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『芦屋道満大内鑑 葛の葉』『おちくぼ物語』尾上松也が語る。歌舞伎に学ぶ「恋のカタチ」〜後編〜

王道ラブロマンスから悲恋まで、歌舞伎には、日本人が紡いできた、恋のカタチが凝縮されています。現代にも通底する、歌舞伎の中の恋を教えてくれるのは尾上松也。男になれば力強く、女になれば色っぽい、舞台上でさまざまな役を演じてきた松也さんの心を揺さぶる名演目とは?「古典芸能に学ぶ、恋のカタチ。〜前編〜」も読む

Photo: Shota Matsumoto / Text: kowloonjoe

種族さえ超越した恋の物語が『芦屋道満大内鑑 葛の葉』です。結婚をして子供まで作った女性が、かつて男が助けた白ギツネだったということがわかるんです。実際にはあり得ない話ですけど、でも、例えば人種や国籍に置き換えてみれば、現代にも通じる普遍的なテーマだとも思います。

女は子供を残し、キツネに戻って森に帰っていく。その際に「恋しくばたずねきてみよ」から始まる別れの一首を書き残すという感動的な場面となります。「曲書き」といって、子供を抱きながら、筆を口にくわえてみたり、いろいろな方法で書くんですね。

どんないきさつにせよ、男も女も、一緒に過ごした時間はかけがえのないものだと思っている。でも、お互いに愛していることがわかりながら、離れるしかない。

『芦屋道満大内鑑 葛の葉』

狐と人間、種を超えた恋の話。

恋を感じる歌舞伎『芦屋道満大内鑑 葛の葉』
陰陽師・安倍晴明の出生秘話であり、同時に晴明のライバルとなる芦屋道満の来歴も描かれていく長編作。ただ、現在は『葛の葉』のみで上演されることが多い。晴明の父・保名は葛の葉という女性と所帯を持つが、彼女の正体はかつて助けた白ギツネだった。2人は男の子にも恵まれ、これがのちの晴明となる。どうりで霊力があるわけだ。葛の葉を演じる俳優がキツネの要素を演技の随所に挟み込むのも見どころ。

ご都合主義を上手に落とす
これこそが歌舞伎マジック

最後に紹介したいのは『おちくぼ物語』。継母にいじめられているおちくぼの姫が出てきます。わかりやすく言えば、シンデレラですね。ただ、おちくぼの姫を慕っている従者たちもいて、彼女を応援している。そこに左近の少将というイケメン貴公子が現れ、「あなたは素晴らしい」と言われて、結ばれます。

一見ありきたりなラブストーリーですが、でもそんなふうに恋に落ちることもあるよねって思わせてくれるのが、歌舞伎マジックのいいところなんです。

そもそも古代中世の貴族の物語を見ると、文を交わすだけで恋をして、顔もよくわからないのに、恋愛に発展してしまうことも少なくない。恋愛体質と言えばそうなんですけど、今みたいにいろんなエンターテインメントがある時代ではないので、恋することが何より楽しみであり生きがいだったのではないのかなと(笑)。

そう考えると、たった一目で誰かに真剣に恋をしてしまうのもわかる気がするんです。もちろん中にはあっちこっちの人に手を出したり、詐欺師まがいのことをする人もいて、そういう人は歌舞伎にも出てきますけど、まあ、それも一つのご愛嬌ということで(笑)。

やはり歌舞伎の恋は、多くが一人一人、真っ向勝負なんです。よく言えばピュア、一方で情念の怖さというものもある。気になればなるほど、深い溝にハマっていく。思いが溢れて、人を殺めてしまうこともある。恋をすると周囲が見えなくなるのは、男女問わずですよね。

『おちくぼ物語』

平安時代に作られた日本版シンデレラ。

恋を感じる歌舞伎『おちくぼ物語』
意地悪な継母たちにいじめられているおちくぼの姫が、周囲の助けもあって貴公子・左近の少将と結ばれる。まさに日本版シンデレラストーリー。もとは平安時代に書かれた物語を、宇野信夫が脚色して歌舞伎に仕立てた。おちくぼを尾上菊之助が、少将を現・市川海老蔵が演じた際に、姫の従者・阿漕を演じたという松也。新歌舞伎という、成立が比較的新しい作品でもあるため、役者の芝居の工夫のしどころが試される。

これは歌舞伎のみならず演劇全般、ひいてはエンターテインメントについて言えることですけど、お客様にその世界にどれだけ没頭していただけるかが勝負ですよね。いくら命がけで恋に落ちる演技をしても、お客様に演技=嘘だと感じさせてしまったらおしまいじゃないですか。

ドラマのキスシーンだってそう。役者の嘘を、お客様がどれだけ信じられるか、そのせめぎ合いが舞台の醍醐味なのではないかと。特に歌舞伎は荒唐無稽さを信じさせる力というか、そこが突き抜けていて、つくづくすごい演劇だと思います。

ですが、よく考えたら、恋愛だってそうですよね。本気で恋しているときは、相手のどんなところも、素敵に見えてキュンとしてしまいますもんね。

尾上松也の「恋の、答え。」

「答えなんて、ないです。でも、結婚している周りの人と話すと、一緒に居続けることが超越した愛の形だと思います。我慢だ、忍耐だとかいいますが、受け入れることに答えはあるのかもしれませんね」