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ふらり訪れたい。文化の誉れ高き町、北海道・東川

今活気づく北海道の東川は、観光客にも魅力的な場所だ。街の盛り上がりを支える“仕掛け人”たちの取り組みとは。キーパーソンたちの話を聞きに、ふらりふらりとあの町へ。

Photo: Asako Yoshikawa / Text: Toshiya Muraoka

良き水が育んだ開拓精神が
形を変えて息づく町

奈良原一高、杉本博司、荒木経惟……。人口8100人ほどの小さな町の写真賞「東川賞」の受賞者に、これだけの大御所が名を連ねている。「写真の町・東川町」。そう宣言してからおよそ30年。

80年代後半の一村一品運動で、農作物ではなく「写真」を選んだユニークな自治体は、今もスピリッツを受け継いでいる。2003年から現職の松岡市郎町長は言う。

「私は開拓農家の5代目ですが、なんでも自分たちでやるっていう気風があるのかもしれない。写真の町としての取り組みも最初の提言は外からもらったものですが、今では運営から折衝からすべて自分たちでやっています。なんでもやってみたらいいんですよ。進めながらダメなところを直していけばいい。ハードに金をかけたらリスクが大きいけど、ソフトなら大変なことにはならないから(笑)」

この町長の豪胆さが、東川という町の面白さを物語っているかもしれない。日本で初めて公立の日本語学校が設立された町であり、「君の椅子」というプロジェクトでは町で生まれた子供たちに小さな椅子をプレゼントしている。

2011年の震災の年には、被災した東北の各県を回って3月11日に生まれた子供たちに東川町の椅子を贈った。今回の取材時に、椅子を受け取って育った5歳になった子供たちが、東川町を訪れるイベントに参加することができた。「自分の体と同じ大きさの椅子が、これからどんどん小さくなっていく」という松岡町長の言葉からも、いかに子供たちの未来を思っているかが伝わってくる。

町の真価を知る
移住者が増えている

「写真の町」の取り組みには東川賞以外にも、全国から高校生が参加する「写真甲子園」がある。高校時代に参加し、ついには移住を果たす吉里演子さんに話を聞いた。吉里さんは現在、東川町文化ギャラリーで学芸員を務めている。

「東川賞も写真甲子園も外交ツールのようなものかもしれません。“ここは田舎だから”と最初は恥ずかしがっているのに、みんな、きちんと自分たちの言葉で町を語ることができる。私も写真を愛している町で暮らしたいと思った。それに、みんな写真に撮られるのが上手(笑)。よその人を迎え入れることに慣れているのかも」

東川町長の松岡さんと文化ギャラリー学芸員の吉里さん
「大変だけど、やりがいに溢れる」公務員の姿。
(左)役場で働いていた時代から、周囲の推挙もあって町長となった松岡さん。(右)吉里さんは大阪芸術大学に在学中、ボランティアとして東川に通い卒業後に学芸員のポストに。

“ソフト”の力が、小さな町を広い世界へと繋ぐ空気感を作っているからか、スタイルを持った人たちを惹きつけている。レゲエのミュージシャン、GUAN CHAIさんが移住したのは4年前のこと。

「水がおいしい場所っていう条件で選んだんです。それに田んぼの畦道から大雪山が見えて、太陽と月がいっぺんに見られるような風景に感動した。移住して、例えば夏には草が茂って行けない森の神様と呼ばれている巨木に会いに雪の上を歩いたり、町内会の新年会で歌ったり(笑)。なんだか子供の頃の生活みたいだって思うんです」

自然と戯れるGUAN CHAIさんのところに遊びに来るうちに、次第に東川町にハマってしまったのが、札幌を代表するHip-Hopアーティストの一人、B.I.G. JOE。

「子供に四季のダイナミックな移ろいを見せたいっていうのもあったけど、より深く掘り下げてもの作りがしたいって欲求も移住の理由の一つ。東川には、その環境がある。もの作りのメンタリティっていうのかな、旭川家具をずっと作ってきた伝統もあるし、米や農作物だってもの作りの一つだから。農業と同じように、いい曲を作るだけ。すごくシンプルに暮らせる場所だと思ったんですよね」

ラッパーのB.I.G.JOEとレゲエミュージシャンのGUAN
アーティストが居心地のいい町は懐が深い。
(左)著作『監獄ラッパー』でヒップホップファン以外にも名前を知られるB.I.G. JOEは、札幌からの移住。(右)GUAN CHAIは道外である横浜からの移住だった。

大自然を守るために
文化を築き上げていった町

町内の水道はすべて地下水、しかも旭岳の雪解け水という贅沢な環境。温泉が湧出し、冬にはスキーやスノーボードに最上質な雪が降る。これだけでもなぜ東川町が注目を集めるのかが理解できるが、重要なのはその価値をきちんと把握する人々が暮らしているという事実。町を引っ張る30代の面々も、次世代のことを考えている。

北海道 東川にある店のオーナー4人
幼馴染みが、そのまま次の顔役へ。小さな町だからこその親密さ。
(左から)〈ノマド〉小畑吾郎さん、〈居酒屋りしり〉中竹英仁さん、〈SALT〉米山勝範さん、〈Less〉浜辺令さん。

SALT〉の米山勝範さんと〈居酒屋りしり〉の中竹英仁さん、〈ノマド〉の小畑吾郎さんは同級生、〈Less〉の浜辺令さんはその1つ下という幼馴染みたちが、東川町に店を持ち、町の価値を高めている。米山さんは自然の尊さを語る。

「大雪山に守られていることを強く感じますよね。周囲は吹雪いているのに、東川だけ風がないっていうこともよくある。でも、町が変わってしまうのはあっという間ですから。僕が中心から少し離れた場所に店を出したのは、外から見守りたいっていう気持ちもあったんですよね」

同様に客観的に町の姿を見ているのが、4人の中で唯一の旭川出身者、小畑さん。「バランスが悪くていいと思うんです。便利になればなるほど、魅力が半減していく。観光地として見るべきものなんて、何もないけど、なんとなく来てブラブラしているとすぐに顔見知りもできるし、なんとなく気持ちいい町。何もないことの価値がある町なんです」

一方で、〈居酒屋りしり〉を継いだ中竹さんは、町を動かす人たちが自分の店で熱く討論しているのを間近で見てきた人でもある。「町の人たちにとって必要だからと、亡くなった父の仲間が、店を始めるのを手伝ってくれたんです。以来、うちの店で、町をどうするべきなのか、夜な夜な話し合われている(笑)。それも、世代を超えて。今がちょうど引き継ぎの時期なのかもしれません」

まさしく中竹さんの亡き父の仲間世代が、現在、商工会の会長を務める浜辺さんの父親だったりする。浜辺さんは、自然にその意思を継いでいるように見える。
「よく父の膝に座って旭岳を見ていたんです。幼い頃から、当たり前にあるものこそが素晴らしいことだと刷り込まれていたのかも」

自然を守るために文化の力が必要であると感じた先人たちの視線を、着実に受け継ぐ浜辺さんたちの世代。美しい水に浄化された土地に暮らす人々の言葉の端々には、東川町への誇りが滲み出ていた。

東川で観る、買う、食べる8つのこと

北海道 東川 た区画と田園を抜ける道
雪が解け、アスファルトが見えだすと、住民にとっては春の始まり。碁盤の目のように整理された区画と田園を抜ける、真っすぐな道。