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赤坂憲雄×マヒトゥ・ザ・ピーポー対談(前編)〜力を持たない、新しいカリスマの話〜

いつものように、全身真っ赤な出立で現れたマヒトゥ・ザ・ピーポー。初監督映画『i ai』の公開を控えたある日、漫画版「風の谷のナウシカ」の愛読者でもあるというマヒトが、『ナウシカ考』で知られる民俗学者・赤坂憲雄の元を尋ねた。

photo: Kishin Yokoya / text&edit: Rio Hirai

今の時代に求められる、救世主の姿とは

赤坂

はじめまして。映画『i ai』も、拝見しました。ところで唐突だけど、マヒトさんは、救世主って信じてる?

マヒト

一般的に“カリスマ”と呼ばれているもの、俺はその延長線上に“神”の概念もあると思っているんですけれど、そうやって誰かが象徴化されていくのと“力を持つ”ことは並走していくイメージがありますね。

半年前くらいに行ったインドにはたくさんの神様がいるし、日本でもアミニズムの考え方があって八百万の神と呼ばれていたり、色々なものに色々な神様が宿っていると考えられている。それって、やっぱり豊かな感覚だと思うんですよ。一神教の考え方は、いわゆる多様性と真逆の方角に向かっていくんじゃないかって。

だからこそ自分は、救世主やカリスマという言葉を信頼できてはいないんですよね。その存在が魅力的なこともわかるし、正解を示してくれる存在が求められていて依存の対象になっているから、とても今日的なテーマだとは思うんです。だからこそ自分はそういう象徴のことを今“カリスマ”や“神”という言葉では呼ばないようにしてる。

赤坂

僕は『ナウシカ考』という本を書いたけれど、僕の見立てでは、宮崎駿さんは救世主の存在を信じていらっしゃるんじゃないかと思うんです。一方で、高畑勲さんは信じていない、「救世主なんているわけない」と批判しているんです。

宮崎さんも「信じている」という言葉で片付けられるほど単純ではないと思いますけれど、人間が愚かで醜くてどうしようもない存在であることを承知しながら、時にそういう役割を引き受けて救世主のように振る舞い、人々を救う存在というのが現れると思っている。

今の時代は、みんな「救世主なんていない」と思っている、気高い存在なんているわけがないと思っているけれど、時々救世主に憑依してそれを演じ切る存在が現れることはあるんじゃないかと、僕は思っています。

マヒト

赤坂さんによるナウシカに関する分析に「ひたすら調停者としての役割を果たそうとする」という一説があって、力を持たない形でカリスマが存在し得るという可能性に興味が沸きました。

「ナウシカは、風の谷の族長ジルの娘ですが、人々に命令を下すことはありません。権力を持たず、深い思索に裏打ちされた言葉だけで人々を励まし、なだめ、導き、ひたすら調停者としての役割を果たそうとする」
「部族の人々に隷従を求める権力ではなく、むしろ、言葉によって自分の権力を絶えず無化してゆくことを求められ、それを理念や義務として積極的に引き受けている。結構損な役回りです」

───「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」(朝日出版社)より

マヒト

自分はカリスマという存在をもっともっと見上げた存在にしていったのが“神様”だと思っているんだけれど、具体的に人間だった神様もいれば、人ではない想像上の存在の神様もいますよね。あと、神様もカリスマなのか、ということにも興味があります。

赤坂

「義民伝承」という言葉を思い出しますね。江戸時代に一揆を起こした人は、磔になって殺されたりするでしょう。人々を救済した束の間の救世主のような存在だということで、市井の人たちがその一揆を起こした人を「生き神」のように祀る、それを「義民」と呼んできた。

日本文化史では昔から、カリスマが「生き神」に祀り上げられてされてきたんですね。

マヒト

それは、周囲がカリスマを神としてデザインするということですか。

赤坂

そうですね。漫画『カムイ伝』でも、まさにその義民伝承にまつわる話が描かれています。若き一揆のリーダーが義民になるのを、権力側が阻止するんです。権力側からすると、義民が生まれると都合が悪いですからね。

捕まったリーダーを処刑すれば、民衆はそれを「生き神」に祀り上げて抵抗のシンボルにするわけです。だから、『カムイ伝』ではそれを阻止するために、まず若きカリスマの舌を切ったんです。そうして言葉を奪ったあとに、殺さずに放免する。

