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吉祥寺から無人島へ引っ越した、ある男の物語。ミクロネシア連邦・ジープ島

チューク州の州都があるウエノ島からボートを走らせる。穏やかな環礁の海に浮かぶ、白い砂浜にヤシの木が生えた、まるで絵に描いたような小さな小さな島が姿を現す。

Photo: Iwane Miyachi, Akira Miwa / Text: Ro Tajima

無人島に住む。なんと甘美な響き。ぎすぎすとした都会を離れ、青い海と空、白い砂浜、豊かな果実に囲まれた日々。だが、そこに『青い珊瑚礁』のブルック・シールズはいない。『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスのごとく、バレーボールに話しかける日々が待っている。島を我が手にしたいという世の男たちの妄想とは裏腹に、無人島は、それほどにまで孤独で、残酷だ。

ミクロネシア連邦・ジープ島


「全身ブランドでキメて、朝まで呑んで、シメは女の子引き連れて〈叙々苑〉で焼肉喰って。でもふと、煩悩を断ち切るべく“出家”しようって決めたんです」

南太平洋の島々が集まり形成される国家、ミクロネシア連邦。1997年、その中でもさらに小さな無人島に、吉田宏司さんは移り住んだ。200歩で島を一周できるような、11本のヤシの木しかない島に。

大学時代から旅行関係の仕事に携わり、バイトながらも頭角を現した。卒業するやダイビングツアー開発の会社を立ち上げ、ギリシャからガラパゴスまで世界中の海を巡った。やがてバブルがやってきて、その財でまた旅をし、呑みまくった。が、泡はひとつ、ふたつと弾け、30代半ばを迎えた吉田さんはある思いを抱く。

「セイシェルへの旅の途中で、こんな生活、身体にも精神にも悪いなと思った。欲しいものは何でも手に入ったけど、その充足感だけだと理想の自分にはなれないって。人の生き方はどうあるべきか。一度は真剣に自分を見つめ直す時間を持ちたいと強く願うようになりました」

その頃、吉田さんは世界最大の堡礁、トラック環礁に魅せられていた。この地を代表する伝説のダイバー、キミオ・アイセック氏との出逢いが人生を大きく変える。

「トラックには多くの客を連れてったので、キミオさんにある日“お礼をしたいから欲しいものを言いなさい”と言われて。で、“あの無人島を買ってくれ”と伝えた。よくダイビングの途中でランチしてた島だったから」

無人島への“引っ越し”が決まると、家賃20万円のマンションから2万円のアパートに移り住み、仕事を辞め、毎日呑み歩き、財産を使い切った。最後はグアム空港で、うどんとタバコとコーヒーを口にし、島へと身を置いた。絶海の孤島は、「ジープ島」という名前を手に入れた。

「現地の人々が親切に食料をよく届けてくれたんだけど、海がしけると手に入らない。雨水で飢えをしのぎました。いきなり15キロも痩せたよね。でも、3年を超えないと物事の善し悪しはわからないと考えていた僕は、ひたすら耐えた。予想していた通り、1年目には体中が腫れ、2年目には自責の念に苛まれたけど」

 だが、吉田さんの周りに“理解者”が現れる。ダイビング中に自ら寄ってきたイルカの「アルパ」と、3年目の元旦に突如、島に舞い降りた2羽の国鳥、ミツスイだ。

「アルパはその後も、サメに襲われた僕を助けてくれた。ミツスイはいまだに何代にもわたって島に棲み続けてる。孤独を感じると飼ってた犬に話しかけてたから、僕は犬、イルカ、鳥に助けられた。まるで桃太郎だよね(笑)」

気がつけば無人島暮らしは3年半を過ぎていた。吉田さんは、温めていた構想に邁進することになる。ジープ島を、人々の心を洗い、包み込む場所にすること。

「バブルが弾けた時、日本は今までいい思いをしすぎたなって。だから、やがて人間関係が稀薄になり、勝手に孤独を感じるようになると。その時のために身を寄せられる場所を作っておきたいと考えていました」

世界海洋ボランティア協会を設立、親との絆を失った子供たちを招待し始める。ジープ島の噂を聞きつけた大人も、島の暮らしを体感しに訪れるようになった。そこで吉田さんは、ゲストのために2つだけ小屋を建てた。

「個室がないのは、雑魚寝させたかったから。隣で寝ている人の匂いまで感じてこそ、お互いを気遣えるようになる。僕はこの島に来る人はみんな“家族”として扱います。だからわがままは言わせない。雨水しかない島だから、シャワーはバケツ1杯の水しか使わせません。物の豊かさはわかりやすいけど、心の豊かさはわかるのに時間がかかる。この島のように、360度全てを見渡して、どうしても必要な物を少し持ち込むだけでいい。あとは助け合い、分け合える、それが島の距離感です」

14年前、身ひとつで乗り込んだ無人島。今では料理を作る現地人の夫婦と、彼の人生に憧れた若いスタッフと、この島を愛する世界中の“家族”が一緒にいる。

「僕はただのアウトドアマンじゃない。都会でも通用する人間だと思っています。でも、どうせ忙しいのなら、この絶対的な美しさに囲まれて働いていたいですね」