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昆虫標本文化の世界史。大航海時代のエキゾティシズムから、現代日本における昆虫ブームまで

飽くなき好奇心で未知の昆虫を探し求め続ける昆虫標本趣味。そのルーツは、今から400年以上も昔の、冒険による新発見に沸き立つヨーロッパにあった。そんな大航海時代のエキゾティシズムから、現代日本における昆虫ブームまでの昆虫文化史を、一気におさらい。

Photo: Keisuke Fukamizu / Text: Kazuho Kobayashi / Edit: Shogo Kawabata

「昆虫標本」といえば学術的な目的で作られたものが多いものの、その半面、昆虫そのものが持つ輝きや形態のユニークさに心を奪われ、「蒐集(しゅうしゅう)対象」というコレクターの物欲を満たす目的で制作されたものも多い。

昆虫標本をただの「長期にわたって保管するために加工された虫の死骸」と定義するのであれば、その起源はエジプトのピラミッド内部に収められている装飾品に使用されるスカラベ(フンコロガシ)にまで遡ることができる。

しかし学術的な目的であれ、趣味としてのコレクション対象としてであれ、その虫自体が「何らかの意図をもって蒐集されたものが標本である」と定義するならば、その文化の起源は16世紀頃のヨーロッパに見ることができる。

19世紀中期の標本セット
19世紀中期にパリの標本商ブベが販売した標本セット。手書きの「Insectes」の文字にロマンを感じる。

未知の珍獣を求め冒険へ!
─大航海時代~17世紀頃

見るからに強く巨大な南米のヘラクレスオオカブト、目にも鮮やかな東南アジアのトリバネアゲハ……彼らを初めて目にしたときの衝撃は一体どんなものであっただろうか。大航海時代を迎えると、ヨーロッパの国々は我先にと海外の未知の地へと船を進め、新たな発見と富を次々に本国へもたらしていったのであった。

そんな中、現地の開拓・調査のために国家プロジェクトとして行われた探索調査で熱帯のジャングルに足を踏み入れた科学者たち。彼らは初めて訪れた土地で初めて遭遇した動物たちを記録し、時に標本にして本国へ持ち帰り、それが当時学問の中心であったヨーロッパ諸国全体に伝わっていった。

現在のように便利な情報の伝達手段がない当時は、未知の土地で出会った新種の動物たちの存在を知らしめるために、その動物を繊細なイラストや解説とともに「図鑑(現在でいう学術論文)」で発表した。

例えば1634年、ドイツの博物学者ゲオルク・マルクグラフによる当時のオランダ領ブラジルの動物相を詳細にレポートした大著『Historia Naturalis Brasiliae』に収められた多種多様な動物や昆虫のカラーイラストは、多くの博物学者の度肝を抜いた。

大きくとも親指ほどのミヤマクワガタしか見たことがなかった多くのヨーロッパ人にとって、初めて目にする10㎝を優に超える巨大なカブトムシのオンパレードは、どんなに刺激的だっただろうか。

ヨーロッパミヤマクワガタの標本
ヨーロッパミヤマクワガタで埋め尽くされた一箱。さんざん使い回されたのであろうか、箱はぼろぼろで今にも壊れてしまいそうな状態。しかしすぐ交換してしまうのではなく、オリジナルを保つことも大切だ。

このようにして多くの文献が、博物学者やコレクターたちの「実際に標本を手に入れたい」「もっと新しい種類を見てみたい」といった欲望を引き出すトリガーになったことは明白である。この欲望こそが、今に通じる昆虫標本コレクション文化の夜明けだったわけだ。

貴族や富裕層の道楽として。
─16世紀~18世紀末頃

欧州諸国が海外に植民地を作り、奴隷貿易によって様々な物資を入手可能となった時代に突入すると、オランダの東インド会社などの力を持った貿易会社によって、鉱物や食物といった経済の要となるものから、時には珍獣や貝、昆虫の標本(死骸)などの珍品が流通するようになった。これらの風変わりで、稀少なアイテムを真っ先に欲しがるのは、いつの時代も富裕層のコレクターたちだ。

