本歌 1首目
二・二六事件で友を失うなど波乱の人生を生きた女性歌人の一首。今自分がいる苦しい現実も、死者の視点から見れば紅色のように格別に美しく輝いているのではないかとの意。『ひたくれなゐ』(短歌新聞社文庫)に収録。
谷川由里子の返歌
詠み手が導き出した“人生の答え”が凝縮された力強い本歌。時代を超えて共鳴したいと考え、胸を打たれた“ひたくれなゐ”の言葉とリンクする血や夕焼けなど普遍的な紅色の要素を盛り込みました。
伊舎堂 仁の返歌
「死後の世界」とそこからの「映像」をテーマにした本歌を受け、死と真逆にある生まれたての「生」とそこで聞こえた「音」を表現しました。対比的な2首を同時に味わってもらえたら。
川野芽生の返歌
本歌で生のまばゆさを見つめているのは非業の死を遂げた人々。彼らにこそ安らかになってほしいとの思いを込めた一首です。
青松 輝の返歌
本歌の“かがやきて”から、光に照らされる大事な人の横顔を想起して作りました。
本歌 2首目
フランス民謡「アヴィニョンの橋の上で」とリンクした一首。まるで、みんなが踊るというアヴィニョンの橋の上にいるかのように、の花を持って軽快に橋を渡っているとの意を示す。『ふしぎな楽器』(沖積舎)に収録。
谷川由里子の返歌
明るい歌とされる一方、4分音符や“曇り日”から一抹の不穏さも受け取れる本歌。明暗の両方を抱えながら、それでも歩いていくイメージを歌に込めました。
伊舎堂 仁の返歌
本歌が持つのは“もしもここがアヴィニョンの橋だったら”のニュアンス。この“もしも”を何重にもちりばめ、晩年病に苦しんだ詠み手を励ませたらと考えました。
川野芽生の返歌
今はなきアヴィニョンの橋。どこにも届かないようでいて、どこにでも届くのかも。そんなイメージが浮かびました。
青松 輝の返歌
存在しないものを言葉だけで読み手にイメージさせてしまう本歌のロジックを踏襲しました。言葉への揶揄と期待が共存する、自己矛盾を歌に込めています。
本歌 3首目
桜のモチーフを多用しながら激しい恋の終わりを表した一首。詠み手自身が本歌を含む連作を再構成して作詞をした坂本冬美の「夜桜お七」は、1994年に発売され大ヒットに。『MARS☆ANGEL』(沖積舎)に収録。
谷川由里子の返歌
返す言葉が見つからないほど力強く言い切られた一首なので(笑)、私は物語の続きである、桜が散った後の光景を思い浮かべてみました。
伊舎堂 仁の返歌
本歌の劇的な情景の相対化を試みました。“愛のおわりのさけびごえ”とそれを囲む“はなびら”、そしてすべてを打ち消す “除草剤”の存在。その三すくみの関係を表しつつ、本歌の勢いを受け継ぐべき末尾の「!」を踏襲しています。
川野芽生の返歌
勝手に恋慕され、勝手に死者にされた側の人を掬い上げたくて作った一首です。
青松 輝の返歌
本歌で多用される“さくら”に感じたのは、ある種ネットミームのような大衆性の暴力。それらに抗いたいという思いを込めています。
本歌 4首目
現代の短歌シーンを牽引する詠み手による、第1歌集からの代表的な一首。愛されないことを、悲観的に捉えたり、それに対し卑屈になったりすることなく、軽やかに肯定した作品。『てのりくじら』(実業之日本社)に収録。
谷川由里子の返歌
“ということの”に韻律意識の高さが表れた本歌。意味とリズムの両輪で軽やかさが表現されているので、私も軽快に返したいなと。
伊舎堂 仁の返歌
絶えず“今お前は咲いているか”と問いかけてくる本歌。休憩中にノンアルビールを飲むような、制約の中で謳歌する自由を表しました。
川野芽生の返歌
愛されないことの逆説的な自由、ではなくて、愛されてしまった人も自由を求めていい、と言いたくて作った一首です。
青松 輝の返歌
あまりにシンプルな一首ゆえ、この一行になるまでに弾かれてきたノイズのような言葉たちを思うと切なさも感じます。短歌に携わる身としての自戒も込めて、一行に収めることへの皮肉とロマンを歌にしました。