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小泉今日子さんちの黒猫、“小福田”と“児玉”。猫目線で書いた家族の話

「子供の頃から猫が好き」という愛猫家の小泉今日子さん。先代猫「小雨」亡きあと、しばらく猫と暮らしていなかったが、2019年、縁あって保護猫を迎え入れた。小泉さんが猫目線で書いてくれた新しい家族の話。

初出:BRUTUS No.936「猫になりたい」(2021年4月1日発売)

photo & text: Kyoko Koizumi / edit: Izumi Karashima

「イイコ、イイコ」

文・小泉今日子

私は猫です。名前は「小福田」、なぜか苗字しかありません。それどころか私の飼い主は私を「小福田」と呼ぶことすらありません。病院では「小泉小福ちゃん」と呼ばれたりします。飼い主の友達からは「小福ちゃん」とか「福ちゃん」と呼ばれます。飼い主自身は「ニャーニャー」「ワンワン」「アクビちゃん」「美人さん」「いい子ちゃん」「かわい子ちゃん」、他にもたくさん、その日の気分で呼び名が変わります。私は生まれてからずっと名前というものの概念を捉えかねています。

実は私は最初はふたりでした。「児玉」という双子の姉と一緒にこの家に来たのです。児玉にも苗字しかありませんでした。その頃は「福ちゃん」「玉ちゃん」と原型を感じさせる呼び方をしてくれていました。それでも、気まぐれに赤いリボンの児玉を「レッド」、黄色いリボンの私を「イエロー」と呼んだりもしていたけれど。

私たちは、山口県で生まれました。野良猫のお母さんからです。兄妹は他にもいたかもしれないけれど、覚えていません。気がついたらボランティアさんのところにいました。ボランティアさんのところで育ててもらって、少し大きくなってから飛行機に乗って、今度は埼玉のボランティアさんのところに運ばれました。先輩の猫さんがたくさんいたけど、みんなに優しくしてもらって伸び伸び育ちました。

ある日、彼女がやってきました。前日の大雨が嘘のように晴れ上がった春の日でした。彼女は児玉の写真を見て一目惚れして、迎えに来たようでした。しばらく一緒に遊んでくれて、ボランティアさんから色々なお話を聞いて、いよいよキャリーバッグに児玉を入れようとした時にボランティアさんが「黄色いリボンちゃんは行き先が決まっていたのだけど、急にキャンセルされちゃったのよ」と彼女に言いました。

「え?そうなの?それじゃ黄色いリボンちゃんも一緒に来る?飼い主さんが決まってると聞いてたから諦めてたんだけど、最初からふたり一緒がいいなと思ってたのよ」と彼女が私に言ってくれました。私は迷わず、それこそ児玉よりも先に彼女のキャリーに入りました。「あはは、一緒に来てくれるの?」。ボランティアさんも「一緒に行きたいよね。よかったね」と言って、私たちは彼女と一緒に行くことになったのです。

小泉今日子の飼い猫、児玉と小福田
小泉さんが出会ったときの黒猫たち。左の赤リボンが「児玉」、右の黄リボンが「小福田」。苗字のような名前は小泉さんの両親に由来。

彼女との生活はとても穏やかで、日の当たるリビングをふたりで駆け回ったり、ベッドの下に隠れて昼寝したり、高い棚の上に登ってみたり、メゾネットの階段で競争をしたり。寝る時は、私は彼女の首元、児玉は彼女の太腿の上を陣取ってみんなで一緒に寝ました。穏やかな楽しい日々がずっと続くものだと信じていました。

ある日、児玉に異変が起きました。網膜が腫れ上がって眼球を覆ってしまいました。彼女は深夜にも拘(かか)わらず救急対応している病院を探し児玉を連れていきました。外的なことが原因ではなく、検査をしないとわからないということで、目薬を頂いて帰りました。目薬が効いたみたいで次の日には良くなりました。

近所の病院にも連れていって診てもらいましたが風邪だと診断され、ほっとしたのでしたが、数日後、その目の症状はまた再発してしまいました。他の病院に連れていったら詳しい検査をしてくれました。ついでに私も検査しました。初めて注射をされて怖くてギャーギャー泣いてしまいました。

「猫コロナウイルス」というのがあるそうで、野良猫ちゃんはそのウイルスを持っていることが多いそうです。持っていること自体はさして問題はないのだけど、時々それが暴れて「猫伝染性腹膜炎(FIP)」という致死率の高い病気になることがあるそうです。残念ながら私たちは持っていたそうです。そして児玉はそのFIPという病気でした。

病院の先生はとても熱心に治療をして下さいました。彼女は毎日児玉を病院に連れていきました。入院させてもよかったけれど、淋しがるといけないからと夜には家に連れて帰りました。私も児玉の病気が治るように一生懸命身体を舐めてあげました。みんなで本当に頑張ったんだけど……。

