がむしゃらさよりも、程よい冷静さで
「昔は作品に入れ込みすぎて空回ることも多かったんですが、今は良い距離感を持って役に向き合えるようになりましたね。狭い考えで“この役はこうだ”と決めつけるのではなく、共演者のお芝居や監督の演出に応じて柔軟に変化できるよう、余白を持っておくことを大切にしています」
江戸末期の慎ましい暮らしが今に伝えるもの
江戸末期の東京を舞台に、貧しくもたくましく生きる人々を描くのが、新作映画『せかいのおきく』。黒木さんが演じたのは、武家の娘に生まれながら長屋暮らしを余儀なくされ、それでも活発に生きる“おきゃん”なおきくだ。
物語の序盤で彼女はある出来事を機に声を失ってしまう。セリフに代わって表情や動きで感情や意志を表現する難しい役どころでもあった。
「当時はまだ手話がなかったので、言葉に代わって返事をしたり、思いを伝えたりする時に、いかに身ぶり手ぶりを付け足すかは苦労しました。無意識のうちにジェスチャーが現代っぽくなってしまうこともあったので、阪本(順治)監督と相談しながら試行錯誤しましたね」
通常の作品であれば重要な声の演技。それを失うことでかえって研ぎ澄まされた部分もある。
「表情の作り方や視線の動かし方などの細かい部分は特に気をつけました。耳は聞こえるし、演じている私はしゃべれるんだけど、不思議と相対する相手のことをじっくり見るようになるし、言葉を聴くようになるんですよね。言葉を発せないことは枷(かせ)のようで、相手と集中して向き合うという効用を持つようにも感じましたね」
一方本作は、原始的でサステイナブルな江戸の暮らしぶりを知れるという点もユニーク。例えば、おきくが思いを寄せる青年・中次が、各地の共同便所から人の糞尿を汲み取り、肥料として売る仕事に従事していることも特徴的だ。
「そもそも人の糞尿を売り買いする職業があったことに驚きましたね。使えるものはとことん使い切る循環型社会が自然と出来上がっていたことに感心しました。ものに溢れた今の時代を顧みるきっかけをくれる作品だなと思います」
現代社会との対比は、劇中で描かれる長屋の人々の互いの距離感においても表出する。
「会いに行ったり偶然すれ違って言葉を交わすようなシーンからも、今よりずっと濃いコミュニケーションが育まれていたことが想像できます。人と人とが関係を築く機会が稀薄な今の私たちにも気づきをくれますね。でもこれだけ濃密な長屋暮らしは、プライベート空間が大事な私には難しそう。現代っ子ですみません(笑)」