上白石萌音(俳優、歌手)
「美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性」と訳されています。知らないことを素直に面白がって、果敢に首を突っ込んでいきたい。前のめりで吸収した知識や感情は記憶に残るし、それがまた新しい不思議への足がかりになる。知的好奇心を止めずに、一生“なぜなぜ期”でいたいと思わせてくれる言葉です。
箭内道彦(クリエイティブディレクター)
忌野清志郎さんが校長で僕が教頭の〈ロックの学園〉の校訓でもありました。愛することはできていても、愛し合うことができていない僕たち。いつも自省の繰り返しです。清志郎さんがいたから僕は大人になることが怖くなかった。若い人たちに、清志郎さんに、恥ずかしくない生き方ができているか。今日も自問を続けています。
アオイヤマダ(ダンサー、俳優)
「人生、大丈夫じゃないことだらけだけれど、今、そこが奈落だとしたら、あとは上に上がるだけ。だから、大丈夫じゃなくても大丈夫」。ある時、パフォーマンス集団として共に活動するメンバーからそう言われてから、気持ちがスッと軽くなりました。今では辛くなった時はいつも、自分で自分にこの言葉をかけています。
松本紹圭(僧侶)
100年後、私たちは未来世代の祖先となる。未来により多くの選択肢を残すため、何ができるか。この問いに出会って日本仏教の意味が変わった。先祖供養は先人を敬うだけでなく、私たちの「今ここ」を過去と未来、天地に開きつなぐことだった。今ここをいかに生きるか。時空を超えて、世界はいつも私たちに問いかけている。
和田彩花(アイドル)
大学の授業で出会った言葉。当時アイドルグループに所属しながら「アイドルらしさ」「女性らしさ」などの従来的なジェンダー規範や価値観、自身のセクシュアリティに悩み、その違和感を言語化できずにいました。世の中で歓迎されている女性像になる必要はないと知り、主体的に人生を歩む方法を考えていけるようになりました。
斎藤幸平(経済思想家)
雑誌の対談で尊敬する環境経済学者の宮本憲一先生(大阪市立大学名誉教授)に言われた言葉。学者であっても論文を書くだけでなく、水俣、四日市、沖縄など現場に常に向かい、弱き者の側に立って国や企業とも闘ってきた宮本先生。ネットなどの便利さに甘えず、私も常に現場に行き、学び続けなければいけないと思っている。