26.Oct.2019 Farewell.
彼女は白い箱に入った児玉を連れて帰ってきました。私を抱き上げて横たわる児玉を見せてくれました。そして「ごめんね。助けてあげられなかったよ。あの時一緒に来てくれてありがとう。小福ちゃんが一緒だったから児玉ちゃんも淋しくなかったね。ちゃんとサヨナラしてあげてね」。次の日、児玉はキレイな煙になって空に旅立ちました。

それから彼女は私を「小福田」もしくは「小福」とあまり呼ばなくなりました。実は名前の由来は彼女のご先祖様らしく、彼女の父親の旧姓が「児玉」、母親の旧姓が「小福田」なのだそうです。父親は次男で結婚してから夫婦養子で遠縁の「小泉」になったそうです。彼女にとって「児玉」と「小福田」はワンセット。私を「小福田」と呼ぶ度に「児玉」を思い出してしまうから悲しくて呼べないのかもしれません。

私としても名前に特に執着はないので構いませんが「ワンワン」って呼ばれることだけに疑問を感じています。「ワンワン」って普通は犬ですよね。猫は「ニャンニャン」、犬は「ワンワン」って言いますよね。確かに、私は彼女が家に帰ってくると玄関まで出迎えたり、彼女の後をついて回ったり、遊んでいて興奮すると「ワン!」って鳴いたりするようで、私にも一因があるのですが「ワンワン」と呼ばれる度に一瞬頭が混乱するのでやめてもらえたらといつも思っています。

しばらくは児玉が居なくなってしまったことを理解できなくて、夜中にニャーニャーと呼んだり、2階のクローゼットに探しに行ったりしていましたが段々と慣れていきました。家には仏壇があって、彼女のご先祖様とお父さんとお姉さん、小雨さんという先輩の猫さん、そして児玉がそこにいるそうです。

毎朝お線香をあげる時に私も一緒に手を合わせます。実際に手を合わすことは猫には難しいので心の中で合わせます。お線香をあげる時にリーンとキレイな音がなります。私はこの音が大好き。一番好きな遊び道具も金色の丸い鈴です。手でひょいとやるとキレイな音を立てて思わぬ方向に転がっていきます。この遊びが始まると私は他のことが何も目に入らず熱中します。そのうちにソファの下や、他の部屋のドアの隙間に鈴が転がって入ってしまい、遊びを中断されてしまいます。

彼女は毎朝その鈴を探します。細長い棒でソファの下を探って「あった!」とか「今日はソファの下にはないねぇ、どこに隠したの?」と探し回ります。全てのドアを開けては閉め、いろいろな隙間をチェックします。それでも見つからないことがあります。仕方なく彼女は仕事に出かけますが、仕事用のバッグの中から鈴が見つかることもあるそうで、そんな時には笑いを堪えるのが大変なのだそうです。

小泉今日子の飼い猫、小福田
中央の写真立てには若い頃の小泉さんの母、小泉さんの師である演出家の故・久世光彦氏の写真が。最近は、母が飼っていた三毛猫さんも引き取り、小福田さんとの間でキョンキョン争奪戦が勃発。

彼女との生活も、もう2年になりました。実は私も大病をしました。胸に膿が溜まってしまう「膿胸」という病気です。児玉が逝ってしまった年の年末年始、彼女はまた毎日病院に通うことになりました。2週間欠かさず治療をして、奇跡的に完治しました。お正月を返上して治療してくれた先生に心から感謝、そして彼女の献身にも感謝してます。この時の癖で私にはやめられない習慣があります。

病気の時、ご飯さえ食べられれば元気になれると信じていた彼女は私がご飯を食べると、とても褒めてくれました。頭を撫で、身体を撫で、「いい子だいい子だ」と優しい声で言ってくれました。私は天にも昇る心地でした。あんな快感忘れられるはずがありません。

以来、私はご飯を食べる時、彼女がそばに来て褒めてくれないと食べません。「ニャーニャー」と鳴いて彼女を誘って、ご飯の場所まで誘導します。途中で裏切られることもあるので、何度も振り返りながら誘導します。食べている時も、彼女が途中でいなくなることがあるので時々見上げて確認します。

彼女から言わせれば、私は決まり事が多い猫だそうです。言い方を変えれば我儘ということなのかもしれません。それでも彼女はいつも私を抱き上げて「あの時、来てくれて本当にありがとう」とか「元気でいてくれてありがとう」と何度も何度も「ありがとう」と言ってくれます。

だからね、もう名前なんてどうでもいいんです。彼女が、彼女の声で私を呼んでくれさえすれば、どんな言葉であっても私の名前なのだと思います。ちなみに今日は「シャ・ノワール」と呼ばれています。