種族さえ超越した恋の物語が『芦屋道満大内鑑 葛の葉』です。結婚をして子供まで作った女性が、かつて男が助けた白ギツネだったということがわかるんです。実際にはあり得ない話ですけど、でも、例えば人種や国籍に置き換えてみれば、現代にも通じる普遍的なテーマだとも思います。
女は子供を残し、キツネに戻って森に帰っていく。その際に「恋しくばたずねきてみよ」から始まる別れの一首を書き残すという感動的な場面となります。「曲書き」といって、子供を抱きながら、筆を口にくわえてみたり、いろいろな方法で書くんですね。
どんないきさつにせよ、男も女も、一緒に過ごした時間はかけがえのないものだと思っている。でも、お互いに愛していることがわかりながら、離れるしかない。
『芦屋道満大内鑑 葛の葉』
狐と人間、種を超えた恋の話。
ご都合主義を上手に落とす
これこそが歌舞伎マジック
最後に紹介したいのは『おちくぼ物語』。継母にいじめられているおちくぼの姫が出てきます。わかりやすく言えば、シンデレラですね。ただ、おちくぼの姫を慕っている従者たちもいて、彼女を応援している。そこに左近の少将というイケメン貴公子が現れ、「あなたは素晴らしい」と言われて、結ばれます。
一見ありきたりなラブストーリーですが、でもそんなふうに恋に落ちることもあるよねって思わせてくれるのが、歌舞伎マジックのいいところなんです。
そもそも古代中世の貴族の物語を見ると、文を交わすだけで恋をして、顔もよくわからないのに、恋愛に発展してしまうことも少なくない。恋愛体質と言えばそうなんですけど、今みたいにいろんなエンターテインメントがある時代ではないので、恋することが何より楽しみであり生きがいだったのではないのかなと(笑)。
そう考えると、たった一目で誰かに真剣に恋をしてしまうのもわかる気がするんです。もちろん中にはあっちこっちの人に手を出したり、詐欺師まがいのことをする人もいて、そういう人は歌舞伎にも出てきますけど、まあ、それも一つのご愛嬌ということで(笑)。
やはり歌舞伎の恋は、多くが一人一人、真っ向勝負なんです。よく言えばピュア、一方で情念の怖さというものもある。気になればなるほど、深い溝にハマっていく。思いが溢れて、人を殺めてしまうこともある。恋をすると周囲が見えなくなるのは、男女問わずですよね。
『おちくぼ物語』
平安時代に作られた日本版シンデレラ。
これは歌舞伎のみならず演劇全般、ひいてはエンターテインメントについて言えることですけど、お客様にその世界にどれだけ没頭していただけるかが勝負ですよね。いくら命がけで恋に落ちる演技をしても、お客様に演技=嘘だと感じさせてしまったらおしまいじゃないですか。
ドラマのキスシーンだってそう。役者の嘘を、お客様がどれだけ信じられるか、そのせめぎ合いが舞台の醍醐味なのではないかと。特に歌舞伎は荒唐無稽さを信じさせる力というか、そこが突き抜けていて、つくづくすごい演劇だと思います。
ですが、よく考えたら、恋愛だってそうですよね。本気で恋しているときは、相手のどんなところも、素敵に見えてキュンとしてしまいますもんね。
尾上松也の「恋の、答え。」
「答えなんて、ないです。でも、結婚している周りの人と話すと、一緒に居続けることが超越した愛の形だと思います。我慢だ、忍耐だとかいいますが、受け入れることに答えはあるのかもしれませんね」