日本古代のサウナ、天然アマモの石風呂。消えゆく日本文化を体験!

かつては、瀬戸内沿岸だけでも八十数ヵ所はあったといわれる石風呂。天然アマモを使った現存する日本最後の石風呂も、今夏で幕を閉じようとしている。瀬戸内海の絶景を望む岸壁で思いっきり汗を流しに、いざ忠海へ。

Photo: Satoko Imazu / Text: Chisa Nishinoiri, Keiko Kamijo

瀬戸内地方に古くから残る
最後の石風呂でひと汗流す

瀬戸内の島々を望む美しい砂浜が庭のように眼前に広がる〈石風呂温泉 岩乃屋〉。建物の奥、岩場を伝うように延びる細い道の先、岩壁に張り付くように立つ白い小屋の中に、目指す石風呂はある。石風呂とは日本に伝わる古代サウナの一種だが、現存する中で天然アマモ(甘藻)を使用しているのは岩乃屋の石風呂だけ。石室内で木を燃やして温めた後、天日干しで乾燥させたアマモを海水でたっぷり湿らせて敷き詰める。その蒸気によりサウナ風呂のように楽しめるのだ。

天然アマモの石風呂
大久野島や大三島などの島々が眼前に広がる瀬戸内海を望む岸壁。花崗岩を削った横穴の中に、日本最後の石風呂がある。

岩乃屋の創業は昭和25(1950)年。海に迫り出た花崗岩の壁を削ってできた岩穴は、戦争中に旧日本軍が船を隠すために掘ったものだという。手前に休憩スペース、かけ湯用の浴槽と蛇口が並ぶ洗い場がある。壁には「ぬるい方」(室温40〜60℃)と「あつい方」(室温60〜90℃)の札の下がった2つの扉があり、ここがサウナの入口だ。現在1人で店を切り盛りしているのは、2代目の稲村喬司さん。御年74歳。先代の父親の後を継ぎ、18歳から石風呂一筋56年という大ベテラン。

稲村さんの朝は早い。11時30分からの営業に備え、午前8時から仕事を始める。訪ねると、すでに稲村さんは海パン一丁で作業中。まずは石風呂内を隅々まで掃除し、カラになった石室内に雑木の束を積み上げる。火をつけると、炎は2mほどの岩肌の天井をなめるように一気に燃え上がる。黙々と作業を続ける稲村さん。

火照った体はその都度潮風にさらす。毎日石風呂に入っているおかげか、肌もつやつやだ。アマモには美肌効果やリラックス効果もあるらしい。

天然アマモの石風呂
火照る体を鎮める稲村さん。瀬戸内海からの潮風が気持ち良く吹き込む。

アマモとは海草の一種で、昔から瀬戸内海近隣の農家の人々は農作物の肥料として使っており、余った分を石風呂に回してくれていたのだそう。農繁期が終わると、彼らは収穫した野菜を手土産に石風呂に通い、疲れた体を癒やす。アマモに含まれる葉緑素が体を癒やし、疲労回復やリュウマチ、神経痛にも効くといわれてきた。そして使い終わったアマモや灰は、再び肥料として農家の人に返す。

「だから、今でも、石風呂で使った天然資源は一つも無駄にしない。白滝山の裾野で農業をしている岡田(和樹)くんという若者が、定期的にアマモや灰を肥料として持っていってくれるんだ」

噴き出る汗を拭きながら、稲村さんは作業の合間にぽつぽつと話してくれた。海の産物が大地の恵みを助け、それを育んだ人々の体をいたわり再び大地に戻っていく。

そんな輪廻のような循環が守られてきたのだ。40分ほどして枝が燃え尽きると、稲村さんは自作の火掻き棒を操り熾火を掻き出す。大きなかけらは、洗い場にあるかけ湯用の水を沸かすかまどに放り込む。細かいものは掻き集めてドラム缶に入れ、ヤカンで飲料用の茶を温める。

一連の動きに無駄がない。石風呂の温度は90℃以上にもなる。74歳とは思えぬ引き締まった体から大量の汗が噴き出る。力を込めて竿を持ち上げるたび、腹の底から絞り上げるような深く苦しい吐息が漏れる。過酷な仕事だ。

天然アマモの石風呂
洞窟みたいな休憩室。ドンゴロス(麻袋)と木枕に寝転んで休憩も。
瀬戸内海 広島県忠海のアマモの石風呂 やかん
熾火の上にはヤカンが置かれ、自由にお茶を飲むことができる。

毎夏、大潮の夜明けには稲村さんも自ら船でアマモ刈りに出ていた。しかし環境の変化などで近海のアマモは減少。質も落ちた。

「昔のアマモは一本の帯のように長く丈夫だった。でも最近は一度蒸すとクズのように細切れになってしまってね。環境に関しちゃあ、しようがない。これが現実だからね。山仕事をする若者も減って燃やす雑木も減った。新調できる筵も手に入りにくい、藻もなけりゃ俺の体力もない。ナイナイ尽くしじゃ、やめるしかないよね。

うちには息子もいるし、後継者がいないわけじゃない。でも、自分が親父の後を継いで苦しい思いもしてきたから、息子に同じ思いはさせたくないんです。だから、後継者はいるけど、後継者不在!それに、75歳で引退するのは10年前から決めていたことだから」

稲村さんの決意は固い。最後にほうきで丁寧に掃き、重たい扉を持ち上げ再びねじできっちり締め上げて、開店準備は整った。

「これで今日も、お客さんに喜んでもらえるけぇ。はい、お待たせいたしましたね」と、最後は満面の笑みで、きっかり11時30分。開店を待ちわび、一番風呂を狙う客たちが意気揚々と流れ込む。

天然アマモの石風呂
午前11時30分開業。常連たちが待ってましたとばかりに流れ込む。

重厚な扉を開き、頭をかがめて狭い間口を進む。真っ暗な石風呂。天然アマモを敷き詰めた部屋の中は、磯の香りとミネラルいっぱいの熱蒸気で満ちている。稲村さんの炊いた石風呂は、熱い。けれど静寂の中でじっと耐えていると、不思議と体は軽くなっていく。最終営業日は稲村さんが75歳になる前日、9月1日だ。

瀬戸内海 三原〜広駅間は“瀬戸内さざなみ線”
重い木の扉で密閉された石風呂内には、アマモの芳香と熱い蒸気が充満。

天然アマモの石風呂ができるまで

火照ったカラダを落ち着かせる3スポット