海を越えた秘境の地から次々ともたらされる未知なる生物の登場に彼らの物欲はとどまることを知らず、「驚異の部屋(Cabinet of curiosities)」と呼ばれる床から天井まで標本や稀少な蒐集品で埋め尽くした圧巻のコレクションルームを有するようになるまでに熱狂した(これは後に博物館の前身となる)。

当時出現したあまたのコレクターの中でも、あの天下の大英博物館の基盤となるコレクションを一代にして築き上げたイギリスの大コレクター、ハンス・スローン卿は、こと昆虫のコレクションに関しても圧倒的だった。

生前に同じくイギリスのコレクター、ジェームズ・ペティヴァーが集めた5000点以上もの昆虫標本を買い取り、死後はそれがそのまま大英博物館のコレクションとなったことで、趣味レベルの蒐集がやがて学術的な貢献に結びついていった。

裾野を広げた蒐集文化。
─19世紀~20世紀

大英帝国が栄華を誇る中、19世紀の後半にもなるとフランスやドイツの有力コレクターの中で「標本商」と呼ばれる、標本の販売をビジネスとして確立する者も出現した。生息地の住人に「捕り子」として採集方法を指導し、捕れた昆虫をヨーロッパに輸入して販売する輸入販売業である。

フランスでいえば1840年代にネレ・ブベがパリに店を構えて店頭で昆虫標本の販売を行った先駆者として有名だ。同じくフランスのウジェーヌ・ル・ムールトは生涯に2000万点もの標本で時に大英自然史博物館や、イギリスの大富豪ロスチャイルド家の第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドといった「大物」相手に商売を行った。

特にロスチャイルドなどの上客は1回の請求で車数台分の標本を買い上げるなど、商いの規模は時代とともに拡大していった。

木製・ガラス蓋のアンティークな箱の標本
木製・ガラス蓋のアンティークな雰囲気を醸し出す標本箱を通し、かつての興奮に満ちた時代に思いを馳せる。

同時期にドイツでは、ヘルマン・ローレやハンス・フルストルファーなどが標本商として名を馳せる。その背景には、かつて研究者や一部の富裕層しか手に入れられなかった外国産の昆虫が、貿易の発展により大量にヨーロッパに持ち込まれ、庶民の間にまで蒐集文化の裾野を広げたことにより市場規模が拡大したことがある。

「大規模な標本商の登場」と「貿易の発達」という2つのファクターが、標本蒐集文化の拡大に拍車をかけたことは間違いない。

日本における蒐集文化史。
─明治期以降〜現代

我が国において標本蒐集文化が根づいたのは明治以降、開国後にヨーロッパの昆虫学が次から次へと押し寄せてきた時代である。

第二次世界大戦終結後までは国内で自ら採集した昆虫を標本にするというのが主流であったが、高度経済成長期以降に様々な標本商が積極的に海外の昆虫を輸入販売するようになると、ようやく日本においても約1世紀遅れでヨーロッパと同じような標本売買のマーケットが形成された。

1990年代には1匹1000万円という値がついた“黒いダイヤ”オオクワガタをはじめとする昆虫ビッグブームの到来、そして99年には外国産クワガタ・カブトムシの生体の輸入が解禁となった一大昆虫ペットブームなどがあり、生体飼育という趣味の入口から標本の世界へ足を踏み入れていった人々も増加した。

2000年代に入るとクワガタやカブトムシをじゃんけんで戦わせるアーケードゲーム『甲虫王者ムシキング』が一世を風靡。また、ここ数年でSNS投稿やインフルエンサーが発信する作品たちが、これまで昆虫や自然に興味のなかった人たちをも惹きつけ、新たな世代の趣味家たちを増やしている。

森林伐採によって棲家を失った昆虫たちを守るために施行された保護や規制も増え、難しい時代を迎えているが、この趣味はきっとうまい付き合い方を見つけ、脈々と新しい世代へと引き継がれていくだろう。

歴史が宿るヴィンテージ昆虫標本

界最古の学術標本⁉

ヴィンテージ昆虫標本
Photo/Kazuho Kobayashi

年代がラベルに印字されている最古の標本は、オックスフォード大学が所蔵する1702年採集の蝶の標本だが、大英自然史博物館(Natural History Museum, London)が所蔵するスローン卿のコレクションの中には1700年以前にペティヴァーによって集められたと推定される標本も数多くある。