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「彼は韓国映画にすごく詳しいんですよ」。『イカゲーム』のファン・ドンヒョクだけが知っている坂本龍一

アーティストに愛されるアーティストだった坂本龍一。現代美術の巨匠から中国の若手バンドまで、分野も年代もさまざまな彼らは、坂本とどんな会話を交わし、何を受け取ってきたのか。世界中の才能たちに、「わたしだけが知っている坂本龍一」を聞きました。Netflix史上最大のヒット作である『イカゲーム』の脚本・演出を手がけたファン・ドンヒョクが知る坂本龍一とは?

本記事は、BRUTUS「わたしが知らない坂本龍一。」(2024年12月16日発売)掲載の内容を拡大して特別公開中。詳しくはこちら

photo: Siyoung Song / text: Reiko Fujita / interview&edit: Sogo Hiraiwa

映画『怪しい彼女』や94カ国でランキング1位を獲得したNetflixオリジナル韓国ドラマ『イカゲーム』など、数々のヒット作をもつファン・ドンヒョク。そんな彼にとって最も思い入れの深い作品は、憧れだった坂本龍一に音楽を依頼した時代劇映画『天命の城』(2017年)だという。

「運命かもしれない」。『天命の城』での協働

——坂本龍一さんの音楽との最初の出会いは?

ファン・ドンヒョク

映画『戦場のメリークリスマス』(1983)は韓国でもとてもよく知られていますし、昔から映画に興味があったので『ラストエンペラー』(1987)が好きでした。特に好きなのは、『ラストエンペラー』のサントラに入っている「レイン」。アメリカ留学時代に卒業作品として広報用トレーラーを制作した際にBGMとして使わせていただいたこともあって、特別な思い出がある曲なんです

——映画『天命の城』の音楽をオファーしたきっかけは?

ファン

映画監督としてデビューしてから、いつか坂本龍一さんとお仕事をしたいという夢を密かに抱いていました。ずっとふさわしい作品にめぐりあえずにいたのですが、2016年に『天命の城』という映画を撮ろうと決心したんです。朝鮮が清に滅ぼされそうになる歴史を描いた物語で、私が好きな『ラストエンペラー』と同じく清にまつわる作品なので、「これは龍一さんとお仕事ができるチャンスかもしれない」と思ってオファーをしました。

制作の参考のために偶然観た映画が『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)だったというのも理由のひとつです。龍一さんが闘病生活を経て、久しぶりに映画音楽を手がけた作品だったので、これもすごく不思議なご縁だな、と。そういうわけで、龍一さんと『天命の城』でご一緒するのは運命かもしれないとまで感じていました。

——オファーはどのようにして?

ファン

メールでシナリオをお送りしたら、お読みになってすぐに承諾のお返事が届きました。はっきりとはわかりませんが、東アジアの歴史や文化に高い関心をおもちだったのではないでしょうか。清朝最後の皇帝を描いた韓国、中国、日本にまつわる『ラストエンペラー』に続いて、清の始まりと朝鮮が絡んだ物語に興味をもっていただけたようです。

——最初にどんなお話をしましたか?

ファン

龍一さんはニューヨーク在住で、私は韓国にいたので、最初はオンラインでミーティングをしました。私は龍一さんのいちファンとして、今回のオファーを快諾していただいたことに心から感謝しているとお伝えしました。龍一さんから「韓国の文化に関心があって、韓国ドラマもよく見ている。韓国の時代劇が好きだ」と聞いたときはすごく驚きましたね。

『天命の城』のサウンド・トラックにも、韓国の伝統楽器をたくさんお使いになったんですよ。韓国の伝統楽器奏者でパーカッショングループ「サムルノリ」として活動する金徳洙さんとも親交をおもちだったので、レコーディングのために来韓して、伝統音楽の要素を取り入れていらっしゃいました。

2度の却下と3度目の喜び

——『天命の城』の音楽制作ではどんなやりとりを重ねましたか?

ファン

龍一さんとの音楽制作の作業は、私が今まで監督した映画の中で最も難しいものでした。ソウルとニューヨークという遠く離れた場所にいて、オンラインだけで音楽をやり取りするということがまず大変でしたし、巨匠と呼ばれるアーティストはどなたもそうだと思いますが、龍一さんは音楽への情熱にあふれていて、確固たる信念やプライドをおもちの方です。

それなのに、最初の音源が届いたときに私は修正をお願いして、2回目も「まだ違う気がする」と作り直していただくことになったんです。

——そのときの坂本さんの反応は?

