男子三日会わざれば刮目してこれを見る可し、という言葉がある。どういう意味かというと、以前、どうしようもないアホだった奴でも、その後、努力して凄い奴になっている可能性があるから、久しぶりにそいつに会う場合は、「どうせアホや」と侮らず、注意深く観察して接遇しなさいや。ほどの意味の言葉である。
と云って、この「男子」というところに、「此の世には女子もいるんじゃがね」と文句を言いたい人も今日日は多いのかもしれない。
俺はその意見に全面的に賛同する。というのは実情を見ると、男子は、三日どころか十年二十年経っても成熟を拒否して、昔のままの髪型で昔のままの服を着て、ロックやアニメといった幼稚な趣味に耽溺、愚にもつかぬ人形や運動靴を集めて悦に入る、見た目、中高生なのに顔は老けている、おっさん子供、に成り果てているのをしばしば見るのに比して、女子は、ついこないだまで子供子供していたのに突然ギャルになり、キャバクラで働いていたかと思ったら急に勉強を始めて資格を取得、一流企業に就職してキャリアを重ねたり、起業して何億も納税するようになるなど、見た目も中味も短期間で著しく変化、女と思って侮っていたらどえらい目に遭うからである。
しかし時々は男子も頑張る。斯く言う俺がまさにそうで、つい先日までは、齢耳順に達しながら、知らぬ業者に邪険な対応をされて心が傷つくのを懼れて電話できず、家屋倒壊の恐怖に怯えていた、クズとしか言いようのない男子だった俺も、偶然により旧知の業者・名尾心太郞と連絡がついたことに力を得て、驚くほどの人間的成長を遂げたのである。
それがどんな成長であったか、について今回は申しあげようかナーと思う。
と云ったところで、まず皆さまが気になっているだろう柱の修繕について申しあげる。
結論から言うと柱の修繕はうまくいった。
と言うと皆さんはガッカリされるかも知れない。なんとなれば面白くないからだ。人の不幸は蜜の味、と云うように、他人が揉めたり失敗したりしているのを安全な位置から眺めるのはおもしろい。小説やなんかはこの人間の特性に着目して様々な人(含む自分)が不幸な目に遭う様を活写して読者に御愉快を提供している。
だからこの文章が小説だったら俺も、柱の修繕に失敗して家が倒壊、すんでのところで脱出して各地を放浪するうち観音の化身と出会って色んなことを教わり人間的に成長、業者に電話を掛けられるような素晴らしい男になる、みたいな話にする。
だがこれは小説ではないのでおもしろくないが、本当の事を書く。柱の修繕はうまくいった。名尾が連れてきた大工は柱を見て様々に寸法を測り帰っていった。数日後、何時の間に届いたのか、表に出ると玄関先には角材が積み上がって在り、大工は、柱を真ン中あたりで截断、腐朽した部分を切り取り、接合部にレゴブロックのような加工を施した上で下部に新しい材木を継ぐ、という技法を用いて、これを修繕した。
と書くのは簡単だが、実際にこれをやろうと思ったら様々な経験、修練がおそらく必要であろう、ということが脇で見ていて知られた。継がれた柱は白木のままであった。俺はそれを見て、不安な気持ちになった。なんとなれば名尾が、「腐朽の原因は柱にかかった雨水であろう」と言っていたからで、塗装皮膜がなければ又すぐに腐朽してしまうのではないか、と思ったからである。
なので俺は不安のあまり過呼吸に陥るのではないか、という不安で過呼吸になるのではないか、と不安になり、右手で胸、左手で頭を押さえ、稍前屈みになりつつ膝を軽く曲げ、つま先立ちになって右に左に旋回するという、まるでアホがマイケル・ジャクソンの練習をしている、みたいな醜態をさらしてしまった。そしてこんな醜態を見たら大工は俺を軽蔑するのではないか、という不安から本当に過呼吸になりそうになり、マイケルに拍車が掛かった。

しかし大工は親切な人だった。俺がそんな状態になっているのにもかかわらず通報もしないで、「数日後に塗装屋さんが来てペンキを塗ってくれますからね」と言って慰めてくれた。それにより俺の不安は少し減り、お蔭で一般的な社会の落伍者程度の振る舞いはできるようになり、「どうもありがとうございました」くらいのことは言えた。
だがマアそんな言葉は一時の気休めに過ぎない、と思いおったところ、数日後、本当に塗装屋さんが来て、修繕したところは言うに及ばず、その他の既存の柱もきれいに塗装をしてくれた。がっちり塗装皮膜ができたのでこれで当分の間は虫損・腐朽の虞はなくなった、と思うのだけども。
当分の間、ってどれくらいなのだろうか、という思いが頭に浮かんで俺は又いけなくなる。勿論、五年かそれくらいは大丈夫だろう。だけど十年経ったらどうだろうか。前回、この柱を塗装したのは確か、今から十五年ほど前である。そしてこの家が竣工したのは四十五年前である。それをどういう風に計算したらよいのか分からないが、いまから四十五年後には確実に腐朽している。その頃、俺は多分、生きていないので、後は野となれ山となれ、てなものであるがしかし。
途中で継いである分、一本の柱よりは持ちが悪いだろうし、この張り出し部分=玄関がへっこんだ部分には全部で四本の柱があり、うち二本が腐朽していた今回の修繕を行った。ということは?
修繕しなかった部分の内部で崩壊が進んでいないという保証はどこにもなく、場合によっては十年後、いやさ来年にも腐って崩壊する可能性が極めて高いのである。それを考えれば仕事なんてしている場合ではなく、とにかく早急に対策を練らなければならない。だけどどうしたらいいのだろうか。観音さんか弘法さんが来てなんとかしてくれないだろうか。俺は他責思考を好む。
そんなとりとめのないことを考え、ボンヤリ佇んでいると雨が降ってきた。最初のうちはポツポツと降っていたのだが、アッと言うまに豪雨になり、軒先から落ちる雨の雫がまるで滝のようだった。その雫が自然石を組んだ擁壁に落ち、飛沫が少し離れた玄関のところにいる俺のところにまで飛んでくる。そして擁壁近くの柱はそれによりホースで水を浴びせたようになっている。
俺は、「これだ、これが原因だ」とすぐに思った。雨が降る度、こんなに水がかかっていたのでは、そりゃあ腐朽もする。しかしながらなぜこんなに軒先から雨が落ちてくるのだろうか。それを防止するために雨樋というものがあるはずなのだが。と、思ってみると確かに雨樋はあった。しかし、それは軒の半分くらいまでしかなく、そこから先は雨樋がなくて、それが為に軒先から滝のように雨が落ち、それが擁壁の岩に当たって滝飛沫のように柱にかかっているのだ。
「あかんがな」
と絶叫しつつ、俺はしかし以前のように暗くならず、名尾にLINEというものを介して、雨樋について相談がある旨を伝えた。名尾は爆速で返信してきた。名尾とのやり取りを終えて俺は、「暫くは雨樋に向き合って行かざるを得ない。仕事をやっている余裕なんてとてもじゃないが、ない」と、ないと言う前に一拍、置くくらいの余裕を回復していた。俺はもう三日前の俺ではない。そう思いつつ俺は秋の気配を感じていた。