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平間至の写真に宿る即興性とパンク。初期作、ミュージシャン、写真館まで

90年代から、タワーレコードのキャンペーン「NO MUSIC, NO LIFE.」でのポートレートをはじめ、多くのミュージシャンを写真に収めてきた平間至さん。2015年からは、家業だった写真館を3代目として継ぎ、一般の人にもカメラを向けている。その30年余りの写真を一度に振り返ってみて感じるのは、静止した写真のなかにある、生き生きとした、圧倒的な生命の躍動感だ。

photo: Wataru Kitao / text: Asuka Ochi

数々のミュージシャンを写真に収めた
平間至の30年を俯瞰する

幼少期から「写真のなかで育ってきた」という平間さんにとって、いつの間にか、撮ることは生きることと切り離せないものとなっていた。

「初めて能動的に撮ったのは、誰も知り合いのいないNYで。撮っていないと自分がなくなってしまうような感覚がありました」

その後、本格的に写真を目指し、1995年に写真集として、初期作となる『MOTOR DRIVE』を発表する。“動”のエネルギーを届けるようなその写真は世間を驚かせた。

「当時、人を止めて撮るということに違和感を感じていました。撮影が終わった瞬間に花嫁さんが“緊張したね〜”なんて、いい笑顔を見せる。なぜカメラを向けた途端にその人らしさが撮れないのかなと思っていました。だから『MOTOR DRIVE』では、絶対に写らないように逃げてくれと言って、スタジオで吐くくらい追いかけっこをしながら撮ったりしました。僕はパンク上がりだから、まずは既存のものを壊そうというスピリットはいまだに持っていますね」

1992年、『MOTOR DRIVE』収録の初期作
1992年、『MOTOR DRIVE』収録の初期作。“静”の方法論と対極な作品で写真家としてのスタートを切った。©Itaru Hirama
平間 至

これまで撮影してきた多くのミュージシャンたちも、平間さんのカメラの前ではあまり見たことのない表情を見せる。

「どうしてもカメラを向けた瞬間に生まれてしまう距離感と緊張感を崩したいというのがすべて。命がけでそこへ向かっているんです。例えば、BLANKEY JET CITYは、強面でカッコつけた写真が多かった。それをなんとかしようと、隠し持ったアイランプをスタジオの壁に急にぶつけて割って、驚いたリアクションを撮ったり。

エレファントカシマシの宮本浩次くんにスニーカーで殴られながら撮ったこともあります(笑)。“ミュージシャンを撮った写真”ではなく、写真自体を“音楽”にしたいんです」

記録写真ではなく、写真自体をリズムやハーモニーを奏でるものにできればという。

「ロックを体験して得た、演奏して解放されていくようなグルーヴ感と、写真の撮影というのが自分のなかではつながっていて。僕にとって、カメラは楽器のようなものなんですよね。写真で人を解放したいというのが、一貫したテーマとしてあります」

そんな写真へのマインドは震災を経て、より強固なものとなる。失われた多くの命は、一般の人を生き生きと写真に残す使命を与え、平間さんは写真館を継いだ。

「今はもう自分の人生ですべてのエネルギーを注ぐのはここだとはっきりしましたね」

そう語る、平間さんの写真半生を観る2つの集大成的展覧会。写真が奏でる様々な人生のグルーヴを体感しに足を運びたい。