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オカルト探偵・吉田悠軌が抱く恐怖への憧憬

オカルト探偵として全国各地の怪奇スポットや禁足地を訪ね歩く吉田悠軌。怪談師としても長く活動を続ける彼は、なぜそれほど恐怖に執着するのか?その理由を探ってみた。

photo: Norihiko Fujisawa / text: Tetsu Takasuka

絶望の淵にいた時、怪談に魅了される

現在、怪談師としてテレビやネットラジオ、イベント等で幅広く活動するほか、数多くの怪談本も手がけている吉田悠軌さん。今でこそ怪談がブームになっているが、彼が怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げた2005年には、怪談師の肩書で活動する人は誰もいなかった。当時、吉田氏は就職活動で64社に落ち、唯一拾われた出版社からも試用期間中に退職を迫られるなど、絶望の底にいたという。そんな時、友人から稲川淳二さんの怪談ライブに誘われ、その世界に魅了された。

「ただ怖い話だけをする飲み会をやりたくて『とうもろこしの会』を立ち上げました。当初は居酒屋を会場にしていたのですが、公民館などでイベントを開くようになった時、あまりおどろおどろしくない名前の方がいいと思って『とうもろこしの会』という名前をつけました。最初は怪談好きが集まって怪談を披露し合う感じで、それを仕事にするつもりはまったくありませんでした。しかし、そのうちトークイベントに招かれたり、執筆を依頼されるようになり、徐々に活動の幅が広がっていきました。怪談イベントも月1回で開催していましたが、1円にもなりませんでした。怪談で生きていけるようになるまでに8年ほどかかりましたね」

コロナ禍で過熱した怪談ブーム

「とうもろこしの会」の立ち上げから18年が経ち、いまや怪談はエンターテインメントの1カテゴリと言えるまでのコンテンツへと成長した。最古参の怪談師の一人として業界を盛り上げている吉田さんは、ブームの背景をこう分析する。

「コロナ禍が本格化した2020年から巣ごもり需要が拡大したのに伴い、動画配信サービスの利用者が一気に増え、プラットフォームも整備されました。怪談人気もそれとともに加速していきますが、その理由は怪談というコンテンツが動画配信と非常に相性が良かったからだと考えています。お笑いだとお客さんの反応が必要ですし、音楽だといろいろな機材が必要になる。その点、怪談はスマートフォン一つあれば撮影できます。画質や音質もそこまでこだわらなくてもいい。だから、気軽にやってみることができたんです。その結果、私の印象では怪談師の数がコロナ以前の2倍に増えました」

現在では毎日のように各地で怪談イベントが開催されている。その数はブーム以前に比べて体感で約100倍だという。その影響もあり、怪談のネタの仕入れ方も昔とは違ってきた。

「以前は怪談師が少なかったので、知り合いや怪談好きの人たちからネタを仕入れていました。しかし、最近は怪談界隈でネタを仕入れようとすると話がかぶってしまうことが多くなったんです。そのため、今は主にSNSなどでネタを募集しています」

誰でも一つは怪談ネタを持っている

ネタはメールやDMで寄せられるが、そのままでは怪談として成立しない。吉田さんは寄せられたネタに対して入念な追加取材を行う。

「詳しく知りたい箇所があれば、メールや電話で掘り下げて質問します。日時や場所だけでなく、その時の服装など事細かに聞きますね。電話の場合は、取材が1〜2時間に及ぶ時もあります。それくらい詳しく話を聞かないとストーリーを再構成できませんし、そうすることで怖さのキモのようなものが見えてくるんです」

とは言え、そう次から次に怪談が集まってくるものなのだろうか?そんな疑問に吉田さんはこう答える。

「怪談のネタになる話は、必ず誰もが一つは持っているものなんです。別に幽霊が出てくる話じゃなくてもいいんです。例えば、“目の前でカマキリの体がバラバラになったと思ったらそれが集合して再生した”とか、“隣の家のおばあちゃんが座布団に座って居眠りをしているかと思ったら、そのまますごい高さまで飛び跳ねていた”とか、説明のつかない不可解な体験も怪談です。本人が怖いと思っていなくても、よく聞くと怖い話もある。ですから、ネタを集める時は、“怖い話ないですか?”と聞くのではなく、“不思議な体験や説明できない出来事はありますか?”と聞くようにしています。そうすると何かしら面白い話が出てくるんです」

恐怖の種類は単一ではない

吉田さんは仕入れた怪談を怪談イベントやネットラジオで語る一方、怪談本を執筆して文章に落とし込む。“語る”と“書く”とでは感覚がどのように異なるのだろう?

「語るのに適している怪談と書くのに適している怪談があります。語るのに適しているのは、一つのシーンに肉薄するようなダイナミックな怪談、書くのに適しているのは情報を連ねることで面白くなるような怪談です。内容によっては文章にせず、語るだけのこともあります。個人的には怪談の本質は語ることにあると思っています。各地の怪異の伝承も語り継がれてきたものですし、取材する際にも体験者に語ってもらっていますからね」

怪談師として活動するだけでなく、怪談の舞台となった場所や、足を踏み入れてはいけないとされている全国各地の禁足地を取材して回っている吉田さん。取材をもとに何冊か書籍を出版しているが、本来の目的は別のところにある。

「現場に行ったからといって何かが起きるわけでも真実がわかるわけでもありません。しかし、誰かが不思議な体験をした現場を見ることで怪談にリアリティが生まれるんです。怪異が囁かれる現場とはどういう場所なのかをマクロな視点で捉えたいというのも理由の一つです。これまで数多くのスポットを回ってきましたが、怪異が起きるとされる場所は高低差が激しいエリアの低地でなおかつ水場に近いところが圧倒的に多い。これは「水場に霊が集まりやすい」などの言説から演繹的に導き出したのではなく、数多くのサンプルから帰納的に導き出した結果です」

恐怖を語り、怪異を訪ねる吉田さん。彼にとって“怖さ”とは何なのだろうか?

「“幽霊よりも生きている人間の方が怖い”ということがよく言われます。しかし、恐怖の種類が単一と考えるのは間違っていると思います。確かに命を脅かすような危害を与えてくる人間は怖いですが、危害は加えられないものの自分の常識とは違う何かが存在することに対する恐怖も確実にあります。怪談とは、その恐怖にひと触れした人たちの体験談です。人間にはそれを知りたいという気持ちがある。おそらく、恐怖は未知のものに対する憧憬に近いのだと思います。それは、生きている間は絶対に知ることができない“死”の向こう側を知りたいという欲求に繋がっているのではないでしょうか」