ファン

龍一さんから、怒り心頭のメールが届いたことをよく覚えています。「キミが求めているのは一体どういう音楽なんだ⁉メジャー調なのか?マイナー調なのか?望みを言ってくれ!」と。まるで怒鳴り声が聞こえてきそうなメールで、これは大変なことになったなと思いました(笑)。文章だけなのに、お怒りやもどかしさが伝わってきて……。「ぼくの音楽を却下した監督は、『ラストエンペラー』のベルナルド・ベルトルッチ以来、キミが初めてだよ」とおっしゃるんです。

3回目の音源が届いたときは、祈るような気持ちでファイルを開きました。もし「また作り直してほしい」なんて言ったら、もう降りると言われてしまいそうで。でも、これが素晴らしい音楽だったのでメールでお礼と賛辞をお送りしたら、今度はまるで子どものように喜んでくださって、こんな一面もおもちなんだなと思いました。

『天命の城』
1636年、清の大軍が朝鮮に侵攻。李朝王・仁祖は南漢山城に籠城するも極寒と飢餓に襲われ、降伏か抗戦かの決断を迫られる。臣下たちの意見は真っ二つに分かれるが……。© 2017 CJ E&M CORPORATION and SIREN PICTURESALL RIGHTS RESERVED

——2度もNGを出したのはなぜですか?

ファン

最初にいただいた音源はとても韓国的で、まさに韓国時代劇という感じだったんです。朝鮮王・仁祖が清に降伏するために城を出ていくシーンで流れる、「出城」という曲です。

私は音楽の専門家ではないのでメジャー調がいいのかマイナー調がいいのかといったことはわかりませんが、もう少しクラシック的でグローバルな感じの音楽にしてほしいとお願いしました。韓国時代劇がお好きだとおっしゃっていたので、きっとかなり研究してくださったんだと思います。まるで韓国の音楽家が手がけたかのような音楽だったので、とても驚きました。

音楽に対するプライドやこだわりが強い方ですが、もっと違うバージョンを聴いてみたいとリクエストして断られたことは一度もありません。翌日、すぐに新しいものを送ってくださいました。その後、伝統楽器のレコーディングのために来韓された際に初めて実際にお目にかかりました。メールとはまた違って、とても穏やかで優しくて、むしろ恥ずかしがり屋な印象を受けました。

坂本からのへ『イカゲーム』の賛辞

——坂本さんから学んだことや影響を受けたことは?

ファン

『天命の城』を製作しながら、「龍一さんの音楽に見合うような映画を作らなくてはいけない」という使命感をおぼえました。控えめながら荘厳で崇高な音楽を作っていただけると信じていましたし、そんな音楽にふさわしいビジュアルを備えた作品にしなくてはと強く思いましたね。

それぐらい、彼の音楽が『天命の城』において占める割合は私にとって大きかったのです。もっと商業的にヒットした作品は多いですが、自分が手がけた作品の中で最も満足していて、いちばん好きな作品を一本挙げろと言われたら、『天命の城』を選びます。

その大きな理由は、やっぱり龍一さんに音楽を手がけていただいたから。龍一さんにはメロディのある音楽だけでなく、効果音に近い音響素材も作っていただきました。打楽器のような音や空間に広がるような音をあちこちのシーンに挿入したのですが、それもまたとても素晴らしくて、音楽以上に印象に残っています。

——坂本さんとの印象深い思い出があれば教えてください。

ファン

龍一さんが釜山国際映画祭にいらっしゃったときに食事をしました。最近はどんな韓国ドラマをご覧になっているのか尋ねたら、『ミスター・サンシャイン』がすごくおもしろくて、キム・テリが大好きだとおっしゃっていたので、思わず爆笑した記憶があります(笑)。

2018年に龍一さんがソウルで『Ryuichi Sakamoto Exhibition: LIFE, LIFE』という個展を開催したときは、会場に伺って演奏を聴きました。その後はしばらくお会いできず、ニューヨークまで出向こうと思っていた頃に、がんが再発したという話を聞きました。日本にご帰国されたと知って、ひと目でもお会いしたくて東京に行ったんです。あまり病状がかんばしくなく、コロナの影響もあって、病室にお見舞いすることはできませんでした。

でも、その場で彼のパートナーを通して、「『イカゲーム』が大ヒットして、自分のことのようにうれしいよ。すごくおもしろかった。これからも応援しているからね。本当におめでとう」と最後に伝えてくださったんです。そのときの応援とお褒めの言葉を今でもよく思い出すんですよ。直接お目にかかることはできませんでしたが、龍一さんがそうおっしゃっているときの無邪気な表情が目に浮かぶようで……。

——坂本龍一さんは、あなたにとってどんな存在ですか?

ファン

ヒーローです。「アジアからこんな音楽家が出るなんて」と昔からの憧れで、素晴らしい音楽を全世界に知らせるヒーロー、私にとってのアイドル的存在。お仕事をご一緒させていただいて親しくなってからは、心の中で「ヨンイル(“龍一”の韓国語読み)兄さん」と呼んでいました(笑)。韓国風に親しみを込めて、こっそりヨンイル兄さんと呼んでいたんです。

まるで地元の先輩のように思えるくらい、情に厚くて、温かな心をもつ優しい人。私のアイドルであり、大好きなアニキです。

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