『孤独のグルメ』制作スタッフ8人の時代
『孤独のグルメ』とは、僕のドラマ監督としてのキャリアがはじまる以前から付き合いです。シーズン1の後半だったので、2012年初頭ごろだったと思います。当時、僕は日本大学藝術学部の4年で、「スタッフが異常に少ないので、動ける学生のバイトがほしい」と言われて行ったのが『孤独』の現場でした。
プロデューサーの吉見健士さん肝煎りの企画で、急遽スタートしたらしくて。普通ドラマだとスタッフ30人ぐらいいるのに、総勢10人以下だったのでえらく驚きましたが、アットホームな雰囲気に惹かれました。監督の溝口憲司さんは、撮影後すぐに飲みに行っちゃうような方で、「学校を卒業したらまた来たらいいじゃない」って声をかけてくれたのがうれしくて、シーズン2から本格的に関わり、シーズン6で監督デビューを果たすまで、このドラマは僕を育ててくれました。
ほぼ毎年制作されてきた孤独の制作期間は毎年4~5カ月。それ以外の時期は他のドラマや映画の現場で経験を積んで、また「孤独」の現場に戻ってくるというサイクルを繰り返していました。通常の現場は、演出部と制作部の分業制なんですが、ロケ地探し、お弁当の手配、小道具や衣装の準備など、全業務をやるのが孤独流で。助監督、というよりはADのように働いていましたね。
それでドラマ制作の様々な側面を学ぶことができましたし、孤独らしさみたいなものも身についたんじゃないかと思います。僕自身ハマっていたのは、小道具作り。美術さんがいなかったので、店内に貼るためのポスターやメニューなんかを自作しました。スタッフの顔写真をコラージュした演歌歌手のキャンペーンのポスターを作ってみたり、スタッフの名前を勝手に拝借した日本酒のラベルをつくって現場にこっそり置いておくと、溝口さんはえらく喜んでくれて。
グルメドキュメンタリードラマの大切な店選び
取材依頼をする際にお店に出す企画書があるんですが、実はシーズン1からフォーマットが全く変わっていません。打ち直すのはほぼ日付だけ。そこには「グルメドキュメンタリードラマのような」という一節がしるされています。それが「孤独のグルメ」の特徴を端的に表していると思います。元々、バラエティ番組の制作チームがドラマを作っているのも驚きでしたね。
お店選びの姿勢は初期から変わってないですね。スタッフ全員でお店を探します。実際に行ってよかったところをどんどんLINEで提案しながら、ある程度たまったらみんなで検討。全員に提案の権利があり、AD1人でもNGを出したらその店は却下。実際店選びはスタッフのモチベーションを大いに上げてくれてますね。
ドラマ『孤独のグルメ』のつくり方
お店は背景ではなく、井之頭五郎と並ぶ主役のひとつです。スタッフはみんな下見に行きますし、撮影する店が決まってからも何度も店に伺って大将や女将さんに取材しながら関係値を築いて。それで、何をどんな順番で食べるのかを決めて、脚本を制作してもらいます。
ロケはドラマパート一日、店での食事シーン一日。食事シーンは基本一発撮りです。松重さんには、美味しく食べてもらうことを最優先に考えています。なので撮影の都合で無駄に料理を食べることがないように、提供された一食分で撮影が終わるようにスタッフも計算をしています。松重さんも非常に集中して食べることに取り組まれています。こぼしたり、口元にご飯粒が付いたりすることもあるんですが、食べる一連の流れの中できわめて自然に処理されているのはさすがというほかないですね。
松重さんって毎回なみなみならぬ決意で撮影に来られるんですよ。ご自宅で台本を読み、「前日からごはん抜き」という世間の噂は真実ですし(笑)、まさに「腹が減った」状態で現場入りされて、ようやくお昼過ぎに箸を付ける。
あとはお店の人との関係構築も絶対。お店決定後も何度も通い、常連客の様子や大将との雑談などから脚本をつくっています。お店も、お店の方も主人公だと考え、そのお店の日常を尊重することこそ、「グルメドキュメンタリードラマ」の持ち味だと思います。
「孤独」に関わる中で、僕は「お店ファースト」の精神を培ってきたと思います。店探しはもはや趣味ですし、撮影以外でもいろいろなお店を訪れては、店主と話し、裏メニューを探り当てたりしてきました。「孤独のグルメ」とはなにかと問われると、ずっとライフワークだと答えてきましたし、今は他の食べ物のドラマの監督もよく担当しているのですが、「孤独」のスタンスを制作に生かそうとする場面は多いんです。
「孤独とは自分にとって何か」なのですが、自分で参加してつくりながら、今はむしろ「目標」に近いですね。僕は「孤独」のつくり方を知ってるからこそ、同じものをつくれないというジレンマがあります。いわば“超えたい壁”のような存在ですかね。