ドラマ「孤独のグルメ」シーズン1の開始から13年。脚本家・田口佳宏はずっとこの作品に関わってきた。これまでに至る世界観を1話から紡ぎ出してきた脚本家は、必ず現場にも立ち会うことにしているという。その理由が今明かされる。知られざる「孤独のグルメ」の料理の仕方とは。
構想10年超・制作1カ月
「孤独のグルメ」の企画が生まれたのは、今から25年前。当時、バラエティ番組の構成作家として活動していた僕は、共同テレビのプロデューサー・吉見健士さんから一冊の漫画を渡されました。「俺はテレビマンとしてこれを絶対に映像化したいんだ」と。
吉見さんと共に企画書を作りましたが、なかなか理解を得られず、結局、10年以上棚上げ状態になっていました。ようやく2011年の11月にテレビ東京の企画募集に通り、喜んでいたのも束の間、「12月中に3本撮って、1月からオンエア」みたいな怒濤のスケジュールで、このドラマは始まりました。
第1話が生み出した「孤独のグルメ」らしさ
原作は1話わずか8ページ。30分のドラマにするには、どうストーリーを膨らませればいいのか。監督の溝口憲司さんと共に頭を悩ませました。そこで私たちが大切にしたのは、「原作の持つリアリティを壊さない」こと。実在する街、実在するお店をそのまま舞台として描き、主人公の食事シーンもドキュメンタリータッチで表現しようと。
第1話のお店に選んだのは、門前仲町の焼き鳥店「庄助」。で、今の「孤独のグルメ」のおなじみの演出の数々は1話の段階ですでに入っています。たとえば、「腹が減った……」っていう五郎さんのセリフに合わせてカメラが引いていく「孤独カット」。五郎さんが仕事から飯に移るところをウルトラマンの変身シーンに見立てて、食へのスイッチが入る瞬間を象徴的に描きたいと。
台本には「孤独カット」とは書いていたんですが、手法が決まっていなかったのを、VE(ビデオエンジニア)の赤松比呂志さんが「ポンポンポンってカメラ引いたら?」って提案してくれて実現しました。
料理を俯瞰で捉えて料理名と解説を入れたカットを、スタッフは「グルメカット」と呼んでいるんですが、これは原作漫画にある1コマをオマージュしたものです。料理を主役として描き、視聴者に食べる疑似体験を提供するための工夫でした。
あと、僕は必ず食事シーンの現場に立ち会うんですよ。五郎さんは劇中でメニューを追加しますよね。アレも松重さんの発案で。シーズン4の5話で愛知県の日間賀島にロケに行ったとき、撮影に協力して下さった島の方々が松重さんとスタッフを囲んで宴会を開いてくれたんです。
で、食事シーンの撮影の時に「昨日食べた赤車海老と大アサリがめちゃくちゃ美味かったから、こっちを食べたほうがいいよ」って提案されて、その場で原稿を書き換えて、カット割りとかも全部変えて。
シーズン6あたりからは、わりと頻繁に松重さんが提案してくれて、追加メニューが増えてきたので、現場でもごく普通に書き換えるようになりましたね。作品をよりよいものにしたいから、現場もフレキシブルに対応していこうという座長・松重さんのスピリットだと思います。
「孤独のグルメ」は脚本家としての原点
「孤独のグルメ」は、僕にとって地元のような存在ですね。他の作品にも携わってきましたが、この作品は特別で、始まると「帰ってきたな」という安心感を覚えます。同時に「こいつ面白くなくなったな」って思われたらイヤだなっていうプレッシャーもあって、それが良い緊張感にもつながってます。
この作品を通じて、世間とのつながりを感じたこともあります。シーズン4の撮影タイミングで、先ほども話に出てきた第1話の「庄助」に、監督の溝口さんと、カメラマンの浅野典之さんと立ち寄ったんですが、そこにドラマのファンの女性がいらしてたんです。お父さんが「孤独」が大好きで、まだ配信が一般的ではなかった当時、わざわざ毎週録画して送っているという話を伺って、めちゃくちゃうれしかったです。自分の携わる作品が家族の絆になるなんて凄く光栄なことだと思います。
そして何より、松重さんの言葉です。とある回の撮影打ち上げで、「ぐっさんの(脚)本、おもしろいよね」って言っていただいたことがあるんです。現場主義でいろんなやり方を模索してきましたが、「あぁ、よかった」と思いました。この作品からはじまった脚本家という仕事を、きちんと認められたという思いだったんです。これで自分もプロとしてやっていける自信を持つことができた。それが僕にとっての「孤独のグルメ」ですね。