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町田康『家事にかまけて』第9回:狂乱の収納

作家・町田康が綴る家事、則ち家の中の細々した、炊事や洗濯、清掃といったようなこと。

illustration: Machiko Kaede / text: Kou Machida

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収納という日本語がある。どちらも、おさめる、という意味で、それが二つ重なっているというのは、余程、おさめたい気持ちが溢れているからだろう。

先月、この欄で俺はパターンチェンジ(模様替えの事)に狂乱している、という話をした。あれから一月が経ち、桜も散り、木蓮も春寒に枯れた今、狂乱はやや収まったかに見える。だがそれは、そう見える、だけで、俺の内部に狂乱は残っている。狂乱が俺の中にある棚、又は箱に収納されただけで、狂乱がなくなった訳ではない。なので、それを表に出せば俺は再び狂乱し始めるのである。と言うか。

かかる奇矯の言説を唱えていること自体が狂乱であるのかもしれない。

では、そんな風に狂乱している俺が何故、パターンチェンジの狂乱を収納できたのか。それはパターンチェンジの不可能性に気がついたからである。

どういう事かというと文字通りそういう事で、パターンチェンジをやればやるほど俺の家の中は、より珍妙で、より落ち着かぬ形になっていった。

なぜそうなるのかと言うと、一つには、部屋が見慣れぬ様相を呈すから、と言うのがあるように思う。なんとなれば人間は見慣れぬ物を見るとソワソワと落ち着かぬ気持ちになり、変だ、と感じてしまうからである。美容師に進められるまま髪型を変え、或いは、売り子の口車に乗って変わり型の服を買い、不安を感じつつ出掛けた先で友人・知人の爆笑を誘うのはこの為である。

しかしそれは暫く我慢しておればやがてそれに慣れ、最初に感じた違和感、落ち着かない感じは消失する(筈である)。

ところが幾ら待っても落ち着かない感じが消失しない。それどころか、落ち着かない感じは日が経つにつれて増大、やがてそれは耐え難い不快感となり、ただ座っているだけなのに、踊り疲れたディスコの帰り、これで青春も終わりかな、と呟く中年のおっさんが家の至るところに居るみたいな気持ちになって、夜中、何度も自死を考えた。

なんでそんなことになるのか。それにはパターンチェンジを始めた、そもそもの理由が関係している。俺はなぜパターンチェンジを始めたのか。それは雑然として利便性が低い、本棚をすっきり整理したかったからである。然るに考えてみれば、雑然としているのは何も本棚だけではなく、家の中全体が雑然としていた。物の置き場が定まらず、生活に必要な物と不必要な雑物が渾然一体となって、家の彼方此方に放置されて、きわめて見苦しい有様と成り果てていた。

室内装飾に関係する配信動画や雑誌などに屢々、生活感ヲ消シマセウ、という文言を見るが、俺の家の場合、それが丸出しになって展開していた。

剥き出しの生活感が住人(俺の事)に襲いかかり、その様たるや獰猛な獣の如くで、襲われた住人のメンタルは猫のトイレを百回拭いて棄てられたボロ雑巾のようになっていた。

つまりだから。

「いくら家具を移動したって埒はあきゃせんのだ」

と俺は内閣総理大臣・石破茂閣下の口調を真似て言った。じゃあ、どうすればよいのか。やることは只ひとつ、「片付け」である。つまり、そこいらに放置してあるものを、棚や箱に収納し、剥き出し・丸出しの生活感を隠蔽する。

それをやって初めて人間は落ち着きを取り戻し、自然を愛で、芸術を鑑賞し、薄茶を飲んで屁をこいたり、自家製ハムを造ったりできるようになるのである。

それに気がついた俺はパターンチェンジを一旦中断、その狂乱から脱却することができたのである。

部屋の片付けをする人のイラスト

そして主に何をやっているかというと片付けをやっている。正確に言うとやろうとしている。あ、そいで本題とは関係のないことを一言だけ言わせて欲しい。俺は今、片付け、と言い、お片付け、とは言わなかった。実は俺は三十年くらい前から、この「お」という接頭語はない方がいいのではないか、と考えており、極力これを使わないよう心掛けている。おやつ→やつ、お出掛け→出掛け、おにぎり→にぎり、おはよう→はよう、おっさん→っさん、おばはん→ばはん、と云う具合に。それ故、ここでも、お片付け、と言わず、片付け、と言うことを許して欲しい。ごめんな。

で、片付けをすれども、片付けの本然とはなにか。片付けのぎりぎりの肝要のところをうかがいたい。と問う人があれば、それは間違いなく、収納、だと俺は思う。つまり、そこいらで好き放題、剥き出している雑物を、箱なり棚なりに収め、それを見えなくする。不可視・不可知にする。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味触法。無眼界乃至無意識界。という状態、つまり大悟したような状態を創り出す。そんなことを仏教的にやろうとしたら大変な修行をしないといけない。だが収納の場合は箱の中に入れるだけでよい。

なんだ。簡単なことぢゃないか。世の中の人はなんでこんな簡単なことがわからないのだろうか。ばかなのかな?

そう思いながら俺は収納に取り掛かった。そしてその時、パターンチェンジの時と打って変わって俺の心は静かだった。冒頭に申し上げたように狂乱は俺の心に収納されて在った。どうやら、人が収納して狂乱することはないようだった。それは確かにそうなのかも知れない。

「うおおおおっ、ここにブリーフしもたるっ。ぎゃああああっ」

など絶叫して収納している人が居たら、ちょっとおかしいと言うか、普通じゃないな、ということにやはりなる。っていうか病院。

そんな訳で俺は心静かに収納をしていた、と言うと少し違って、収納をしながら俺の心には不吉な暗雲が立ち籠めていた。なぜと言うに。

剥き出しの生活感をすべて収納する為のスペースがまったく足りないということが明白であったからである。となると、それらを収納するための収納ボックス、ラック、ボード、箪笥の類が必要だが、しかしたとえそれらが調達できたとしても、それらを置くスペースが家にない。

どうすりゃいいのさ思案橋。進退窮まった俺は、先日までの狂乱とは一転、深刻な顔で一点を見つめて終日押し黙って、生活感に浸る変なおっさんになってしまっていた。

この事実の打開策は唯ひとつ、そう、現今の収納スペースに収まるまで物を減らすより他ない。それがわかっていながらなにもできないのは、下手にパターンチェンジをしたことも相俟って、どこから手を付けて良いかわからぬほどに現状が混乱しているからであった。

絶望、悔恨。そして寂寥。

「最初からなにもしないでいれば良かった」

呟いたがもう遅い。取り返しがつかないところまで来てしまっている。俺はこのまま老いさらばえて死んでいくのだ。梅も桜も散り、木蓮も枯れた春の日、俺はそんなことを考えて汚いところに蹲っている。ひとり蹲っている。

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