『夜の歴史と彗星の運命』がテーマのイタリア館
エウジェニオ・ヴィオラがキュレーターを務めた展示は、イタリア館の歴史の中で初めて、一人の芸術家にフォーカスした展示だ。選ばれたのはローマ生まれのジャン・マリア・トサッティ。『History of Night and Destiny of Comets (夜の歴史と彗星の運命)』と名付けられたこの展示は、金獅子賞は逃したものの、今回のビエンナーレで1、2を争う必見の展示と言っても過言ではないだろう。
イタリアの映画監督、小説家、詩人、 評論家として知られているピエル・パオロ・パゾリーニ が1975年に新聞の社説に寄せた「我々の国家が絶え間ない闘争、力不足、官僚主義で自らを失っている間、我々は蛍が消えていくことに気づいていない」という言葉にインスピレーションを受けた内容になっている。
イタリアの産業成長期の光と影
タイトルにもあるように、この展示には、「夜の歴史」と「彗星の運命」の2つのセクションに分かれている。最初に私たちを待ち受けていたのは、急激に成長した産業が夢のように儚く衰退したことを物語っている薄暗い廃工場のような場所だ。そこには、大量生産を思わせる年季の入ったミシンがズラッと並んだ部屋や、埃が積もったコンベア、壊れそうなコンテナなどが取り残された倉庫が再現されている。
さらに、進んでいくと、錆び付いた扉の音や床のきしむ音が聞こえてくる。そして、当時の工場労働者が生活していたとみられる部屋には、すでに空になったベッドの枠組みや、十字架を飾っていたとみられる跡が壁に虚しく残っている。朝から晩まで働いて産業を支えた労働者。きっと、十字架に未来への希望を託し、祈りながら毎日眠りについていたのだろう。
1960年代以降、自動車やアパレル産業で急成長し、潤ったイタリア社会の陰には、下支えした労働者たちの寂しく貧しい暮らしがあったということを見事に表現している。胸が締め付けられる思いがした。
問題提起の先には愛情と未来へのメッセージ
暗く絶望的な気持ちになりながら、少しずつ前に進んでいくと、水浸しの行き止まりのスペースにたどり着く。この産業の繁栄や大量生産によって生み出された環境破壊、そして私たち人類を待ち受けている運命を表しているかのようだ。温暖化により、洪水や水位の上昇に悩まされるヴェネチアにも通じる問題だ。
しかし見逃してほしくないのは、一見、暗いだけの世界にも、目を凝らせば光が見えるということ。蛍が飛んでいるかのようにポツポツと明かりが灯り、希望を抱かせる。産業と持続可能な開発目標、人間と地球の関係性を一つ一つ見直すことで、人類にはまだ希望の光があるのだということを表現しているように感じられる。
近年では、テクノロジー(特にCG)を活用したイマーシブ・エキシビジョンが流行しているのに対し、このイタリア館では、デジタル要素を押し出すことなく、80日間をかけて丁寧に作り上げた、昔ながらの映画のセットのような展示。
廃墟の匂いやホコリを吸い込んでしまいそうなほどリアルに再現されている空間に置かれたミシンなども、実際に当時稼働していた廃工場から集めてきたもので、まるで、時が止まった空間に自分だけがタイムスリップしてしまったかのように感じる。 一つ一つの物や空間に当時の人の影や歴史を感じた上に、戦後の日本にも通じてそうな、感慨深い展示だった。
さて、ヴェネチア・ビエンナーレへの旅はいかがだっただろうか?この歴史の節目に開催された国際美術展には、世界中の人々と出会う自由、旅の可能性、 誰かと共に過ごす喜び、想像力、議論、人と人との感情のつながりという、私たちが失ったものや、取り戻すべきものが集約されていたように思える。アートは社会や環境の変化について問題提起してくれる。しかし、それだけではなく、どのように向き合い、多様性を持って共生していくべきか、そのアイデアや可能性を想像させる役割を担っているのかもしれない。