令嬢たちの最新トレンドは憧れの西欧名勝模様
雲上に聳(そび)える山嶺、湖面に浮かぶ古城、帆に風をはらむ船、そしてエキゾティックな植物……。江戸時代では当然なく、さりとて現代にはこれほど大胆(?)な柄は見当たらず、一目で「近代」とわかるユニークな色柄のきもの。
本作の制作年は昭和11(1936)年だが、色鮮やかな化学染料や、写実的・絵画的表現を精緻に再現できる、薄手でしぼの小さい縮緬が普及したことから、特に女性用のきものに、目を驚かせるような洋風のモチーフが登場してくるのは、明治中期以降のことだ。
中心となるモチーフから、「アルピン(=アルペン、ドイツ語のAlpen/アルプス山脈)模様」と呼ばれた、なんとも印象的な文様にやや先行して大正時代に人気を博したのが、洋花模様だという。今回も染織史を専門とする共立女子大学・長崎巌教授の解説で歴史を辿っていこう。
「江戸時代までのきものに表現された植物は、吉祥柄であったり、『源氏物語』や『伊勢物語』など文学に関する連想を引き寄せるきっかけとなることが多く、形は一目でそれとわかる、ステレオタイプな表現にする必要がありました。
一方、近代以降に入ってきた西洋的な植物学の知識の周辺には、それこそ“ボタニカルアート”と呼ばれるような、写実的、学術的な描写を鑑賞する文化がある。また珍しい西洋の植物を自宅で栽培することが、富裕層の贅沢にもなりました。
そのような西洋の植物表現や、西洋そのものへの憧憬が、きものの上に反映されたのが、写実的な洋花模様なのです。
これと同じ経緯で、海外の“名所”をモチーフにしたのが、アルピン模様でした。誰もが観光に出かける時代ではありませんが、ヨーロッパの情報がそれなりに入るようになると、有名な観光地として、“ヨーロッパで一番美しいのはアルプスらしい”という認識が生まれてきます。
ゆえにこの時代の日本人にとって、憧れの海外旅行先ナンバーワンだったアルプス、そしてレマン湖などが、絵画的に表現されたのです」
江戸時代の友禅染では染料が混ざり合わないよう、糊で防染して色の境界線をつくったが、この時期の化学染料は「液描(えきがき)」といって、絵画とほぼ同じような表現が可能だった。さらに旧来の呉服商ではなく、和洋のファッション全体で新機軸を打ち出す「デパート」の出現が、きもののあり方にも変化をもたらした。
洋花模様は留袖にも用いられたが、新興富裕層の令嬢たちがまとったのか、アルピン模様は振袖中心。当時の丸紅商店が社内に染織図案研究会を発足させ、日本画家をはじめとする芸術家から創意を汲み上げたように、つくる側も着る側も、次々と新しい工夫、トレンドを求めたのだ。
Column
ヨーロッパの意匠が移植された螺鈿と蒔絵の名品
異国、異文化の意匠が、日本の工芸技法の上に表現された時の異化効果のインパクトは大きい。本作はキリスト像や聖母子像などの図像を収めるとして、ヨーロッパから注文を受け、螺鈿(らでん)や蒔絵(まきえ)の技法を駆使して日本でつくられた。黒と金の色調は東西共通ながら、素材は漆に貝。桜や椿(つばき)、菊、桔梗(ききょう)といった日本的なモチーフに、燦然と聖母の星が輝く。
きもの用語解説
縮緬(ちりめん)
経糸(たていと)に撚(よ)りのない生糸、緯糸(よこいと)に強撚の生糸を用いて平織りした絹織物。表面に波状・粒状のしわ(しぼ)が現れる。
防染(ぼうせん)
絵柄の輪郭に糊を置いて染料の染み込みを防ぎ、白抜きを作る技法。
留袖(とめそで)
成人した女性が着る、振袖の脇をふさぎ、袖を短く切り詰めたきもの。
八掛(はっかけ)
女性のきものの袷(あわせ)や綿入れの着物の裾の裏につける布。裾回し。