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ヒコロヒー「直感的社会論」:私たちは一体何を躍起になっているのだろうか

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第43回。「今月のヒコロヒー」も要チェック!前回の「春が来た、否。春に来た」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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私たちは一体
何を躍起に
なっているのだろうか。

4枚のお皿

気を抜いていると、日々は溶けていく。

枝豆についた塩味を酒でするりと流し溶かしていくような日もあれば、熱を帯びたフライパンの上で転がされる四角いバターのように、形を維持したくとも抗えずに溶けだしてしまうような日もある。

言葉にすれば嫌気がさすほど簡単で凡庸なのだが、人間や人生というものに一つだけ決まっていることは死ぬことだという。死ぬというのは物体や意志が消滅するということで、いくら考えてみてもそれ以上でもそれ以下でもないのだろう。であるならば生きることは一体なんのためなのだろうか。どうせ機能は低下し、ゆくゆくは消滅することだけが決定しているこの体と細胞で、私たちは日々一体全体、何を躍起になっているというのだろうか。

「お前とのどんな小さなことでも覚えていたい」と愛の言葉を吐いてきたあの男は、今どこで何をして、私のどんな小さなことを覚えているというのだろうか。「あんたなんか死んじゃえ」と冷たい目をして私の鞄を海に放り投げたあの女の子は、私の鞄から羽ばたくみたいに飛び散っていったプリントの姿を覚えているというのだろうか。「あの時ヒコロヒーさんにお酒おごってもらったんです」とおそるおそる話しかけてくれた若いADさんのことを、私はいっさい覚えていなかったというのに。

人間は未熟なところから始まり、社会性や倫理観を覚えて成長、否、成長というよりも、適合、していくのだろう。で、あれば、なんのために適合していくのだろうか。死んだ後に誰が悲しんでくれるのかも見ることができないのに、死んだ後なんて一番したいであろうエゴサーチもできないのに、何を気にして、どうありたくて、なんと思われたくて、適合、していくというのだろうか。

それでも、私たちは、消滅することが決まっている物体同士で共存している。そこに「愛」とか「争い」とか「喜び」とか「悲しみ」とか、あるいは「運命」とか「お金」とか「影響」とかが、アイスにトッピングされる色々な種類のナッツみたいにぱらぱらと降り注がれてくる。しかし、アイスそのものは溶けていく。どうしたって溶けていく。時間は進む。じっとりと確実にアイスが溶けていく。残るのは、主体では無かったはずの細かな細かなナッツたちだけとなる。

日々は溶け、忘れたくなくて日記に書きつけたとしても溶けていき、決して元には戻らない。そうしてアイスも溶けていく。あなたのカップの中に、溶けていくあなたは何を残したいだろうか。私のカップの中で、溶けていく私は何が残るのだろうか。つまり何が言いたいかといえば、さっきコンビニでアイスを買えば美味しくて、それだけでとても嬉しくて、こんな幸福は犬もくわない、私さえ忘れていくようなことであるけれど、何にもならないささやかな今日の日のことを、溶けさせたくないと、少し、思ったのだった。

今月のヒコロヒー

photo/Takao Iwasawa

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