昔ながらのシウマイからジャンボシウマイまで
横浜駅の売店から始まった〈崎陽軒〉が、駅弁の販売を始めたのは、大正4年のこと。ところが、東京駅に近すぎて、なかなか売れない。そこで、横浜名物を作ろうと目を付けたのが、シュウマイだった。
「当時の中華街の店では、どこも突き出しにシュウマイを出していたそうです。それを電車の中で食べやすいよう小ぶりにし、豚肉にホタテ貝柱を混ぜて冷めてもおいしいように開発したという話が残っています」(西村さん)。
そして、昭和3年、初代社長の出身地である栃木訛りの発音を商品名にした『シウマイ』の販売を開始。小型飛行機でタダ券付きのチラシをまいたり、戦後間もない昭和25年にはキャンペーンガールの走りともいえる“シウマイ娘”を起用するなど、攻めまくりのプロモーションで、知名度を上げ、その勢いのまま、『シウマイ弁当』を始める。
いまやひょうたん型キャラクター『ひょうちゃん』でお馴染みの磁器のしょう油入れをシウマイの折り詰めに入れたのも、簡易お手拭きを駅弁につけたのも、〈崎陽軒〉が初だという。いまや一般的になった“真空パック”という造語の生みの親も、実は〈崎陽軒〉なのだとか。
この〈崎陽軒〉、横浜駅至近に本社と工場のある駅売店として、車中で一晩過ごす人が出るような非常事態には、お弁当を乗客等に届ける供給責任を持つ。そうした質実な仕事の一方、開業時から受け継がれる攻めの姿勢は近年加速度を増している。
時は流れて平成16年、今度は小ぶりとは真逆の、特大のウェディング用『ジャンボシウマイ』を世に放つ。
「〈崎陽軒〉本店ではレストランウェディングもやっているのですが、そのお客様から崎陽軒らしいものを、とリクエストをいただいたのがきっかけです。中国には、桃まんじゅうの中から出てきた小さな桃まんじゅうを結婚式の列席者にふるまうと子孫が繁栄するという風習があり、そこから発想を得ました。外側の大きなシウマイの作り方ですか?それは企業秘密です」
コロナ禍でも攻め手を緩めない〈崎陽軒〉スピリット
〈崎陽軒〉の攻めの姿勢は、コロナ禍でも本領を発揮。ウェディング仕様の『ジャンボシウマイ』のミニ版をインターネットを中心に販売したのだ。
「お客さまが店に足を運べないのだったら、崎陽軒がお客様のところに届けようよ、という思いから始めたのですが、予想を超える反響で、1か月待ちの時期もありました」
この『おうちでジャンボシウマイ mini』に留まらず、コロナ禍では、『シウマイ弁当冷感タオルケット』やクッション、ハンドタオルなど、グッズも積極的に展開した。
「もともと面白いことをやりたい人間が集まっている会社なので、春夏もの、秋冬ものと、いろいろ作りました。『シウマイ弁当お弁当箱&お箸セット』は、“弁当屋が中身の入っていない弁当なんて売っていいのか”という声もありましたが、おかげさまで、2回も品切れしてしまったほどの売れ行きでした」
台湾のホテルで横浜名物に浸る!?
海外にも飛び出している。2020年8月に、台湾・台北に海外1号店を出店したのだ。
「横浜は海外からの観光客が少なく、インバウンド需要が低い。待っていても来ないんだったら、自分たちから出ていって、横浜名物を広めようと、駅弁文化がある台湾に着目して出店しました。ちょうどコロナ禍と重なってしまい、大変でしたけれど。もちろん、『シウマイ弁当』は販売しています」
ホテルグレイスリー台北では、〈崎陽軒〉と横浜を台湾の人たちに身近に感じてもらおうと、『崎陽軒コラボレーションルーム』も展開中だ。5年後には『シウマイ』誕生100周年、〈崎陽軒〉は120周年を迎え、いろいろと企画を練っているところだという。
「海外の方が新幹線の中で当たり前にシウマイ弁当を食べる」時代を夢見て、〈崎陽軒〉はまだまだ攻めていく!