「10分どん兵衛」をご存じだろうか。10年ほど前、ネットを中心に話題になった「日清どん兵衛を10分ほどふやかして食べる」というムーブメントだ。この発信源がマキタスポーツだった。食に対しての執着が強く、経験を踏まえて旨さを認知してきたとマキタさんは言う。そして自身の食への姿勢を俯瞰して分析もする。舌だけでなく脳でも味わうマキタスポーツの『孤独のグルメ』とは。
ずっと自分で『孤独のグルメ』をやってきた
僕ね、食べ物に対する執着心が大きいんですよ。貧乏だった駆け出しの頃の習慣が染み付いちゃって、卑しいんです。山梨県から大学進学で東京に出てきたんですけど、当時、バイト先は賄いが確実に出る居酒屋。お客さんが残した料理をくれないかなとか思ってたぐらい。
だから、一人で何か食べるときとかには、なるべくお腹いっぱいになれて、自分自身で「ウマイ」と思えるような、いろいろな工夫をしていました。でも、それを他人に言うのはみっともないことだと考えていたんです。だから僕は自分でずっと『孤独のグルメ』をやってきたんだと思いますね。
例の「10分どん兵衛」も、原体験は上京後の生活の中にありました。お金がなかったので、実家から送られてくるいろんなカップ麺やインスタントラーメンをできるかぎり長くお湯につけて、なんとかかさ増ししたかったんです。どん兵衛限定じゃなかったし、実際には10分でも20分でもお構いなしでした。
担当の方は「10分も漬けるなんて想像したこともなかった」って、本当に驚いていらっしゃいました。まあ、そりゃその方からすると超イリーガルですよね。ただ、「うちの麺に10分の耐性があることを初めて知りました!」って喜んでいらっしゃいました。
冷蔵庫の現状を把握し実践する“生活食”
今の僕の『孤独のグルメ』というと、“生活食”かな。自分の生活が劇的に変わって、2023年から、東京と山梨県との2拠点生活をはじめたんです。小学生の息子ふたりと妻が山梨、僕は娘ふたりと東京で暮らしていて、そこでの自分たちの「生活を回すために食べるもの」を“生活食”って呼んでます。もうひとつ、「食べたいものを外に食べに行ったり、わざわざ食材を買ってきて作ったりすること」を“趣味食”と呼んでるのですが、今は、断然“生活食”が気になっています。
最近では、家の冷蔵庫にあるものをいかに適切に活用しておいしいものを作れるかという視点で生活食のことを自然に考えているのが、なんか自分でも面白いんですね。妻がいたとき、僕が考えるのは趣味食中心でした。たまに料理もしましたが「今日はパパが煮込むぞー」とか言いながら、豚足とか、普段うちにないような食材をわざわざ買いに行って仕込んでました。
自然に食の管理ができるようになったのは、もともとそういう情報を読み取り、処理することに興味があったからだと思うんです。例えば洋服も好きなんですが、僕は自分のタンスに何があるか把握していて、今シーズンはあれを買って、あれと組み合わせよう、そのかわりこれはもう処分だなって、考えてきたんですね。冷蔵庫もそれと同じなんですよね。そんな一方で、関心が低いものに対する解像度はめちゃくちゃ低い。山梨の山なんてきっと情報の宝庫のはずなのに「ああ風が気持ちいい!」とか以上の思いは何にも出てきません(笑)。
空腹は最高のスパイスではなく、人生の祝祭
『孤独のグルメ』の五郎さんのセリフにもありますけど、食事をしておなかがいっぱいになっていくのって、なんか「終わっちゃう」感じが昔からありまして。ごはんを食べるまでの気分が最高潮で、いざ食べ始めるとその上昇曲線のてっぺんからどんどん落ちていく。だから、食事を楽しむうえで、おなかいっぱいっていうのは「絶望」とも言える。
それで僕は、あるときこう考えたんです。自分たちとは移動とか仕事とか娯楽という行いの間にごはんを食べると認識しているけれど、ごはんをメインに据えるべきではないかと。まず毎日の大切なごはんがあって、そのあいだにいろんな行い……要はメシ以外のすべてをしていると。
楽しくて最高なごはんが、食べておなかいっぱいになることで終わってしまう。だから、仕方がないので次のごはんのタイミングまでは何かの行いをしておこうと。当然、その間もごはんのことが楽しみなので、「早くおなか空け!」って思いながら行動してるんですよ。
でも「今まさにおなかが空いた」っていう瞬間はわからないんですよね。だから、意識しながら生活をしていたら、あるときに、“あ!今のこれがまさにおなかが空いた瞬間だ!”って自分でキャッチできたことがあったんです。
それは原稿を書く仕事をしているときで、突然胃袋に「ギュイーン」っていう感覚がきて、「ごはんの受け入れオーケー!」みたいに感じたんです。それがまさに「腹が減った」瞬間。
この瞬間を実感できたときは「もう最高!」「生きてるー!」っていう感じで、ごはんという「祝祭」の始まりの合図として頭の中でくす玉が割れました。五郎さんの「腹が、減った」っていうカットは、まさにそれを表しているのかもしれないですね。