井浦新が日本最後の野生の森へ。五感が研ぎ澄まされるジャングルトレッキング

photo: Kenta Aminaka / text: Kosuke Kobayashi

東京から南西に2,000㎞、台湾までわずか190㎞。まさに日本の端っこに位置する西表島(いりおもてじま)は、亜熱帯気候の稀有な景観と多様な生態系を育むことから“東洋のガラパゴス”とも称される。2021年に世界自然遺産に登録されたばかりの秘境を、俳優の井浦新さんが歩く。


初出:BRUTUS No.987「山を、歩こう。」(2023年6月15日発売)

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亜熱帯の山を歩き、マングローブの森を漕ぐ

湿気を帯びたぬるい空気が肌にまとわりつく。力強く降り注ぐ日差しを全身で浴びると、季節を超えて遠くに来たことを実感する。石垣空港からバスに乗り、八重山の島々への海上交通ハブとなる〈離島桟橋〉から西表島の玄関口の一つである「大原」行きの定期船に乗船。エンジン音を轟(とどろ)かせながら、サンゴ礁が点在するエメラルドブルーの海を突っ走っていく。

程なくしてぼんやりと緑のカタマリが見えてきた。西表島だ。沖縄県で2番目に大きな島でありながら、人口はわずか2400人ほど。人が住んでいるのはわずかな海沿いの平地のみにとどまる。島の90%以上が森に覆われ、イリオモテヤマネコをはじめとする野生動物も棲息する、日本のラストフロンティアとも言える島だ。

定期船の小さな窓から、井浦さんは次第に輪郭を露わにしていく島を見つめている。

「西表島の山をずっと歩いてみたかったんです。ヤマネコが棲(す)む亜熱帯の島と聞くだけで心が躍ります」

船に揺られること約40分、大原港に到着。登山装備が詰まったバックパックを背負い桟橋を背にすると、遠くには雲のかかった山並みが見える。船が再び石垣島へと発つと、打ち寄せる波と聞き慣れない鳥の鳴き声だけが残った。

うねるように伸びる根が今にも動きだしそうなアコウの巨木。樹上には無数の植物やコケ、地衣類が着生し、一つの生態系を形成している。

全身で体感する西表島の大自然

朝8時。前日の快晴が嘘だったかのように空は薄暗く、雨がぱらつき始めた。「あいにくの天気だけど、緑が生き生きするのはこんな日」と山の案内を担う前大(まえお)敏夫さんは笑う。前大さんは数少ない島生まれのネイチャーガイドで、うみんちゅ(漁師)の顔も持つ。

「飲み水とレインジャケットがあればいい」と、バンに押し込まれ山へ。目指すのは、沖縄県で最大の落差を誇る〈ピナイサーラの滝〉。山行の前半はカヤックを使って川を遡り、トレッキングポイントへ。そこから原生林のトレイルを歩き、滝つぼ直下へと到達。西表島の自然を存分に体感できる人気ルートを歩く。

いくつもの川が流れる西表島では、山歩きにカヤックを組み合わせることで行動範囲が広がる。左右に広がるのはマングローブの森。

登山口でライフジャケットを着用し、パドリングのレクチャーを受ける。マングローブ林の船着き場からカヤックに乗り込むと、視線はほぼ水面。ふわふわと柔らかい水の上に浮かべば、まるでアメンボになったような感覚になる。「乗り出すと転覆するぞ!」と、前大さん。カヤックの経験がある井浦さんは、マングローブの森を縫って流れる川を巧みに漕いでいく。

「音がすごく心地いい。パドルが水を掬(すく)う音、遠く森で鳥が鳴く声。漕ぐ手を止めて耳を澄ませてみると、いろんな自然の音が聞こえてきます。姿は見えない。けれど、たくさんの生き物の気配を感じます」

遡上していくと次第に川幅は狭まり、水中で餌をついばむ魚の姿が見えるほど透明度も増してきた。名残惜しいけれど、束の間の水上散歩はここまで。カヤックを係留し、ジャングルトレッキングへ。

トレイルに一歩踏み込めば、そこは自然の植物園。「これはサガリバナ。夜中に咲いて日の出とともに花が落ちる。真夏がシーズンで、たくさんの花が川を埋め尽くすように流れてくる様子は見てほしい」と前大さんが嬉しそうに話す。

ほかにも板状の根が特徴的なサキシマスオウノキ、切ると赤い樹液を流すアカギ、白い花を咲かせるベゴニアの野生種など、そこかしこに稀少な植物が自生していることを教えてくれる。

「山を登っているうちに、どんどん植生が変わるのがわかります。ヤシの木やアダンが生えていたのに、いつの間にか苔むした原生林が広がっている。次から次へと発見の連続で、なかなか先に進まない!」

木の根に腰を下ろしひと休み。森の奥深くへと足を踏み入れていくにつれ、緑の密度が濃くなっていく。

歩きでほてった体は滝つぼでクールダウン。柔らかな砂の感触を足の裏で感じる。

板根と呼ばれる平たい根が特徴のサキシマスオウノキ。かつては根を船の舵やまな板として活用していた。

木々が覆い被さり、木の根が張り巡らされた緑のトンネルを歩く。道は明瞭ではなくワイルドの一言。

西表島を象徴する花の一つサガリバナ。花弁からは甘く芳(かぐわ)しい香りが漂う。西表島は国内最大級の自生地で、夏の開花を目がけて島を訪れる愛好家も少なくない。

ウルトラマンのモデルにもなったというサキシマスオウノキの種子。落ちている種も見慣れない形のものばかりで好奇心が尽きない。

南西諸島に分布するヤシの一種・クロツグ。オレンジ色の花が放つ甘い香りはジャングル内を満たすほど。

滝つぼでいただく昼食は、イカスミ八重山そば。真っ黒なスミにはアミノ酸がたっぷり。漁師でもある前大さんならではの山メシだ。

密林を掻(か)き分けるように進むにつれ、谷間に響く水の音が大きくなってくる。滝はもう目と鼻の先にあるようだ。険しさを増していくトレイル。苔むした石の上は滑りやすく、足の置き方も心なしか慎重になる。

木の根が食い込んだ岩を攀(よ)じ登っていくと、円形の岩壁に囲われた〈ピナイサーラの滝〉が目に飛び込んできた。見上げる滝口からは豊富な水が風に揺られながら落下していく。そのさまはスローモーションのようで、時間を忘れて見つめてしまう。

「力強いのに、優しい。守られている安心感というか、どこか女性的な包容力を感じたんです」

滝つぼの周辺にはデッキや柵はなく、自然の造形美が広がっている。「子供の頃から変わらない」と前大さん。数十年、いや数百年前と変わらない自然そのものの景色に、今立ち会っているのだ。

横幅200m以上の断崖に囲まれたピナイサーラの滝。八重山の言葉で、ピナイ=ひげ、サーラ=下がったもの(長いあごひげ)の意。

ピナイサーラの滝を目指して原生林を行く沖縄・西表島コース

駐車場からカヤックを係留してある川沿いまで歩道をハイク。カヤックに乗り換え、海を望む河口の流域を経てヒナイ川を2㎞ほど遡上。浅瀬で上陸しジャングルを約1㎞進んでいくと、最終目的地であるピナイサーラの滝に到着。2021年の世界遺産登録後は、地元組合認定ガイドの案内が必須に。

井浦新がトレッキングを振り返る。五感をフル稼働させ、西表島の自然をキャッチ