屋による出張本棚作りに、今井さんも喜んでいた。
「ここに入った時、ああ、木が好きな人が手作りした山小屋だなと思ったんです。僕も店の什器をDIYで作ったので、どこか親近感が湧いて。『ウッディライフ』が揃っていたのを見て、納得しました」
その通り、今井さんは家具職人を志して木工を学び、父から山小屋を引き継いだ後はその技術を生かして小屋の修理やちょっとしたもの作りを行っている。本棚は持ち主の生き方を表すというが、山小屋の本棚には、そこに流れた時間、関わった人との歴史が表れている。
しらびそ小屋で選んだ本
本がつないだ人との出会い。山小屋への興味は続く……
「お礼と言ったらなんだけど」と、今井さんが倉庫に保管してある古い本も見ていってよと誘ってくれた。「捨てるのも忍びないし、宮里さんの店で誰か大切にしてくれる人に譲ってあげて」と。そこには、今では簡単に手に入らない貴重な山の本が眠っていた。一冊ずつ、大切そうに手に取る宮里さんの姿は、北八ヶ岳の森にしっくりと馴染んでいた。
「本を探して山に来たら山小屋の主人と色々な話ができて、特に小屋の歴史の話はもっと聞いてみたいですね。ほかの山小屋にも足を運んでみたい」と宮里さん。
山を下る途中、「山小屋、いいですね……」という独り言を何度か聞いた。次は八ヶ岳の南側、酒好きの主人がいる小屋に行きましょうと約束を交わしつつ、森の中をゆっくりと下った。