民衆は「この者は権力に寝返ったので処刑はしない」と聞かされて、若きカリスマを裏切り者と見なして虐殺するのです。神として祀り上げられてしまうと手が出せないわけですから、それを阻むための情報戦です。義民が生まれることを拒むための権力側のリアクションですが、白土三平という漫画家の凄みを感じますね。

誰よりも早く危機を察知して逃げるものがリーダーになり得る

マヒト

自分は、表現をするなかで神を探すような感覚になることがあるんです。神と呼んだりそれを光と呼んだり言葉は変わるけれど、ある種の絶対的なものを自分の中に探すというか……。

今、赤坂さんがおっしゃったように、神というものはその周囲にいる人たちのためにデザインされてきたという歴史も背負っているわけですよね。ナウシカも、力で押さえつけるのではなく、調停者として複雑なバランスの中でカリスマとして描かれています。そのことを改めて考えてみて、自分は「ホースマンシップ」の話を思い出しました。

馬が好きで馬のコミュニケーションについて学ぶワークショップに参加したことがあって。馬の群れのなかでリーダーになるのは、一番パワーがあって強くて大きい個体ではなく、一番最初に脅威を察知して逃げ出せる、足が速くて小さな個体だったりするらしいんですよ。

今いる場所よりもさらに安全な場所に仲間を誘導させられることがリーダーシップとされ、それを「負の強化」と呼ぶそうです。今の人間社会では、強いメッセージを打ち出すことがリーダーシップだと思われているけれど、「この場所から逃げ出そう」という存在がリーダーになるということに可能性を感じて、人間社会でもその感覚がもっと浸透して良いと思う。

世界は混乱していて正義と悪の二元論で割り切れるほどシンプルじゃない。そういう世界の中だから、一つの圧倒的な強さに人が集まることよりも、新しいタイプのカリスマが生まれるべきだと思う。

表現に関しても、曖昧な感覚や感情の存在を肯定したり、輪郭を与えたりすることが、自分の役割だと考えているんです。自分もそうやって人の表現に肯定してもらってきたから、それを次に手渡していきたいだけなんですけど。

赤坂

世界中の神話や伝説を振り返ってみても、身体や精神に欠損を持っている人が主人公とされてきた例は多くあります。例えば、縄文時代の遺跡から、極端に細い腕にたくさんの腕輪をつけた15歳くらいの少女の骨が発掘されたことがありました。腕は、小児麻痺だったんでしょう。

彼女は、シャーマンとしての役割を担っていたんですね。リーダーだったかどうかはわからないけれど、“弱さ”が危険を敏感に察知することに繋がっていたのでしょう。ほんの微かな風の匂いなどから何かを感じ取って伝えるリーダー像は、古くからあったのだと思いますよ。

でも西洋的な考えでは、唯一絶対の神様が信じられてきました。社会でも強い男がリーダーになる、マチズモがありますよね。その対局で、何かを感じ取って声をあげたりする人たちは魔女として、排除されて殺されてきた。

マヒト

為政者は一箇所に巨大な権力を集中させた方がコントロールしやすいから、世界に余裕がなくなればなくなるほど、一強が加速していきますよね。だからこそ、今話しているような新しいタイプの救世主が必要とされるのだとも思う。

漫画版『風の谷のナウシカ』でも、世界が混乱してトルメキア軍のような大きな権力が振り翳されそうになったときに、ナウシカの調停者としての才能が強く輝いたわけでしょう。だから、今こそ新しいタイプの救世主が生まれないとおかしいと思うけれど。それぐらい、情勢がぐちゃぐちゃになっているし。

───これまでフリーフェスティバル「全感覚祭」や反戦デモ「NO WAR2023」を主催してきたマヒトさんに、その役割を期待している人もいると思いますが、マヒトさんは自分が救世主のように扱われることを注意深く警戒しているようにも見えますが……。

マヒト

うーん、俺は余裕で間違えるからね。今こうやって喋っていることも、これまでたくさん間違えてきた歴史があって、それを人に指摘してもらったり、人を傷つけてしまってフィードバックしてきたなかで変わっていっただけで、今でも間違えると思っているから。

『i ai(アイアイ)』
兵庫県明石のライブハウスを拠点にするバンドマン・コウとその仲間たちや、先輩・ヒー兄との切実な時間を描く。3月8日より渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開。同日に、劇中歌の「AUGHOST feat.小泉今日子」も収録されたサウンドトラック『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』(十三月)も発売開始する。