都市の中に自然を見出し、あるがままに撮る。
学生時代にシュメルツダヒンという前衛芸術グループの一員として映像制作に携わる一方、ボン大学で生物学を学んだヨヘン・レンペルト。研究者としての視点が活かされたモノクロームの特異な世界観とその背景を知るために、ハンブルクにあるスタジオを訪ねた。
ハンブルクの西部に位置する、かつては小さな漁村だったというアルトナ地区にヨヘン・レンペルトのスタジオはある。同じ建物の中にはほかにも数多くのアーティストたちがスタジオを構えており、一つのコミュニティが形成されているのだという。廊下の窓から外を覗くと、穴の開いたいくつかの小さな木箱が並べて取り付けられているのが見えた。
「あの箱にツバメが引っ越してくるのを何年も待ちました。ツバメは建物にできた隙間に巣を作ることが多いのですが、ハンブルクは古い建物が少ない分、隙間の数もまた少ないのです」とレンペルトは語った。こうしたほんの短いやりとりの中にも、彼の作品世界の一部が表れている。
人が暮らす都市空間の一端として存在する自然。日々の暮らしの中で私たちが恐らく目にしながらも次の瞬間には忘れてしまうような、しかし確かにそこにある自然に対して、レンペルトはしなやかで明晰な眼差しを投げかけている。
「私は都市の環境であっても野生の環境であっても、自然ということにおいて両者にそれほど違いを感じません。私たち人間も自然の一部だと思っているからです」
彼の作品には自然現象をくまなく観察した結果といえる作品が数多くある。例えば、スタジオの窓から撮影された作品の一つ、「Vanessa atalanta Migration(ヨーロッパアカタテハの渡り)」には、毎年、秋になると建物の敷地内にあるレンペルトの庭にやってくる蝶が写っている。花が咲くこの時期にやってきては、ここで腹を満たしたあと、一斉に北アフリカや地中海方面へ向かうのだという。
「これはなかなか感動的な情景です。普通に蝶を見ていても彼らが何か目的や意味のある行動をとっているようには見えません。でも彼らはただ飛び回っているのではないのです。私はその行動パターンが意味することを知っていたので、それを写真に残すことが可能なのではないかと思ったのです」
研究や観察に裏打ちされた作品が多い一方で、撮影そのものは事前に何か計画を立てたり、頭の中でイメージした光景を追い求めることは少ないという。むしろ日々の生活や旅先での偶然の出会いから始まることの方が多いのだそうだ。
「“見る”という行為そのものは、無意識にせよ、自分が模索しているイメージと繋がっているはずなので、そういった意味での先行するイメージはあると思います。常にオープンな状態にしつつ、自分なりのコンセプトに従うということでしょうか。何か特別なものを撮りたいと、自然に対する期待があるわけではなく、ただそこにある自然を認識したい、写真でそのことを表現したいと思っているのです」
レンペルトの作品は常にモノクロームのフィルムで撮影され、現像からプリントまでのプロセスはスタジオにある暗室で自らが行っている。「写真を見る時にそこに含まれる“情報”に興味を持つ人が多いように思いますが、私は自分の作品をオブジェのように考えています。つまり、ゼラチンシルバープリントは“紙の作品”であると。私がモノクロームを好きな理由は自然を語る時に、そこに抽象的な概念を持ち込むことができるからです。印画紙に関するこだわりはとてもシンプル。光沢ではないこと。ただ、それだけです」。
写真の持つ情報という側面については、唯一の例外として、忘れられない体験をした一枚があるという。東京で撮影をした「Untitled(Turtle Tokyo)2008」という作品を見た、ドイツの友人が思い浮かべた場所というのが、「まさに私がこの写真を撮った池だったのです。この写真からそのような情報を得ることが可能だとは思ってもみませんでした。とても驚いたし、大変興味深い出来事でした。この写真には自分が思っている以上に情報が含まれているのかもしれません」。
研究者としての視点とアーティストとしての視点に加え、レンペルトが持つ第3の視点とでも言うべきものが編集者としての視点だ。文字通り、現在までに出版された作品集はすべてレンペルト自身が編集を手がけている。「本は映像に近い連続性を持っています。例えば、見開きに並ぶ2つの異なるイメージの相互作用が持つ重要性など、本の編集には過去に映像作品を作っていた経験から学んだことが、とても大きく活かされています」。
編集者としての視点は本の編集だけでなく自身の展覧会にも表れている。写真作品は額装をせずに壁に直接貼られ、「場」と一体化させることで、見る者は歩きながらより近く、より強く、「場」全体を通じて作品を体験することになる。
「私は展覧会の際、いつも必要以上に大量の写真を持ち込み、その場所に立って、即興で展示構成を決めるようにしています。額装をしないのは、もちろん見る側にとってもそうですが、その方がそれぞれの写真の相互作用が強まるからです」。
一枚の写真をどう見せるかというより、「場」を含めた全体を通じて、それぞれの写真がどのように反応し合うかを見極めることが大切であり、それこそが必須の作業であるという。
若き日に映像作家としての活動を始め、幼少期からの純粋な興味の対象だったという自然を大学で学び、そして後に写真家となったレンペルト。写真を撮り続けるというプロセスは常に彼の世界観や自然に対する興味と理解に変化をもたらしてきた。
「人は自然には時間がないと思いがちです。窓の外の鳥のさえずりも、当たり前のように聞いていると気づきませんが、私のように25年間も意識的に聴き続けると、いつの間にか以前とは違う鳥が鳴いていることに気がつくのです。自然はいつも同じようにそこにあるようで、実はそのすべてが時間とともに動いている、いわば歴史的な存在です。そして私たち自身もその歴史の一部なのです」