大島渚がベレットを主役に映画を撮ったらこうなった
映画評論家・樋口尚文氏が編纂(へんさん)した800ページ超の大著『大島渚全映画秘蔵資料集成』を読んでいて、大島渚が企業PR映画を2本撮っていたことを知った。
一本は日本生命の映画『小さな冒険旅行』(1963年)。3歳の男児が遊園地や工事現場など未知の世界を冒険する一日を描いた短編で、PRとはいえヴェネチア映画祭の児童映画部門で大島初の海外受賞をもたらす作品となったという。
もう一本は、いすゞ自動車の『私のベレット』(64年)。これが作られた年に日本初のグランツーリスモ、ベレット1600GTが発売されているので、そのPRも兼ねた映画だった、と思われる。
ワタシは以前からこの作品の存在は知っていて、いつか観てみたい一本だった。実は、昨年開催された大島渚没後10年のイベントで上映されるという絶好のチャンスがあったのに観に行けず。悔しい。
樋口氏の本にある大島の回想によれば、『私のベレット』は小津安二郎や野村芳太郎、中平康など錚々たる監督たちが名を連ねる日本映画監督協会プロダクションによる製作で、小津の親しい友人がいすゞにいて、ビジネスの面からも映画が作られることになった、という。
大島いわく「小津さんという方は一見そういう商売気なんかないように見えて、実はその辺のことも非常に考えられた方なんです」。そして当時新人監督だった大島渚に声がかかった。たぶん、独立したての大島を慮(おもんぱか)って小津が言ったんじゃないかと思う。「君が撮りなさい」と。
映画はベレットが絡む男女のショートストーリーを3話重ねたオムニバス。「第1話はベレットでドライブするカップルが別れる話、第2話は売れない役者が奮発して買ったベレットに憧れの芸能プロ社長を乗せてサービスするも裏目に出てしまう話、第3話は浮気夫がベレットに乗った不倫相手に妻を轢(ひ)かれそうになる話」で、なんともはや、「誰もベレットに乗って幸せになれない」展開。
肝心の商品であるベレットの車体もほぼ映っていないらしい。面白すぎるぞ、大島渚。小津がいすゞの友人に叱られなかったか心配になったが、小津は63年にこの世を去り、本作が彼の名がクレジットされた最後の映画となった。
DVD化してほしいんだけどなあ。